GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

死んだら無になると思う無宗教者のボヤキ

特に日本でそうなのか他の国でもそうなのかはわからないが、世の中全体が自殺した人の想いを汲み取りすぎなのではなかろうかと思う。

自殺を責めることなく、自殺した人の意ばかりを汲み取る行為には自殺を助長する面が確実にあると思う。

個人的には、自殺して亡くなった人に対しては「無になって良かったね…」「終わって良かったね…」と思うしかないと考えている。

 

無念な自殺があった後に遺族らが故人の無念を晴らすために動くことがあるが、その気持ちはものすごくよくわかるのだけど、同時に「亡くなった後に動いても遅いのではないか」とも思う。

自殺そのものが責められるべきものであるという観点がそこから抜け落ちている気すらする。

自殺したのはまずは本人のせいなのに、故人は100%相手のせいだと思いたいのだろう。

でも、そこは違う…という理解が社会全体に広がらない限り自殺は減らないと思う。

自殺で死んだことをまるで事故で死んだのと同じように扱うのは間違っている。

また、自殺によって無になったのであればそれはそれで終わったのだから良いのではないかとも個人的には思う。

 

俺は復讐という野蛮な目的のために死刑を行う考え方に強く賛成する立場である。

もし、再審の可能性がない確定死刑囚の絞首刑の執行を決める権利が俺にあって、かつ、そのスイッチを押す権限があった場合、俺は何の迷いもなく、その日のうちに執行を決定し、かつ、全員分のスイッチを押す。

むしろ、絞首刑では生ぬるく、拷問の末の死刑があって良いと思うぐらいである。

それどころか、マフラーを改造して爆音が出る車を走らせている場合や、ゴミの大量不法投棄の証拠がある場合は死刑という法律があっても別に構わないとすら思っている。

幹線道路へのションペット投棄(ペットボトルに小便を入れて道路の脇に投げ捨てる行為)なんかは公開処刑でも良いだろう。

現行犯は極刑上等、アムネスティとかマジクソと思っている。

 

なので、故人が自殺に追い込まれるほどに故人を苦しめた相手を徹底的に苦しめてやろう…という遺族の復讐心は100%理解できる。

遺された者は自分自身の復讐心を満たすためという位置づけで復讐心の塊になって相手を追い込むべきだと思う。

 

先に自殺を責めると述べたことと矛盾するのではあるが、自分で自分の人生を適切と思う時に終わらせることってそんなに悪いことなのかな…と昔から思っている。

実際にスイスには安楽死を求めて自殺ほう助団体に登録する人が多数いるというし、外国からスイスに行って安楽死を遂げる人もいる。

もちろん治る見込みのない病気だとか、耐え難い苦痛や障害があり、自らが意志決定したと言える場合にのみ安楽死が許されるのだが、個人的にはそうした価値観にはシンパシーを感じる。

逆に、自然に死ぬことから徹底的にあがなって無理やり生かそうとするような医療、もしくは自殺ほう助を行ったと認定した医師をすぐに逮捕・起訴しがちな日本の法律や司法には嫌悪感を抱く。

 

あと、死んだら無になるということに関して思うこと。

例えば、安倍晋三氏が暗殺された時にSNSなどには「ご冥福をお祈りいたします」「安らかにお眠りください」というメッセージが並んだ。

当然、こういったシチュエーションではそう述べるしかないと理解しているが、個人的にはこうした言葉に違和感を覚える。

「死んだらすべてが無になるのに無になってからどうなるというのだ…」「冥福って何すか?」と無宗教者の俺は毎回思うのである。

俺は安倍さんには「日本のために本当にありがとうございました」としか述べられない。

また、無宗教者を自覚する俺であっても誰かが信仰している宗教や寺社のことは決して雑に扱わないように気をつけている。

 

「死=無」と考えれば考えるほど、いかに今現在を良く生きるか、今日という日をいかに大切にするかということに集中するべきという立場に行きつく。

今日という日も死んでしまう日も同じ長さのかけがえのない一日なのである。

 

テレビを全く観ないので雰囲気でしかつかめないのだが、それで内閣支持率が落ちるぐらいだから、世の中では相変わらず旧統一教会のことが大きな話題になっているようである。

もちろん、今後も必要とあれば法律等を正さねばならないのだけど、今のマスコミなどの騒ぎっぷりは明らかに異常である。

宗教を信じず、宗教は古今東西全てインチキと考えている俺ですらそう思う。

信教の自由は極めて重要なこと、法律に違反しているような行為は刑事と民事の司法で判断するべきであるということ、安倍政権下の2018年の消費者契約法改正によって霊感商法は不当勧誘行為とされていること、政教分離と宗教団体が政党に接近することは別であること、宗教団体の政治参加は正当な権利であること、宗教法人を「反社」と判定する場合は特に慎重に行うべきであること、政治家が近づいてくる支持者を簡単には無下にできるはずがないこと…といったような基本的な認識があればマスコミの煽りに煽られずに済むのだろうが、どうやらこの国の国民の多くはそうした基本的な教養すら持ち合わせていないようでまことに残念である。

 

gooddays.hatenablog.jp

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少し前に美しい遊歩道が整備されたこともあって、最近は散歩する際に少し遠出して、永代橋まで歩くことが増えた

 

現在の永代橋は1926年竣工なのでもうすぐ100年になる。永代橋は橋としてのフォルムも美しいが、ライトアップも美しい

 

永代橋からは佃のタワマン群を正面から見ることができるので、橋の上からの景色も美しい。これは永代橋を降りたところからの写真なのだけど…