GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる48歳仙人のつぶやき

シングルのトイレットペーパーを買って思ったことあれこれ

汚い話かつ長めなので要注意です。

 

いつもダブルを買っていたのに間違ってシングルのトイレットペーパーを買ってしまっていた。

これまでダブルしか買ったことがないのだが、シングルを食わず嫌いしていたのは次の3つの理由のためである。

1点目はダブルは巻く労力が半分で済むため、2点目は駅などのトイレのエンボス加工のないシングルに嫌悪感があるため、3点目は来客に貧乏臭いなと思われるのが嫌だからである。

とはいえ、来客など年に数回しかないし、ケチは美徳と謳っている俺がそんな小さいことを気にする時点でこの3点目が頭にあったことを逆に恥ずかしく思う。

 

しかしながら、実際にシングルを使ってみたらダブルよりも総量が少なくて済むのではないかということに気づいた。

ダブルの場合、2枚が重なっているのでその間に空気の層はほとんどないが、シングルの場合は畳んだ間に必ず空気の層が生じるため“ふかし感”が出て総量を抑えられるような気がしたのである。

もし、そうだとしたら節約とエコを兼ねられるのだから検証を深める必要がある。

 

そもそも、日本国内のウォシュレットトイレ(本来はシャワートイレと呼ぶべきだけど…)でトイレットペーパーを使う場合、紙にクソが滲むことがほとんどないのだから水だけで十分に尻がキレイになっているはずであり、仮にトイレットペーパーを持つ手に湿り気を感じたところで被害は軽微であるはずで、尻を拭くのにそう多くの紙を使う必要はないはずである。

なのにこれまではダブルで無駄に多くの紙を使ってしまっていたのではないかと思った。

 

ところで、国内でウォシュレットでないトイレを使うことなど年に1度ぐらいのものである。

どうしてもウォシュレットトイレがない場合は緊急避難的に用を足して、紙で拭いて済ませるが、その時であってもトイレットペーパーを湿らす余力があれば用を足す前に手洗い場で湿らせたトイレットペーパーを2セットほど作成して事に臨むわけだし、そうでなかったとしてもどこか近場でウォシュレットトイレを探し直して尻の洗い直しをする。

ウォシュレット生活によって紙だけで尻を仕上げるという現代人としての基本スキルを失ってしまったのはとても悲しいが、紙だけで済ますと摩擦で血が滲みそうだし、擦りすぎのせいか後で痒さすら感じるのだからどんどん尻穴が弱体化しているのだと思う。

先日、うちのご主人に「乾布摩擦せい!」と言われたばかりなのに、肝心の尻穴の乾布摩擦ができておらず情けないが、乾布摩擦そのものも言われた日にやっただけでその後はサボっている。

 

俺は東南アジアには結構行っているが、かの地ではウォシュレットがない代わりに便器脇にレバーとシャワーヘッドがあるホースがついていてあれで尻を洗うようになっていることが多い。

しかし、あれは勢いが強くて水量が多い割に先っぽの絞りが甘いせいか、あれで洗った後に紙で拭うとウォシュレットの時と違って完全に洗えていないことが多い。

水量は多いのにきちんと洗えず余計なところまで濡れるあのホースのダメダメっぷりは、ウォシュレット砲がいかに試行錯誤の職人芸で開発されているかということを際立たせている。

とはいえダメホースでも水→紙→水→紙と2回ぐらいやればキレイにはなる。

ティッシュをトイレに流さずバケツに入れろと書いているには全く慣れることがないが、基本的に外国人が泊まるホテルではそのようなことはないので日本以外の国では可能な限りホテルでしか用便をせず、用便をしたらシャワーを浴び直すという手で対処するようにしている。

外では緊急避難程度に留めるのは国内の非ウォシュレットの場合と同じである。

余談だが、俺はお腹が緩いほうなので普段は日に2回は用便をするのだが、旅に出ると何故か便秘になるので便利なことにほぼホテルだけで済む。

 

アジアの国でトイレットペーパーが置かれていないのはよくあることで、それは彼らがそれを使わないからなのだが、まだホースがある場合は許せると思う。

しかし水の入ったバケツと手桶しか置いていないトイレも多い。

日本人がそういうトイレに行った場合には手持ちのティッシュで尻を拭いて脇のゴミ箱に入れることになるのだが、水で洗いもしていない尻を拭いた汚い紙をゴミ箱に捨てることには大きな背徳感を覚えるし、かといって紙を流すなと書いているのだからゴミ箱に投入するしかない。

こういったトイレは利用しないに限るのだが、現地の人は右手で手桶に水を取ってその水を尻穴めがけて落としつつ左手の指先で直に触れながら黄門様を洗浄するという。

直に洗うのでしっかりとキレイになるし、尻にとっては紙で擦られるより10倍は清潔なので好感が持てるのだけど、左手で完全に触ってしまうということだけはどうしてもいただけない。

確かに左手を不浄の手として左手で他人に触れない、右手でカレーを食べて左手で尻を拭くという合理的なシステムができ上っていることは認めるが、どうしても気になってしまう。

百歩譲って手洗い場に石鹸があれば許せるが、しかしながらその石鹸を他人の左手が触ったかと思うと少しばかりの抵抗が残る。

 

抵抗というと、ウォシュレット砲にもその種の不安を抱く人がいる。

他人の尻穴に照射したウォシュレット砲が我が黄門様に放たれることに抵抗があるという人は多い。

そういう人の多くは鋼鉄の尻を持つ紙派である。

俺も昔は返り血ならぬ返りグソを怖れるがあまり、8割方を紙で仕上げて残りの2割をウォシュレット様にお願いするタイプだったのだが、当時は10割をウォシュレットに依存する者を激論の末に罵倒していた。

あれほど「拭い無しで放水してクソが周囲に飛び散ったらどうするのだ!」「お前のクソがノズルの上に落ちたら後で使う人に対してどう責任を取るのだ!」「道徳としてあり得ぬ!」と血相を変えて罵倒していたのだが、試しに10割をウォシュレット砲に依存してみてキレイになるものかと試したところ全く問題がなかったので、今は完全に10割依存人間となってしまった。

今となっては罵倒していた相手に謝罪したく思う。

また、ウォシュレットから放たれる水の衛生に関しての俺の見解なのだが、キャノン砲発射中にクソが落下しても必ずしや迎撃してくれるであろうとメーカー様の企業努力を信じ、かつ、発射後と発射前にノズル清掃を行うマシンの機構を信頼することにしている。

あとはなんだかんだ言って尻穴は左手ほどにはキレイでなくても許されるだろうという理論と、「汚いおっさん理論」で自分を言いくるめている。

 

「汚いおっさん理論」とは俺が昔から提唱している理論で、犬や猫と頬ずりをしたら人間にとってタチの悪い病気や菌をもらう可能性があるが、人間同士かつ清潔ならばたとえ見た目が汚いおっさんであっても犬よりはずっと衛生的であり、犬よりは見た目が汚いおっさんと頬ずりしたほうがまだマシという理論である。

なお、この理論は犬好きと女性にはとても評判が悪い。

俺はこの人間同士なら大丈夫という屁理屈的な理論を盾にウォシュレット砲が使用に耐えるだけの衛生水準を満たしていると信頼することとしている。

そうはいうものの、しょせん俺は潔癖症なので、自宅のウォシュレットのノズルの清掃は結構頻繁に行っている。

 

最後となるが、アジアで水で尻を洗って左手を汚すところまではかろうじて理解できるが、水で濡れた尻を拭かずにそのままパンツとズボンを履く習慣に関してはいくら南国とはいえ全く理解できないままである。

っていうか、若い頃、東南アジアとか中国とかインドとかを長旅して1泊数百円のドミトリーの宿に数多く泊まっているのだが、一体どうやって危機をしのいでいたのか、あまりに昔すぎるのと俺が弱体化・神経質化する前の屈強だった頃の話なのでよく覚えていない。

でも、中国の奥地で仲良くなった人の家でご馳走になった時、その家の便器の下で豚が飼われていて、そのトイレにクソした記憶とご馳走になった料理に豚肉の料理があった記憶は今でも残っている。

 

【2019年9月5日追記】

結局、この次に買ったトイレットペーパーはダブルでした…。

節約とエコより楽さと時短を取ってしまったのだと言えましょう。

 

f:id:gooddays-shumai:20201228193558j:plain植木の街である川口市安行あたりを散策した時に見かけたかわいい植木