GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

成功者への同情と中庸のすばらしさについて

ものすごい栄光や地位を得た人だとか、有名人だとか、スポーツなどの勝負に勝ち続けているような人のことを年々気の毒に思うようになっている。

スポーツにおける勝者と敗者のコントラストの激しさを見ていられなくなると言ったら甘すぎるかもしれないが、勝負というものの残酷さに対して虚しさに近いものを感じるのだ。

昔からそのように思うことがあったが、昔は勝負を見て熱狂できていたのだけど、最近は勝負を見て興奮するのがどうにも嫌である。

昔から格闘技観戦が好きで、好きが高じて自分まで格闘技をやって、今も格闘技を見続けている俺が言うのも難なのだけど、今は勝負より技を見ることに重点を置いている感じである。

運命の一戦で敗れたほうの気持ちを思うと見てられなくなる気持ちは強くなるばかりだ。

11月3日に行われるK-1での武尊選手とレオナ・ペタス選手の全てを賭けた大一番など、どちらにも負けて欲しくないから見る前から見ていられない。

 

日曜劇場「半沢直樹」が終了したが、権力争いほどうらやましくないものはないと思うし、そこまでして仕事にのめり込んで何のことかとも思う。

不正の断罪は必要とはいえ、一般論としては敵とみなす相手に倍返しをしても不毛な争いや復讐を生み出すだけである。

「倍返し」の後に建設的な未来は望みにくい。

余談だが、堺雅人氏は同じ中学校の先輩で、残念なことに俺の3学年上なので見たことはないのだけど、堺氏の同学年には河井案里氏がいたはずで、彼女も政治家になんぞなろうとしなかったらこんな顛末にならなかったのに…とも思う。

 

過剰な富も不幸の原因だ。

俺自身が幸せをかみしめるのは、気温が心地良い晴れた日、森・高原・水辺を歩いている時、甘いものを食べている時、サウナ&水風呂を出た時などだが、ずっと森の中を歩き続けることも、ずっと甘いものを食べ続けることもできないし、水風呂から出た快感も長続きしないし、最高の天気の日が毎日続いてもありがたみが減るだろう。

そう考えるだけで過剰な富は余計な心配を生みこそすれ幸せに資することはないとすぐにわかる。

何でもほどほどが一番である。

 

自由競争という仕組みは競争を宿命づけたシステムであり、我々はそのシステムのおかげで豊かな文明や暮らしを享受しているわけだし、投資業はその最たるものだから競争を敵視してはいけないと頭で強く理解しつつも稚拙な感傷が頭をもたげる。

 

世の中を見回して一番幸せそうに見えるのは平凡な中高年女性だ。

平凡と述べたが、これは悪い意味で言っているわけではない。

絶対数があまりに多いから平凡と述べたが、ある意味とても非凡といえる。

具体的に要素を列挙するならば、健康で、人当たりが良く、コミュニケーション力が高く、自慢ぶることなく、受け流す力が高く、多忙そうでもなく、家事力が高く、趣味があって、分別はあるのに無用な知識をつけ過ぎず、若い美人のように美しすぎもせず、家計経済的に困っていないような中高年女性を指すわけだが、これはどう考えても非凡でもある。

かといって、俺が中高年女性になりたいかといえばそうとは思えないのだが、その理由は母親であり妊婦というとてつもなく大変な存在を務めるのがしんどすぎると思うからである。

彼女たちの多くは子育てという大事業を行ってきたから有象無象を受け流す非凡な力を身につけているわけである。

母親として子供を産み育てることは生物としても第一義的に重要なことであり、社会生活的にもそれ以上に尊敬できることはそうそうない。

 

今年は芸能人の自殺が多いが、竹内結子さんの死には特にショックを受けた。

彼女の死に想いをいたしつつ、今日、ジムのサウナに籠ってぐるぐると考えたとりとめのない内容を家に帰って文章にしてみた。

 

gooddays.hatenablog.jp

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f:id:gooddays-shumai:20200929175414j:plain葛西臨海公園で甥っ子達が釣ったカニ。もちろん後でリリースしましたよ

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175443j:plainとうとうMIYASHITA PARKに行けました。屋外だからいいけど密です

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175505j:plain渋谷横丁の中の密っぷりは俺の想定をはるかに超えていて「俺はまだここでは飲み食いできぬ…」と感じてしまった。わかっているけど銀座・丸の内・日本橋エリアと若者パワーが全く違う…

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175523j:plainそれにしてもすごい施設ができたものだと勝手に感慨深くなる

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175543j:plain月曜日にものすごく晴れたので湘南へ。鎌倉から由比ガ浜

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175600j:plain稲村ガ崎から江ノ島方向

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175619j:plain稲村ガ崎の浜辺から北斎的な構図で…

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175638j:plainこういう抜けるような空と涼しい風の屋外は最高ですね…

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175658j:plain片瀬西浜から西側を見る。雲の後ろに富士山が見えるが写真では見えないかな。初冠雪だったそうな…。辻堂まで歩いてテラスモール湘南に寄って帰りました

 

f:id:gooddays-shumai:20200929175720j:plain本日の浜離宮庭園のキバナコスモス

 

仙人が都心に住むメリットについて

新型コロナ禍によって広まったテレワークによって都心に通勤する人の数は減っているだろうし、人が多くて家賃の高い地域に住むメリットを感じないという人が多いという話も聞く。

東京の人口がかなり久しぶりにマイナスになった月があったという報道があったが、これについては外国人の流出増および流入減、大学生の入学による人口増がストップしているということによるマイナス分で数字的に説明がつくため、実際に地方に移住をした人はかなり少ないのではないかと思われる。

我が家の場合、2月以来ずっとテレワークでありながらも、うちのご主人が地方に住むのを強く嫌がっているため、仙人生活を送る俺がどんなに地方に住んでみたいと思っても都心を離れられないのであるが、今回は俺にとっての都心に住むことによる決定的なメリットについて述べたい。

結論は文末に述べるが、以下、都心暮らしと地方暮らしについて思うことを述べていく。

 

地方は駐車場代が安いので車を持ちやすいし、車があればどこにでも行けるが、都心だと車を駐車するコストがバカらしいので持つ気になれず、簡単には車を持てないという大弱点がある。

なお、俺は車を所有したことが一度もないので、車を所有する生活を体験してみたいという願望は常にあるが、レンタカーは頻繁に借りている。

また、地方都市に住んでいればイオンモールや大型スーパーやホームセンターなどの大型店に車で乗りつけて豪快に買い物をできるし、荷物の持ち帰りも楽なのだが、都心だと小さめのスーパーしかなく、移動手段も自転車か徒歩なので、地方都市と比べるとかなり不便である。

その代わり、都心住まいをすると徒歩移動や自転車移動を余儀なくされるため、強い足腰が維持されるが、この要素は長期的なクオリティ・オブ・ライフに相当な影響があるだろうと強弁させていただく。

 

なお、地方では物価に高い地代や人件費が乗らない分、都心より幾分かは物価が安いだろうと想像するが、俺の生活圏におけるモノの価格はそんなに高くない。

その代わり、人の手によるサービスへの対価は人件費の分、地方より高いのではないかと思うが、俺が人の手によるサービスを受けるのは外食と散髪と病院程度である。

なお、松屋サイゼリヤの単価は都心も地方も同一である。

地方や東京郊外の人が物価が安いことを自慢をしている文章をやたらと目にするし、時には「食費は半分」などと書いた幼稚な煽り文を見受けることすらあるが、生鮮品は特売日に主婦に人気の小規模スーパーに行き、肉はハナマサナショナルブランドはオーケーストアなどと店を上手に使い分ければ都心に住んでいても十分に安く調達できる。

特に俺が地方に出向いた際にスーパーの物価を調査してみてもオーケーストアより安い店を見かけることはまずない。

むしろ競争がない分、ド田舎には都心より高いスーパーすら見受ける。

鮮度云々という点にしてもうちの近くのスーパーにはその日の朝に採れたというレタスが毎日並んでいるし、車で買い物をできないのでまとめ買いができず、買って食べるまでのサイクルはむしろ短いはずである。

都心での買い物に必要なのは自転車で店を回る体力と時間だけなのだが、あまりがんばるのも大変なのでハナマサやオーケーストアに行くのは覚悟を決めた時だけで普段は近くのスーパーで買い物を済ませている。

 

都心の大きなデメリットは端的に言えば家賃の高さ・緑の少なさ・山が見えないことだが、我が家はローンの返済が終わっているとはいえ、仮に貸せばそれなりの家賃が得られるわけだから、そういう意味では高い帰属家賃を払っていることになる。

緑が少ないことも事実で、この点は個人的には大きなストレスだが、信号を渡らずに年パスを持つ浜離宮庭園にアクセスできるし、頻繁に郊外に出かけているのでそれで我慢している。

海が近い反面、広い関東平野にあってビルだらけの東京にある我が家から山は全く見えないが、山を見ると心が癒される俺としてはとても悲しい。

しかも、数年前は家の窓から富士山の一部が見えていたのにビルが建って見えなくなってしまって余計に悔しい。

 

なお、石原慎太郎都政最大の成果であるディーゼル車排ガス規制によって東京の空気が格段に良くなったのと、大陸からのPM2.5がほとんど来ないため、東京の空気が悪いと感じることはめったにない。

この点は地方在住の人が勘違いをしているようなので強調しておく。

 

多くの人にとって都心に住む大きなメリットといえば、ビジネス面だと思われるが、俺には給与所得も事業所得もないので業種や収入面で東京にいるメリットは皆無だし、通勤もない。

 

ここまで都心に住むことのデメリットを中心に述べてきたが、以下はメリットについて述べる。

まず、地方や東京の西側を歩いていて嫌だなと思うことがあるのは、歩行者のことを考えているとは思えない道が多すぎることなのだが、都心や東京の東側では歩道がしっかりと整備されている。

地方では自転車や徒歩で移動することを想定していないし、実際にほとんど車しか通らない道が多いだけだと思うが、東京の西側は都市計画の遅れや立ち退かない住民が多いことによって道路事情がこの上なく劣悪になっているのはあまりに残念である。

 

俺の最大の趣味である街散策をするのには都心や大都市圏が適している。

いくら緑豊かな地方都市でも、ある程度の都市圏人口を抱えていないと散策を楽しめるエリアが限定されてしまうし、歩いていてもすぐに飽きが来てしまう。

なお、都心から電車に乗って散策に行く場合、通勤者と行き来が逆になるため、行きも帰りも電車が空いている。

都心に住んでいると、都内の美術館や公園だとか、渋谷・新宿・浅草・下北沢・吉祥寺・谷根千といった特色のある繁華街や、横浜・鎌倉・湘南・多摩丘陵武蔵野台地といった郊外などお出かけ先に事を欠くことがない。

旅行に関しても羽田空港や成田空港や新幹線網を使ってどこにでも行きやすいし、高速道路網も放射状に延びているので渋滞時刻を外せば利用しやすい。

 

地方都市に住んで車を持ってイオンモールやロードサイド店舗を回る生活はとてつもなく便利だと思うが、都心での生活は不便でも情緒があるし、飲食店や小売店の種類や階層が多彩で、言うまでもなく数も膨大である。

洗練されたストリートや、多額の費用が投入された旗艦店舗や、とんでもなくムーディーな飲食店群の前を散策していると1円も使っていないのにとても気分が上がるのだが、この感覚は地方都市のロードサイドでは味わいにくいものであり、これこそが都心に住む大きなメリットなのではなかろうかと感じている。

俺は、丸の内~日比谷~有楽町~銀座~京橋~日本橋と続くエリアの徒歩圏に住んでいるが、飽きという感覚とは一切無縁でいられるし、たまに渋谷~原宿~表参道~青山~六本木と続くエリアに出向いて歩けば全くお金を使わなくても気持ちが満たされる。

前回にも述べたが、新しい施設が次々とオープンするのも都心の魅力である。

都心は地方都市より不便だけど楽しいのである。

 

あと、隣に住んでいる人のことについて名字と顔と家族構成ぐらいしか知らなければ、近所にも知り合いは一人もおらず、町内会との関わりも全くないというのは都心住まいならではの特徴といえるが、地縁ゼロということを良いと思うか東京砂漠と思うかは人次第だろうと思う。

それと、良くも悪くも東京には虫は少ない。

  

余談。

連休前の金曜日は南房総をドライブした。

下はその写真。

 

photos.google.com

 

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f:id:gooddays-shumai:20200922152240j:plain銀座メゾンエルメスのディスプレイはシュールだがラブリー。「寿司イノベーター」という作品らしい

 

f:id:gooddays-shumai:20200922230508j:plain昨夜、友人夫妻とフリーフローのハイティーを楽しんだインターコンチネンタル東京ベイのニューヨークラウンジ。人が少ないタイミングがあったので撮った。密とは無縁だが、新型コロナ禍後に友人と会うのは初めて。