GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる48歳仙人のつぶやき

中年仙人の余生

やりたいことを先延ばしにせずにどんどんやって生きている。

なので、「人生においてやり残したことは?」と思い返しても特には思いつかない。

そういう意味ではいつ死んでも悔いはないが、だからといって早死にしたいわけでは全くない。

先日、健康に生き、かつ、健康寿命を延ばすべく自分なりの「健康生活」を送っているということについて述べたが、健康には誰よりもこだわっているつもりだ。

 

俺も妻も不妊検査で全く問題がなかったこともあり、子供がいない人生を送ることになるとは思ってもみなかったが、30代後半に多額のお金をかけて可能な限りの不妊治療をしても子供を持つにいたらなかった。

悔いを残さぬようそれだけのことをしたとはいえ、そもそもどうしても子供が欲しかったというわけではなく、むしろ、子供がいない人生を送ることになると覚悟を決めてから心の内側から湧き出てきたのは重い荷物を肩から降ろす感覚に似た感情だった。

子供を持ち、育てることで得られる充実感は人生で最大の充実感だろうと想像するが、それでもその苦労と責任を放棄できた喜びが大きかったのだろうと思う。

「責任」の中には、これからの高齢少子化と人口減が進み衰退していく一方の日本、どうなるかわからない世界情勢や地球環境といった要素が大いに含まれるのだが、この「子供の将来の世界に責任を持てない」という感情が世の中の少子高齢化が加速している面は確実にあると思う。

可能な限りの努力をしたとはいえ、結果として自分自身も少子高齢化に加担してしまったと思っているので、「自分の老後は絶対に健康面でも自立するぞ!それこそ俺の自己責任だ!」と強く思うようにしている。

そう思うからこそ「健康生活」を心がけているのである。

 

子育てをせず、かつ、仙人生活をしていると世の中の同世代の人と恐ろしいほどに忙しさの差が出ることになる。

俺ほど暇な同世代の人間はそうそういない。 

だからやりたいことを先延ばしにせずに生きることができているのだ。

とはいえ、自分自身の内部感覚でいうと毎日がやることとやりたいことだらけで目が回るほどに忙しい。

 

また、俺は健康面・金銭面(質素な生活を好むので…)・住居面・家族面・友人面どれにも全く不満がない。

住環境は隅田川沿いかつ銀座徒歩圏内で、日本全体レベルで見ても有数に恵まれている場所にある。

 

金銭面で困らない限りはビジネスを手掛けたいとは全く思わない。

ビジネスというのは「社会貢献」「自己実現の手段」「野望」というよりは「お金を得るための活動」「他人のニーズを満たすための行為」と思っているからだ。

ましてや交友範囲やフォロワーを増やしたいという願望も全くない。

 

俺にとっての義務だと思っていることは、「自分の親よりは先には死ねない、夫婦双方の親の老後を自分なりに見守る」ということぐらいだ。

今は俺の親も妻も親も元気だが、親がいつまでもいるものではないという覚悟はしておかないといけない。

 

子供がいない自分らの老いについてはたびたび考えるが、「何としても死ぬ直前まで動ける身体でいたい」と思い、「病苦で身動きできなくなったら終了ボタンを押して安らかに逝きたい」と妄想してしまうのだが、こうした信条を述べることは、寝たきりの人に対するハラスメントになるととられる世相でもある。

でも、先に述べた通り、子供がいないからこそ自分自身が福祉や介護に頼るという考えを可能な限り持ちたくなく、だからこそ「健康生活」を追求し、やりたいことを先延ばしにせずに生き、悔いを残さないよう前のめりになっているのだ。

 

人生哲学として「足るを知る以上の欲は敵」だと思って生きているのだが、その反面、それなりに贅沢もしてきた。

贅沢な行為に対する欲求もほとんど満たしている。

「まだ満たしていない贅沢ってあるかな?」と頭に思い浮かべてみたが、「星のやに泊まったことがない」「37ヵ国旅したのにトルコとアメリカ本土に行ったことがない」ということぐらいしか思いつかないし、食べものに関して「どうしてもこれを食べておきたい」と思ったものは既に食べてしまっている。

物欲に関しては、持ったことがない車や別荘を含めて全くない。

 

俺が、星のやに泊まったり、トルコ(イスタンブールのブルーモスク改修が終わるのを待っている)に行ったりしたら「あいつ、数少ない欲求を叶えやがったな!」と笑っていただきたい。

ちなみにいつまでも星のやに泊まれないのは、性根がケチなため、2人で2泊3日泊まるのに20万円以上をかけることに思い切りがつかないだけである。

ちなみに星野リゾート・リート投資法人J-REITは所有しており、配当も受け取っている。

 

「その年でこれといってやり残したことがないというのは不幸なのでは?」と思う人がいるかもしれないが、「足るを知る以上の欲は敵」と思っているので、欲がない状態はとても心地良いと感じている。

必要以上の欲を持たずとも幸せになる手段は無数にある。

今の時期であれば外で桜を眺めて鳥の声を聴くだけで言いようがなく満たされた気持ちになれる。

まだ人生は半分残っているが、無欲で余生を生きたいと思う。

 

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増上寺のわき道から

 

f:id:gooddays-shumai:20210325140918j:plainアークヒルズにて

 

f:id:gooddays-shumai:20210325140927j:plain赤坂サカスにて

 

f:id:gooddays-shumai:20210325140936j:plain千鳥ヶ淵にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210325140944j:plain北の丸公園田安門から

 

f:id:gooddays-shumai:20210325140956j:plain靖国神社にて

 

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台湾パインを食べたが、シロップ漬けのように甘い。でも、シロップ漬けとは違う