GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

狭量な時代の公共放送とドラマ

俺は高校生の時にも毎日遅刻してちょこちょことNHK連続テレビ小説(=朝ドラ)を観ていたが、きちんと観始めたのは100作目の「なつぞら」からで、「スカーレット」「エール」「おちょやん」「おかえりモネ」「カムカムエヴリバディ」「ちむどんどん」と7作連続で観ている。

立派な朝ドラおじさんである。

 

前作の「カムカムエヴリバディ」が想像を絶する名ドラマだったこともあるだろうが、ここまでの「ちむどんどん」は、朝ドラの過去7作のなかでは脚本・演出の双方とも最も悪いと感じるドラマである。

「スカーレット」や「おちょやん」が名作ながらも最後のほうまで主人公の不遇ぶりに観るのがしんどかったように(これらは最後もしんどかったが…)、「ちむどんどん」にも一発逆転の可能性はまだあるのかもしれない。

しかしではあるが、それにしても尋常ではないほどの評判の悪さだ。

作っている人が病んでしまうのではないかと思うほど、SNS上ではリンチ状態にある。

俳優さんたちも製作スタッフも実に気の毒である。

 

前々作の「おかえりモネ」は登場人物全員が良い人という珍しいドラマだったが、これは平成~令和を舞台にしたドラマだったからで、“良い人”ばかりの今の時代の世相がそういった構成にさせたのだろうと思う。

その「おかえりモネ」において視聴者を最もヒリヒリとさせたのは主人公と仲良くも主人公に強い嫉妬心を持つ妹だったわけだが、主人公と妹の両者に対して視聴者がきちんと感情移入できるように丁寧に作られていた。

激動の昭和を描く他の朝ドラと比べれば屁でもないようなことで良くもまあここまでヒリヒリとした気持ちにさせてくれるものだと感心する作品だった。

それに対して他の朝ドラは昭和を舞台にしているので、今の時代では少し考えづらいような破天荒な人物が次々と出てきて主人公らを巻き込むようになっている。

 

先述の「おかえりモネ」には主人公の家がある気仙沼津波が押し寄せるという劇的な過去の出来事があったからそれが実現できたのだが、そもそも長丁場のドラマにおいては“良い人”ばかりで視聴率を維持するのは難しいだろうと思う。

朝ドラは、おとなしくて物分かりが良く、平和この上ない生活を送る現代の視聴者に対して人間というものの濃さというものを日々教えてくれる存在でもあるのだ。

俺もこの歳になって「男はつらいよ」などを観返すと、寅さんに対して「何?このおっさんマジウザいんだけど…」と嫌悪感を抱いてしまって苦笑するのであるが、予定調和と違ったり、破天荒だったりする人間とほとんど出会わなくなって、極端に不快耐性、ストレス耐性を失った現代人のウィークポイントをうまく突かれているような気がしてならない。

 

…で、この「ちむどんどん」はそうした破天荒な登場人物のオンパレードでツッコミどころ満載なのだが、これを現代の価値観で斬ると確かに不快に思える。

しかも「おかえりモネ」のような丁寧さとは全く無縁で、脚本全体が粗雑に思える。

しかしそれでも、「独身の者同士の恋愛なのに、そこまで恋敵の気持ちをわかってあげないと炎上するのか?」だとか、「これを略奪愛って言って叩きまくるのはおかしくないか?」などと個人的には思うし、登場人物が少しでも利己的だったりガサツだったりする行動を取るのを許さないという視聴者の不寛容かつ独善的な態度が自分と関係のない芸能人の不倫に対して異常に怒る人々と妙に重なって見えてしまう。

社会のリベラル化が進めば進むほど社会が狭量になって世の中がどんどんギスギスとしていっているのと同じように、人々の道徳規範がどんどん狭量になって世の中のギスギス化が進んでいっている気がするのである。

こうした世相の影響によって、いまだに屋外でマスクを外せない人がいるように、人を不快にさせないことが人生の最優先事項となっている人が多いように思える。

心がこう作り変えられてしまっては自分の人生ではなく他人の人生を生きているようなものである。

 

人権に関わるようなことは別として、基本的に怒りというのは当事者やその影響にある者が抱けば良い感情であるはずなのに、実社会においてもドラマにおいても全く関係のない第三者が異常に怒る不寛容な世相はどこか病んでいると思わざるを得ない。

Twitterの「#ちむどんどん反省会」やヤフコメに超ネガティブな書き込みをしている人々の心にはどこかで病んでいるところがあるのだと思う。

自分の人生が幸せならばこのように粘着・独善的な書き込みをしよう、それを人と共有しようというような心境には到底ならないはずなので、かわいそうな人々だとも思う。

 

そういった類の書き込みに触れることを意図的に避けている妻から、これらを読んでしまうことがある俺は冷ややかな目で見られるのだが、普段、「ヤフコメをやっているYahoo!JAPANは邪悪な会社だからYahoo!JAPANの有料サービスは絶対に使わない」と言っているのに読んでしまって自己嫌悪に陥ってしまう。

こうしたサービスで自分と同じ考えの感情を持つ人を探して、このエコーチェンバーがどんどん連鎖して炎上していく現象は本当に不健全に思える。

 

本来なら「嫌なら観るな!」の一言で済む話なのだが、SNSがここまで粘着になるのは、朝ドラがNHK制作だからということに尽きるのであろう。

NHKの痛いところは結局は受信料で作っているところにあり、「受信料を取って納得のいかないドラマを作った」と責められると言い訳が見つからないところにある。

また、それ以前に質の良し悪しに関わらず、これほどコンテンツ過剰な時代に国民から徴収したカネで民放の何倍もの予算と人手をかけてドラマを作り続けるのには明らかに無理がある。

Twitterで番組をフォローしていると小道具や美術に気の遠くなるほどのコストと手間をかけていることがわかるのだが、彼らががんばればがんばるほど公共放送としてはむしろ逆効果の印象を与える。

 

また、朝ドラのSNSの荒れっぷりを観ていると観ている層が粘着なのかなとも思うが、そもそも朝ドラの視聴者層に目をやるといずれ朝ドラが必ず行き詰まることは簡単にわかる。

年々視聴率が減っていっているというのもあるが、それより視聴者の分布があまりに極端なのである。

全体視聴率こそ15%~20%程度で推移しているようだが、年齢別視聴率を観ると一目瞭然であり、ハッキリ言って、40歳以下の女性と60歳以下の男性はほとんど誰も観ていないということがわかるのだ(大河ドラマも完全に同様)。

俺のように朝ドラを(大河も)観ている40代男性は極めて特殊な存在であり、これではどうにもこうにも立ちゆくはずがないのである。

朝ドラに出演している俳優の多くはおそらくは朝ドラを観たことがないのだろうと想像するし、自分の出番が終わったらそれ以降の作品を観ることもないのだろうと想像する。

というわけで、朝ドラおじさんとしては残念だが、朝ドラ(と大河ドラマ)は論理的にも視聴率的にもお先真っ暗だろう、NHK党の暗躍もあるし、視聴率的にも意義的にも年々追い込まれていくだろうと思うのである。

 

【追記】

PCでGoogle Chromeを使っている場合、以下をダウンロードしたら「今どうしてる?」や「おすすめユーザー」を非表示にできて、ストレスがめっちゃ激減した。

拍子抜けするほど簡単なので超オススメなのだが、その名も「Twitter Stress Reduction(Twitterのストレス削減)」なのが笑える。

この勢いを駆ってヤフコメ読むのも完全に止め、ストレスを無くしたいところ…。

chrome.google.com

 

酷暑の合間の涼しい日に久々に浜離宮庭園へ。築地川銀座公園に続き、リュウゼツランが開花。数十年に一度しか咲かない花が複数個所で同年に咲くとは…

 

夏以外は頻繁に行くのだが、少し行かぬ間にキバナコスモスも咲いていた

 

昨夜。もはや散歩は夜に隅田川沿いばかりとなっているが、見た目が地味な佃大橋のライトアップは結構派手

 

佃大橋をくぐると勝鬨橋と築地大橋が目に入る。月が美しい夜でした