ものすごい栄光や地位を得た人だとか、有名人だとか、スポーツなどの勝負に勝ち続けているような人のことを年々気の毒に思うようになっている。
スポーツにおける勝者と敗者のコントラストの激しさを見ていられなくなると言ったら甘すぎるかもしれないが、勝負というものの残酷さに対して虚しさに近いものを感じるのだ。
昔からそのように思うことがあったが、昔は勝負を見て熱狂できていたのだけど、最近は勝負を見て興奮するのがどうにも嫌である。
昔から格闘技観戦が好きで、好きが高じて自分まで格闘技をやって、今も格闘技を見続けている俺が言うのも難なのだけど、今は勝負より技を見ることに重点を置いている感じである。
運命の一戦で敗れたほうの気持ちを思うと見てられなくなる気持ちは強くなるばかりだ。
11月3日に行われるK-1での武尊選手とレオナ・ペタス選手の全てを賭けた大一番など、どちらにも負けて欲しくないから見る前から見ていられない。
日曜劇場「半沢直樹」が終了したが、権力争いほどうらやましくないものはないと思うし、そこまでして仕事にのめり込んで何のことかとも思う。
不正の断罪は必要とはいえ、一般論としては敵とみなす相手に倍返しをしても不毛な争いや復讐を生み出すだけである。
「倍返し」の後に建設的な未来は望みにくい。
余談だが、堺雅人氏は同じ中学校の先輩で、残念なことに俺の3学年上なので見たことはないのだけど、堺氏の同学年には河井案里氏がいたはずで、彼女も政治家になんぞなろうとしなかったらこんな顛末にならなかったのに…とも思う。
過剰な富も不幸の原因だ。
俺自身が幸せをかみしめるのは、気温が心地良い晴れた日、森・高原・水辺を歩いている時、甘いものを食べている時、サウナ&水風呂を出た時などだが、ずっと森の中を歩き続けることも、ずっと甘いものを食べ続けることもできないし、水風呂から出た快感も長続きしないし、最高の天気の日が毎日続いてもありがたみが減るだろう。
そう考えるだけで過剰な富は余計な心配を生みこそすれ幸せに資することはないとすぐにわかる。
何でもほどほどが一番である。
自由競争という仕組みは競争を宿命づけたシステムであり、我々はそのシステムのおかげで豊かな文明や暮らしを享受しているわけだし、投資業はその最たるものだから競争を敵視してはいけないと頭で強く理解しつつも稚拙な感傷が頭をもたげる。
世の中を見回して一番幸せそうに見えるのは平凡な中高年女性だ。
平凡と述べたが、これは悪い意味で言っているわけではない。
絶対数があまりに多いから平凡と述べたが、ある意味とても非凡といえる。
具体的に要素を列挙するならば、健康で、人当たりが良く、コミュニケーション力が高く、自慢ぶることなく、受け流す力が高く、多忙そうでもなく、家事力が高く、趣味があって、分別はあるのに無用な知識をつけ過ぎず、若い美人のように美しすぎもせず、家計経済的に困っていないような中高年女性を指すわけだが、これはどう考えても非凡でもある。
かといって、俺が中高年女性になりたいかといえばそうとは思えないのだが、その理由は母親であり妊婦というとてつもなく大変な存在を務めるのがしんどすぎると思うからである。
彼女たちの多くは子育てという大事業を行ってきたから有象無象を受け流す非凡な力を身につけているわけである。
母親として子供を産み育てることは生物としても第一義的に重要なことであり、社会生活的にもそれ以上に尊敬できることはそうそうない。
今年は芸能人の自殺が多いが、竹内結子さんの死には特にショックを受けた。
彼女の死に想いをいたしつつ、今日、ジムのサウナに籠ってぐるぐると考えたとりとめのない内容を家に帰って文章にしてみた。
葛西臨海公園で甥っ子達が釣ったカニ。もちろん後でリリースしましたよ
とうとうMIYASHITA PARKに行けました。屋外だからいいけど密です
渋谷横丁の中の密っぷりは俺の想定をはるかに超えていて「俺はまだここでは飲み食いできぬ…」と感じてしまった。わかっているけど銀座・丸の内・日本橋エリアと若者パワーが全く違う…
それにしてもすごい施設ができたものだと勝手に感慨深くなる
月曜日にものすごく晴れたので湘南へ。鎌倉から由比ガ浜へ
稲村ガ崎から江ノ島方向
稲村ガ崎の浜辺から北斎的な構図で…
こういう抜けるような空と涼しい風の屋外は最高ですね…
片瀬西浜から西側を見る。雲の後ろに富士山が見えるが写真では見えないかな。初冠雪だったそうな…。辻堂まで歩いてテラスモール湘南に寄って帰りました
本日の浜離宮庭園のキバナコスモス