8月1日から3日間、パラ卓球の国際大会が東京の港区で開かれたようだが、ドイツの選手たちは、およそ1週間、東京に滞在し、大会前に電車に乗って街を観光したり、建設が進められている選手村の近くまで見学に行ったりしたとのことである。
以下はそれを報じた今日のNHKニュースの引用となる。
パラリンピックに7大会連続で出場している54歳のベテラン、ボルメルト・ヨッヘン選手は「駅でエレベーターの表示を見つけるのがすごく難しいと感じた。エレベーターがどこにあって、どうやって行ったらいいのか分かるような看板を入り口に出したほうがいい」と話し、障害がある人の移動に欠かせないエレベーターの表示の不十分さを指摘しました。
さらに「今のエレベーターの大きさでは車いすが2、3台しか入らないうえに数が少ない。パラリンピックで車いすの人が多く訪れると大変だ」と話しました。
また、リオデジャネイロ大会で銀メダルを獲得したグレーベ・シュテフィ選手は「ほとんどの公共の場で感じたことは、もっと多くの人が英語ができればいいということだ。すごく上手な人もいたが、全くできない人もいて、コミュニケーションをとるのが難しく、道を聞いた時に大変だった」と話し、町なかでの意思疎通の課題を指摘しました。
これに対して、俺が思ったのは以下のような感想である。
- エレベーターが少ないのは良くないだろうし、不便はかけてしまうだろうが、看板は出せたとしてもエレベーターは今からじゃどうにもならんだろうから仕方ない。
- オリンピックやパラリンピックの時には英語を話せるボランティアが活動するようだから少しは英語でのコミュニケーションを取れる人がいるんじゃない?それに俺なら人に聞かずにスマホなどで調べるけどなあ…。
- っていうか、日本と英語とでは言語構造が違い過ぎて、これだけ英語の授業で習ってもほとんどの人が話せないのだからどうにもならんし、それを指摘するのって差別ともいえるのではなかろうか。
この時に大切にしたいと思うのは、決してムッとせずに、まずは、相手の意見を受け止めること、そして、俺の意見は俺の意見として発するということだ。
何故に今回こんなにくだらないことを書いたかというと、俺自身が一瞬ムッとしてしまったからである。
つまり、これは反省文である。
- 感情的にならない。
- 相手を認めて相手の意見を受け止める。
- 相手の意見と違っていても堂々と自分の意見を述べる。
ということを心がけて、対人では当然だし、画面上のテキスト相手であっても感情のしこりを残さないようにしたいと思う。
ちなみに、俺は大学でドイツ語を履修させられたのだが、もはや何も覚えていない。
大学生の時にドイツやオーストリアに行った時にもドイツ語を話せないので拙い英語を用いたが、フュッセンの宿のおばあさんだけは英語がまるで通じず、ジェスチャーで乗り切った。
7年前にドイツを旅した時はバリアフリー事情はチェックしてなかったなあ…。また、確かにドイツの観光地では英語が通じた気がするなあ…。