GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

新型コロナ禍後、パリピ・団体文化・昭和オヤジの衰退を願う

以前にも述べたことがあるのだが、俺はうちのご主人と結婚する前に47都道府県を全て見て回っていて、結婚した後にも沖縄県以外の46都道府県を二人で丁寧に見て回っている。

そして、ラストピースである沖縄県(とはいえ、うちのご主人も独身の時に沖縄に行っているのだが…)しかも初訪問の石垣島に旅行に行くことになっていたのだが、社会情勢等を踏まえ、総合的・俯瞰的に考えて今回は予約をキャンセルした。

旅行会社や宿泊ホテルに対しては心苦しいが、国から5割のキャンセル料が支払われるというし、そこに税金が使われることに対してもなんだかなあ…と思わなくもないのだけど、やむ得まい。

一度仕切り直しをして、遠くないうちに沖縄に行きたいと思う。

 

Go To Travel による感染リスクが高いかということについては、我が家のように同居家族だけで静かに個人旅行する分にはほぼリスクはないと思うものの、ツアーや団体で旅行をして大勢でしゃべりながら食事をしたり、一族で集結して旅行したりしたらリスクが高くなると思う。

とはいえ、どんな世界でも悪貨が良貨を駆逐する面は否めず、菅首相はこの状況下で年末年始の一族集結旅行を公金で支援することだけは避けたほうが良いと苦肉の判断したのだろう。

ここで支払われる5割のキャンセル料は事実上、業界への給付金となるわけで、まあ良く考えられている政策ともいえる。

雇用調整助成金なども駆使すれば業界も年越しはできると見込んでいるのだろう。

 

…で、本題に入る。

2020年はとにもかくにもパリピparty people 受難の年となった。

振り返れば振り返るほど、引きこもりが賞賛され、パリピが叩かれる一年だったように思う。

なお、個人的にはこの傾向がこの先も存続することを望んでいる。

動物のなかで情けないまでに身体が弱く団結せずには生き延びられない霊長類ヒト科が背負った生物学的な宿命や、人類が脈々と築き上げてきた祭祀・村社会の歴史といった本質から完全に外れるのだが、テクノロジーが極限まで達した現代において、個の幸福と自由度を増幅させるためには、大勢で集まる文化はどんどん衰退したほうが良かろうと思うのである。

 

若い頃はともかく、ある程度の年になってパーティー・宴会というものに出て「まあ楽しかったな…」と思ったことはあれど、心から出て良かったと思った記憶はほとんどない。

もちろん、大人数でのパーティーに出て、色々な人と話をして回り、かつ、聞き役に徹することによって親睦を深める程度のことは俺にでもできるが、正直、そのように振る舞うと変に疲れる。

それよりも少人数でご飯を食べたりお茶したりするほうが、パーティーに出て話すよりもずっと良かったなと思う率が高いし、相手とより親密になりやすく、充足感も味わえるように思うし、疲れも少ない。

会った回数が多いほど親近感が湧くという心理学的効果は認めるが、それでも10人の団体で10回の飲み会をやるより、1人と1回ずつ食事やお茶に行くほうが有意義なのではないかと思う。

人生において中途半端な知り合いが何人いても大して意味がないのと同じで、相手と正面から向き合って話さずにぐだぐだと一緒に時間を過ごしても意義は小さいのである。

 

結婚式の披露宴や二次会に出ても元からの知り合いではない人と仲良くなることが極めて稀なのと同じく、大勢でのパーティーは賑やかなように見えて、実際には自分の直接の知り合いでない人は外にいる群衆と同じというか、会場に居てターミナル駅で感じる孤独感と似たような感覚を心のどこかで抱くものである。

パーティーに出るたびにこのような既視感を抱く俺の感覚を理解できないと思う人もいるかもしれないが、俺と同じ感覚を持つという人も必ずいると思う。

なお、パーティーにおいてものすごく意気投合した人とその後につき合いが続くことも稀な気がするが、海外の旅先で無二の親友のように意気投合した人と関係が続きにくいのと同じで、「非日常の場は長期的な関係の構築には不向きだよな…」と思う。

正直、非日常の場を共にするよりもLINEやメールでちょっとしたやり取りをすることのほうがよほど親密になっていきやすいのではないかと思う。

 

というわけで、個々の幸福感の観点から考えても、新型コロナ禍の影響によって忘年会や新年会も含め、パーティー・宴会・団体行動の文化が徐々に廃れていくとするならばそれはむしろ喜ばしいことだと思う。

確かに飲食店にとってパーティー・宴会から得られる利益は多いのかもしれない。

しかし、店にとっての実際の顧客は窓口となる幹事だけで、それ以外の客の多くは行儀が悪く、たくさん食べ残して、かつ、やたらと騒がしかったりするわけだが、そのような場を滞りなく提供することから得られる喜びよりも、顧客が親密な人や家族と少人数で楽しむ場を提供することにとって得られる喜びのほうが感情面ではずっと大きいのではなかろうかと勝手に邪推するし、業界はそのような方向にシフトするべきだし、していくと思う。

 

飲食業界だけでなく旅行業界においても、添乗員のいる団体旅行や団体ツアーというのは、検索機能・動画・バーチャルリアリティーなどのテクノロジーが極限まで達した今の時代において、個人旅行より魅力面で劣る点があまりに多く、これからの時代に適合しなくなっていくだろう。

年配層にはまだ団体旅行・団体ツアーを好む層が残っているが、彼らは団体旅行が安いから参加しているか、個人旅行が億劫なためか、海外においては極端に語学力に自信がないか(でも、今の翻訳アプリの進化はすごい)、自由気ままに行動する旅行の醍醐味や意義深さを知らないまま歳を取ってしまっただけであり、未来の旅行者は魅力が低い団体旅行・団体ツアーをだんだん利用しなくなるだろう。

もしそうだとすれば、サービスを提供する業者側もサービスを大幅に改良していく必要があるはずである。

 

新型コロナ禍有無に関わらず、接客を伴う飲食店・宴会場・団体客を得意とする飲食店・団体旅行・団体ツアーといった業種は、現代人の幸福観にマッチしなくなっているという理由で廃れていくであろうと予測するわけで、新型コロナ禍はその時計の流れを一気に早めただけの話だと思う。

そして、仮に自分の近くに飲食店の団体客や団体旅行の客がいたら逃げたくなるように、それらの多くはやたらと騒がしく周囲にとって迷惑な存在でもあるので、そのような観点においてもいち早く衰退してくれないかなと思うのである。

実際に俺が不要視する団体ツアーを提供する近畿日本ツーリストでは2024年までに従業員を3分の2に削減するようであり、ある意味望ましい傾向だと思う。 

 

ついでに記すが、ネットでの手続きに対応できない年配者などの情報弱者層は企業の人件費を無駄に食うので、彼らからはサービス対価をきっちりと徴収するべきであり、その代わりに企業の足を引っ張らないネット利用層には価格面での恩恵が行くべきあり、その結果としてBtoCの対人営業、旅行商品や切符などの店頭販売、コールセンターといったサービスが一掃されていくことも願っている。

自分で調べもせずに勘違いした態度で無駄にコールセンターに電話するような使えないおっさんからはカネでも巻き上げんととダメというか、この先の社会ではネットに対応できない世代からは対価を取らんとダメでしょ…。

そして、飲食やゴルフの接待文化、仕事などでのつき合い酒文化酔ってくだを巻くための汚い酒、あらゆる昭和オヤジ的な文化や態度、家事をしない男といった前時代的な文化が新型コロナ禍によって始まったリモートワークとともに一掃されていくことも心から願っている。

そうなると、IT機器を使えない・家事力が低い・不摂生で健康管理ができていない・態度が傲慢で人当たりが悪いといったような使えないおっさんにとっては生きづらい世の中になるのだろうが、世の中のおっさん達にはそうならないようにがんばって欲しいものである。

  

f:id:gooddays-shumai:20201220192054j:plain今日の15時の銀座。やはり人は例年よりは少ないと思う

 

f:id:gooddays-shumai:20201220192103j:plainGINZA SIXにて

 

f:id:gooddays-shumai:20201220192112j:plain松屋銀座のディスプレイは福井のリボンで作られたリス。きちんとマスクをしてる

 

f:id:gooddays-shumai:20201220192121j:plain丸の内仲通りは早めの時刻からライトアップされていた

 

f:id:gooddays-shumai:20201220192132j:plain帰宅後の我が家からの夕景。最近は空気が澄んでいるのが視覚的にわかる