GOODDAYS 東京仙人生活

セミリタイアして質素に生きる43歳自由人のつぶやき

断言する勇気

数学や物理学のように真理がハッキリしている学問とそうではない学問があるが、経済学やダイエット法は学者や識者によって言うことが全然違う学問であると認識している。

新型コロナウイルスについても、わからないことが多すぎるので当然といえば当然なのかもしれないが医師や識者によって言っていることが全く違う。

 

経済学でいえばMMT、ダイエット法でいえば極端な糖質制限極論とすると、そもそも信じきれないというのもあるが、明確にこのポジションを取ってしまったら後で違うと発覚した時に痛すぎると思うので、俺はこういった極端なポジションを取ることを避けている。

リフレ政策における日銀の出口戦略が上手く行くかということにですら「付利」の問題を解決する方法が明確に見つからない限り、支持に回りたくても完全支持には回れないというほどに俺はわからないことがあることについて自分の意志を明確に表明することに対して臆病であり、このブログもそのような姿勢で書いている。

 

俺のようなアマチュアですら明確にポジションを取ることに危険性を感じるのに、学者や識者が明確にポジションを取っておられ、他を批判・罵倒しておられるのを目にすると、「勇気があるなあ…」だとか「慎重さが足りないんじゃないの?」と思う。

ただし、明確なポジションを取っている人の意見は読んでいて痛快でスッキリすることが多いし、俺のようにどっちつかずのことをグズグズと述べている人の意見は読んでいてもおもしろくないことが多いので、相手にインプレッションを与えるという意味では断言はハイリスク・ハイリターンなのだろうと思う。

 

実際に池田信夫氏や藤沢数希氏のように、極端な意見を述べて自分と違う意見を罵倒することを商売のタネにしている人もいる。

ただ、数日前にとある医師の方が池田氏のツイートに池田氏の意見と反する疑問を書いたら「秒速でブロックされた」とツイートしていたのを見て、「違う意見の人を罵倒しまくる池田氏と誰も議論をしていないのはブロックされるからなのか~」と、再自粛には反対で多少の感染者が出ても経済を回さざるを得ないと考える俺でも呆れた。

とはいえ、池田氏や藤沢氏のツイートを読むのは日々の楽しみの一つでもあるのだが、TwitterなどのSNS出現後の世界は、違う意見の人と建設的に議論を戦わせずに同好の士で意見を述べあったり賛同し合ったりすることが多く、フォローやブロック機能といった作用が断絶や偏りを強めはしないか危険性も感じている。

反対意見を徹底的にシャットアウトした空間に置かれると人が洗脳されていくというのは現在の中国人民を見ていれば良くわかる。

 

とはいえ、できるだけ中立的であろうと模索しているように見えるNHKだとか、同じくNHK出身の池上彰氏ですら「偏っている!」と非難を浴びることが多い様子を見ると「中立ぶるのにも危険性があるなあ…」と感じるのだが、意見を述べると常に叩かれるリスクがあるし、意見を述べないままだと本人も楽しめなければ、周囲からもおもしろいと思ってもらえないわけで、「結局はどの立場の人も大変だよなあ…」と思う。

たとえ人からおもしろいと思ってもらえなくても、意見をあえて表明しないというのが一番賢いのかもしれないわけだが、長らくそういう立ち位置でやってきた日本の芸能人が最近になって意見を述べた時に生意気がられたり嫌われたりするのを見るにつけ、「舐められると逆に損だよなあ…」とも思う。

とはいえ、意見を述べる芸能人の意見が概して浅いことが多いのは、彼らはその芸事のみを極めているのであって万事に対して見識があるというわけではないということと、多忙で暇人ほどに考える時間がないからということはあるだろうと思う。

もし、集中力がずば抜けているであろう彼らが俺と同じぐらい暇で俺と同じぐらい考える時間を持っていたら俺とは比べものにならないほどに深い見識を身につけられるだろうと思う。

 

…と断言することの危険さなどについて述べたのだが、俺が本ブログなどで意見を明確に表明するのは、結局は好みの問題とでも言えるような問題に対してである。

最近のトピックいえば以下のようなものだが、正しい・正しくないの問題ではなく、好みの問題なので偏っていても許されると思う。

 

  • 安楽死・尊厳死には絶対的に大賛成。
    もちろん法手続きは大切だし、嘱託殺人や自殺幇助は性急だと思うが、現在の法制度は個人の意思を大切にしていないと強く感じる。
    そもそも無理やり人を生かす医療行為に不快感を覚える。

  • 日本における新型コロナ禍の死者数・重症者数から考えると、心情的には病気の怖さ以上に差別を煽る怖さだとか経済的なダメージのほうがはるかに大きいと感じている。

  • 一度洪水に遭った地域で前と同じように復興するのには反対。
    洪水を起こさないようなインフラを建設するか、移転を促すというのが最適解だと思う。
    もちろん、費用対効果はまずは都道府県レベルで責任を持って考えるべきで、安易な国費投入による救済には反対。
    東日本大震災後に設置した防潮堤のような国費の膨大な無駄は絶対に止めて欲しい。
    少子高齢化社会においては、災害のリスクがある山肌の家や僻地すぎる家に移転・集積を促すべきだと思う。

 

そして俺が勇気を持って実際にポジションを取るのは金銭がかかっている投資行動に関してのみである。

それと、俺が一つだけ自慢をするとしたら、FACTFLUNESSの冒頭クイズをやったらあっけなく全問正解したことで、俯瞰的な観点でモノゴトを見るのが得意なほうではないのかなと自己認識していることである。

ちなみに、試しに再度やってみたがやっぱり全問正解だった。

 

gooddays.hatenablog.jp

  

f:id:gooddays-shumai:20200728132242j:plainオリックス株主優待すみだ水族館の年間パスポートを選んでいるため、たびたび癒されに行くのですが、新しくクラゲの「ビッグシャーレ」が設置されていました!

 

自由人としての幸福と個人投資家業

自由人になると自人格のみの一人称を用いて生きられるようになるし、嫌なヤツと一切関わらなくて良いのだが、このことによる精神衛生面の良さは半端ではない。

「私」「弊社」などといった一人称は一切使わなくて良く、「俺」「僕」「わし」という一人称のみを使って生きられる解放感は目の前にいっぱいに広がる青空のようなものである。

組織や肩書を背負ってないし、組織の意向に一切縛られないし、組織で疎んじられたり組織から外されることへの怖れがなく、大胆な言い方をすれば俺を取り締まることができるのは法律だけである。

 

また、見知らぬ土地に住み着いていて地縁もないため、会釈だけする程度の人を除けば近所に知人は一人もいないので、嫌な人間だとか妬み深い人間は一切の遠慮をせずに完全遮断して生きることができる。

俺には「もしかして妬まれている?」と感じてきた経験が人生において度々あるのだが、妬みを出してくるようなダサい相手には「確かに君と俺を比べたら君が俺を妬むのもわからなくはない。自分が不幸だから人を妬むわけだわな…」としか思わないものの、そういった手合いと一切関わらずに済むということは人生の質を上げるのに著しく資する。

そして、仮に妬み深い人間から実害を被った場合には、相手にするのもバカらしいような相手だったとしても、こちらには背負っている組織がなくて、いくらでも暇があり、資金もそれなりに用意できるので、躊躇なく係争に臨める。

 

生きていればビジネス地縁で繋がっている人間から屈辱的な目に遭わされることはあるだろうし、それでも利害関係があるので関係を遮断するわけにはいかないということもあるだろうが、利害関係のない世界では誰が何と言おうと人と人とは完全対等なので、気に入らない手合いがいれば瞬時に遮断することができ、好きな人とだけ関わって生きることができるのである。

ドラマの「半沢直樹」ではないが、仕事をしていると、関わる人間を自分で取捨選択できないことでクズみたいな人間と関わらざるを得ない人だとか、会社に嫌で仕方ない上司がいる人だとか、会社のやり方にどうしても納得がいかない人だとか、気に入らないヤツが自分より出世して許せない人はいるだろうし、その他にも、近所に嫌な人が住んでいて心底困っている人だとか、子供のクラスメイトの親が苦手でしょうがないという人もいるだろうから、そのような人からすれば俺の置かれている状況は相当に恵まれていると思う。

また、利害関係が全くない状況で自然に繋がっている人間関係こそがその人にとって本当に必要な人間関係であるとも思う。

…と、そういう状況にあるので、俺はトラッドなジャケパンは複数所有しているものの、ビジネスとさよならしているため、礼服以外のスーツは全て捨ててしまっている。

そして、東京という土地において平日昼間というゴールデンタイムを好きなように使えるアドバンテージが半端ではないということについても言及しておく。

 

俺が今の自分自身の境遇に満足しているし、とても幸福だということについては端々に触れつつも、「読み手は必ずしも虫の居所が良い時にこの文章を読んでいるわけではなかろう…」と考えてその記述量は控えているつもりである。

また、書こうと思えば本が書けるぐらいの量は書けるのだが、「セミリタイア生活」をテーマとしたブログを書くことは他の敏腕ブロガーさん達にお任せしたいと思っている。

  

俺自身の境遇について、「極めて健康で、金銭的に困っていなくて、ローンも完済していて、毎日好きな時間に起きて好きな時間に寝て、昼間っからジムにサウナと水風呂に入りに行って、いつでも昼寝できて、一日中好きなことをしていられて、効率だとか急ぐことだとか満員電車と無縁で、自分と同じぐらいかそれ以上に大切な妻がいて、夫婦仲は極めて良くて、双方の両親や兄弟も元気で、迷惑をかける親戚もおらず、好きな都市の一番気に入った場所にある超お気に入りの部屋に住んでいて…」というようなことを書いてしまうと快く感じない読み手がいるかもしれない。

また、人前でこんなことを発言したら不快感を与えかねないので、人前ではほどほどに謙遜するようにしている。

 

こんなふうにわがままかつ、怖い物なしの心意気で生きているものだから、うちのご主人から「嫌なことに対する堪え性がなくなった」と言われることがたまにある。

俺と同じく無敵状態にある暴走老人の気持ちが少しわかってしまうのだが、間違っても暴走中年にならぬよう注意せねばと思う。

 

…と書いたが、もちろん俺にもストレスはある。

それは個人投資家をやっている以上、資金運用が上手く行っていない時に溜まるストレスは相当なものであるということである。

ある程度は持ち直したのではあるが、今年の3月の相場変動によって受けた金銭的・心理的なダメージはかなりのものだった。

なので、もし、これまで述べたような俺の境遇をズルいと思うのであれば、俺と同じくリスクを取って専業の個人投資家になれば良いだけの話である。

マチュアリズム志向が強すぎる俺でもそこに関してだけはプロフェッショナルとして自分と妻を一生飢えさせることのないようにしなくてはならないのである。

…といいつつ、投資のことについて本ブログにあまり書かないのは、シンプルな方法を取っているからということと、自己責任とは言いつつも俺の記述がどなたかに影響を与えてしまってその人が金銭的に損をするのが嫌だからである。

 

そもそも我が家は旅行と食事(年に20万円分以上の飲食店株主優待券が送られて来るのだが…)以外でお金を使うようなことがあまり好きではなく、物欲も驚くほどないので、かなりお金を使わない。

なお、うちのご主人は普通に会社員として仕事をしているため、うちのご主人の稼ぎ我が家の全支出とでは前者のほうがわずかに大きい。

ということで、実は俺の投資利益がなくても家計貯蓄が増えていく家計構造になっている。

うちのご主人に「会社はいつ辞めてもいいぞ!」とは常々言っているのだけど、嫌ならいつでも辞められるジョブ型の仕事をしていることもあって、仕事がほとんど苦になっていないようだし、テレワークで5ヵ月間出勤していないが、以前より残業ゼロで会社も超ホワイトだし、人間模様も含めて社会人生活を楽しんでいるようである。

また、現役世代として勤労を通じて社会に参加しているということに意義を見出しているようなので、俺のことをうらやましいと思うふうでもない。

金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」ではないのだけど、最も近しい間柄でありながら、自由人になった俺と考えが違っているが、それをお互いに尊重している。

世の中には将来現役というプロフェッショナル志向の信念を持っている立派な方もいるわけで人生観は人それぞれである。

もちろん、「俺のほうが多くの家事を担当しなきゃな…」と思うのでできるだけ進んで家事をやるようにしている。

なお、本ブログで妻を「うちのご主人」と呼んでいる理由については、過去に述べた通り、夫を「主人」と呼ぶ世の中の風潮に明確に異を唱えて逆説的にそう呼んでいるだけであって、養ってもらっているからという意味ではないし、利益をゼロにする年でも扶養に入ることはないのであしからず…。

 

しかし、生きていれば月は必ず欠ける。

俺はまだ43歳とはいえ長く生きていれば、両親も老いていつかは死んでしまうし、自分も病気になるかもしれないし、どっちみち老いるし、おそらくは俺のほうではないと思うもののどちらかが死ぬ前に配偶者を失うし、そして自分自身も必ず死ぬ。

そんなことよりも資金運用に失敗して個人投資業からの撤退を迫られる可能性がないといえなくもない。

これらのいつかは訪れる出来事は誰にも避けられないということを常に肝に銘じて、悔いやり残しのないように生きていきたいものである。

 

f:id:gooddays-shumai:20200719231135j:plain久々の晴れ間に新しくできたショッピングモールである有明ガーデンに行ってきました

 

f:id:gooddays-shumai:20200719231151j:plain本来ならば今頃はオリンピックで違った雰囲気だったのでしょうが、休日だったこともありとても賑わっていました