GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

コンテンツに追われる時代と退屈恐怖症

最近は映画やドラマを早回ししながら観たり、1.5倍速や2倍速で観る人が多いという。

俺も映像のニュースやノンフィクションは1.25倍速(録画レコーダーが古くてそれ以上速く再生できない)で観て、Podcastは1.7~1.9倍速で聴き、YouTubeや音声コンテンツのVoicyは2倍速で聴くが(YouTubeは画面をほとんど観ない)、さすがにフィクションの映画やドラマは等倍で観ているので、そういう意味では他の人よりは毒され具合が弱いのかもしれないと思う。

それでも、こういう生活を長年続けているとさすがに脳が毒されていると自覚せずにはいられない。

俺は勝手にこれを「退屈恐怖症」と命名している。

 

耳ではYouTubeの画面を観ずに2倍速で聴いて、目のほうは何をしているのかというと他のサイトを流し読みしていたりする。

当然ながら、両方ともうろ覚え程度の理解しかできない。

人の話を2倍速で聴いて手持ち無沙汰に感じること自体が人として終わっていると思うし、両方ともおざなりになるとわかっていて何故にそういうアホなことをやるのかというと2倍速で聴いていても視覚面では退屈を感じているからに他ならない。

このようにわずかな暇をも許せない脳・目・耳にしていくことは「退屈恐怖症」を悪化させるので絶対に良くないと思うのだが、これは俺だけの現象ではなく一般的な現代病だろうと思う。

新型コロナ禍のせいで友人とのコミュニケーションもLINE一択になっているが、「人と会って等倍で話すまどろっこしさに耐えられるのかな?」とすら心配してしまっているし、家でうちのご主人と話すときも聞くだけでは手持ち無沙汰になって目が泳いでしまったり、話を聞きながら別のことを考えてしまう始末である。

こういう時代こそ、傾聴する訓練が求められる時代はないと思うが、当然ながらできていない。

それだけ速聴する習慣をつけているのなら、「聴きながら次の返しを考える余裕も生まれるのでは?」と思わなくもないのだが、これが逆で情報を脳に詰め込み過ぎて処理が追いついていないのか、最近は物事を思い出すまでの時間が長くなっているように感じる。

これは年齢のせいではなく、インプットが多過ぎるせいで脳の処理が追いつかずにそうなっているのだと思っている。

 

ここで冒頭に触れたPodcastについて説明しておくが、PodcastPodcastアプリ内のラジオ番組をあらかじめ購読(無料なのだが聴く番組を指定することを購読と呼ぶ)しておくと番組が勝手にスマホにダウンロードされ、スマホがあれば購読している番組をどこでも聴けるというアプリである。

つまり、録画レコーダーのラジオ版・スマホ版のようなものといえる。

Podcastにはいくら聴いても終わらないぐらいのコンテンツがあるし、俺自身が既に購読しているものを「こなす」だけでも相当な時間を要する。

掃除や買い物や運動など、聴きながらできる時間を全てPodcastを聴くのに充てている気すらしている。

毎日放送される番組だけでも、「飯田浩司のOK! Cozy up!」「飯田浩司 The Daily News」「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」(いずれもニッポン放送)の3本があり、俺が購読している番組は実に24本に及ぶ。

こういう生活をしていると音楽を聴くという習慣は限りなくゼロに近づいていく。

 

以前は散策をしている時もPodcast番組を聴きながら散策していたが、これは意図的に止めるようになった。

いつもと違うような道を歩く時や風景を味わいたい時や鳥の声を聞きたい時には意図的にイヤホンを外すことにしたのだ。

散策時にはイヤホンを外しても「退屈恐怖症」にさいなまされることなく、自分の置かれている空間を五感で楽しむことができる。

なお、食事に関してだけは昔からテレビなどを一切見ずにそれだけに集中している。

 

映像や音声コンテンツではなく、読書に充てる時間も人より多いと思うが、これもサイト巡回やdマガジンの雑誌読みに取られる時間が多くて少なくなる一方である。

もちろん、巡回するサイトやdマガジンの利用をできるだけ減らすよう努力は常々しているが、「長い文章を読むこらえ性がどんどん退化しているなあ…」という危機感も日々抱いている。

これまた年齢のせいというよりは、見出しで結論がわかる短文ばかりを読んでいるせいだと思う。

観る・聴くは「ながら」でできても、読書だけは音楽を聴きながらですら難しいのだが(なのでカフェで読書とか無理!)、そういう意味において読書は脳の全てをそこに傾けられる尊い行動だと認識している。

そういう意味で読書は悪くないと思うのだが、単に活字バカだと言えなくもない。

 

そして何といっても、退屈恐怖症に毒された脳を正常化するためには、何もしない時間だとかそれにだけ集中する時間が求められるのだろうと思って、散策したり、ヨガのクラスに出たり、風呂やサウナに入ったりする時間を大切にするようにしている。

料理に関しても下ごしらえの際には聴くものの、それ以外の作業の際にPodcastを聴くのは止めて料理そのものを楽しむようにしている。

 

それにしても、「今と違ってコンテンツが少なくて、同じ本やマンガを何度も何度も読み返し、同じ曲を延々と聴いていた子供の頃は実に贅沢に時間を使っていたのだな~」とよく思うのだが、独房にでも入れられない限りそういう時間の使い方をできなくなってしまっているのは現代人の大いなる哀しさである。

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214804j:plain門前仲町の大横川にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214813j:plain上野不忍池にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214823j:plain上野公園にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214835j:plain桜の絨毯が敷き詰められている王子の飛鳥山公園

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214844j:plain板橋駅付近の石神井川にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214858j:plain赤レンガにて。「ガーデンネックレス横浜2021」をやっているみなとみらいは花でいっぱい。かわいらしいキャラクターは「ガーデンベア」というそうな…

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214908j:plain山下公園にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214918j:plain春を感じる~

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214927j:plain外人墓地にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214940j:plain港の見える丘公園にて

 

f:id:gooddays-shumai:20210331214956j:plainガーデンベアはお花があるところのところどころにいます