GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

函館旅行記③(11年ぶり)

 

久々の国内旅行記

前置き

函館を訪問するのは5回目となる。

1回目は12月に訪れ、それ以降の4回は全て10月下旬から11月上旬に訪問している。

故郷の宮崎市、妻の故郷の長野県上田市、人口150万人以上の大都市、東京近郊の都市を別にすると、5回も訪問した地方都市というのは数えるほどしかないのだが、函館にはそれだけの魅力がある。

とはいえ、今回は前回2009年の訪問から11年の時が経ってしまっていた。

妻と結婚する前に47都道府県を全て回り、妻と結婚してからは沖縄以外の46都道府県を一緒に回ったため、函館訪問がご無沙汰になったかたちである。

なお、沖縄への旅行はGo To Travel キャンペーンで予約済なので、妻と47都道府県すべてを回ることはほぼ確定しており、これで47都道府県を2回以上訪問することにもなる。

 

函館に関しては2回目と3回目に訪問した際に旅行記を記したのだが、5回目の今回も旅行記を記すことにした。

実は国内の旅行記を書くこと自体がかなり久しぶりで2009年の道東訪問以来となる。

海外の旅行記は行くたびに書くことが多いのだが、それは初めて訪問する国が多いからであり、バンコク台北やソウルのことについて複数回書かないのと同じで、それで2回目以上の訪問地に関しては書かなくなっていることが多いのだが、ウィーンについては3回訪問して3回ともしっかりと記していたりする。

そもそも2007年にGoogleフォト上にテキスト情報入りの写真をまとめるようになったため、よほど特筆することがない限り旅行記を書く必要性がなくなったという面はある。

 

函館についても1回目は通常の旅行記を書いて、函館②ではトラピスチヌ修道院に焦点を当てて書いたのだが、今回の③では11年の時を経て思ったことを述べる。

 

…前置きだけで長くなってしまった。

 

過去の旅行記

過去の旅行記はこちらである。

①は16年前(2回目)で27歳の時のものである。

 

gooddays.hatenablog.jp

 

②は15年前(3回目)で28歳の時のものである。

大いに函館を気に入って、2年連続で同時期に出向いたわけである。

 

gooddays.hatenablog.jp

 

今回と前回の訪問写真

さて、今回(5回目)の訪問の写真はこちらである。

 

photos.google.com

 

なお、こちらに2009年(4回目)に訪問した際の写真を載せておくが、11年も経つと前回と同じ追体験をしたくなるものであり、また、そんなに人口の大きな都市を訪問しているわけでないこともあって、撮影対象が被っているものも多い。

 

photos.google.com

 

11年ぶり5回目の函館訪問で感じたこと

函館という都市が得ている強烈な栄誉

民間調査会社のブランド総合研究所が行う「地域ブランド調査2020」において函館市は全国で2位だったし、昨年は1位だった。

函館が全国でトップのブランド力を持った都市であることは言を待たないし、俺自身も東京・横浜・京都・金沢・尾道と並んで日本でトップクラスに大好きな都市である。

世界三大夜景の一つに挙げられると言われる夜景、西洋建築や街組みが織りなす街並みの美しさ、ハリストス正教会や厳律シトー会がもたらしたキリスト教文化、新選組ら侍が最期に散った地としての悲哀に満ちながらも強く心を引きつける歴史、開港都市として発展したハイカラな歴史と文化背景、魚介類の食材の豊かさ、周辺に大沼・恵山・追分ソーランラインといったすばらしい景勝地があること、本州と違った植生が織りなす風景から得られる強い感動など、その魅力を挙げればキリがない。

 

今回の訪問で函館という都市に感じた負の側面

しかし、日本中を旅し続け、かつ、自分自身も年齢を重ねていくと、全国各地とその地の比較、過去と現在の比較を肌感覚でしてしまうようになっていっている。

例えば、貧困等数々の問題を抱える沖縄県や強烈な人口減に苦しむ長崎市にもそういった特性があるのだが、函館市ほどその都市が得ている栄誉とその反面に見える影のコントラストが強く映る都市は珍しく思う。

日本中に衰退に悩む都市は数えられないほどあるのだが、函館にはそのコントラストをより大きく感じてしまうのである。

今回、街を歩いたり車で走ったりして、俺は以下のような負の要素を感じた。

 

  • 市の中心市街地にボロボロな家や売家・売地があまりに多すぎる。
  • 人口が少ない地方都市の駅前や中心商店街は寂れているが、函館は人口20万人を超える都市なのにも関わらず寂れているように感じる。
  • 五稜郭付近と函館駅付近はともかく、その間の区間の店のシャッターが週末であっても衝撃的なほどに空いていない。
  • 雪の影響もあるのかもしれないが、北海道の他の地域と比べてデコボコしている道が多すぎて全く補修が間に合っていない気がした。 
  • 街中に求人ペーパーがあったので見てみたら給与が驚くほどに安くて、かつ、週6日勤務の会社もちらほらとあったことに衝撃を受けた。
    「そんなの地方ではあたりまえだろ!」と言われればそうなのかもしれないが、社会保険料や税金を払って、車を買って、暖房費を払って…と考えると、それなりの仕事を得ないと住むには厳しいと感じた。
    例えば、東京区部で時給1,500円のアルバイトを探すのは難しくないが、1日8時間、月に20日働けば24万円、函館の週6日勤務の企業のように週に25日働けば30万円になる。
    しかし、函館における正社員募集の給与はこれよりずっと低いものが多かった。

 

前回俺が函館を訪れた2009年10月末の函館市の人口は284,516人だった。 

今年の2020年9月末の函館市の人口は252,647人で、11年間で11.2%も減った計算になる。

なお、最も人口が多かった1980年には345,165人もいたので、40年間で26.8%も減った計算となる。

しかも、函館市2004年に4町村を合併しており、それを合わせてもそれだけ減少しているのだから驚く。

なお、2040年の推計では18万人に減ると推計されており、60年間で47.9%も減る予測となっている。

そして、この現象の何が恐ろしいかというと、人口ピラミッドがとてつもないことになるということである。

これから日本の人口も同じように減っていくのだが、函館の場合は自然減だけではなく若年層の流出を伴うので減少率がより大きくなってしまう。

 

函館市から札幌や東京および近隣の北斗市七飯町に多くの人口が流出しているようである。

流出する理由を簡単に挙げてしまうならば、産業がない、条件の良い仕事がないということに尽きるのだろうと容易に想像できる。

なお、近隣の北斗市七飯町に流出する理由は医療費や税金が大きな理由となっているようである。

 

日本の人口推計は1980年は1億1,706万人、ピークは2008年の1億2,808万人、2009年に1億2,755万人、2020年に1億2,588万人、2040年に1億1,109万人(総務省の中位推計)となっていて、2040年にピークの2008年から13.3%減るとされるが、函館はピークの1980年比で47.9%、2009年比でも36.7%減ると推計されている。

札幌市の人口は微増を続けており、まだ減少には転じていない。

 

この調子で書くといくらでも書いてしまいそうなのだが、このあたりでまとめる。

前回訪問した2009年10月から31,842人、減少率にして11.2%減ったことによって街の衰退を強く感じてしまったのだが、これからさらに減少していくことを考えると、観光的にもブランド的にもこんなにすばらしい函館という都市の魅力をこれからも維持できるのか強く心配になったということである。

 

雑記

3日間の間に函館市内で函館空港を除いて6回食事をした中で、3店舗においては店員がマスクをしていなかった。

どの店がそうだったかと書く気もないし、マスクをしないことを悪いと述べるつもりもないが、北海道で新型コロナウイルス感染者が増え続けているなかで事実としてそういう状況を経験したということを書いておく。

 

また、今回、函館市内でかなり多くの修学旅行生を見た。

Go To Travel キャンペーンを用いての旅行だろうから親御さんの財布にもやさしいし、地域共通クーポンというスペシャルウェポンを手にして興奮しまくっている様子の修学旅行生を見て微笑ましい気持ちになった。

よく考えると函館ほど修学旅行に適した街はそうそうないように思える。

   

f:id:gooddays-shumai:20201030221050j:plain今回の函館訪問では3回も虹を見た