GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

現在の日本の労働環境について

最近になって、やっと正社員の数が増えたと報じられた。

しかし、近年、「リストラが進み企業が筋肉質になった」と言われることが多いのは、正社員が減り、非正社員が増えてきたことによって組織がスリムになったからに他ならない。

 

もちろん、日本の労働生産性は先進主要7ヵ国の中で最下位であり、製造業以外の産業の労働効率は著しく低いため、業務の効率化が進むことは大いに良いことだし、また求められることだと思う。

 

しかし、この流れが生み出している現実はちょっと悲惨である。

統計の結果を見てもそうだが、感覚的にも正社員一人当たりの仕事量と実労時間は間違いなく増え続けている…。

ニートみたいな生活を2年近くしているので最近のことは詳しくは知らんのだけど…。

そして、非正社員はどんどん使い捨て感覚で使われていく傾向にある…。

 

まず、前者から述べる。

デフレの時代だから、値下げ競争の消耗戦が企業間で激しく繰り広げられ、働いた割に、売上額や利益額はそれほど伸びていない。

また、伸びているのは企業の収益力だけで、勤労者の所得は増えていない。

残業についても、その実はサービス残業だったり、みなし残業が恒常化したりしているため、社員が疲弊していくだけで、その数字はどの計数指標にも反映されない。

特に、時代とともに営業時間が長くなる傾向にあるサービス業界におけるそれは顕著であろう…。

 

会社のためにサービス残業をする感覚は、残業手当が完全に払われていて平社員時代は普通に働き、昇進して残業手当がつかなくなると毎日17時半に帰っていた私にはわからないが、サービス残業をしている人の心のすさみかたは半端なものではないのではないかと想像する。

 

また、日本企業では、幹部でもなんでもない人に対して、人の生活環境を根底から変えてしまう転勤が、他の国では考えられないほどに常態的に行なわれている。

私は、「生活に仕事を合わせるのが筋で、仕事に生活をあわせるのはやなこった!」と強く思う強情な性格で、また、多くの友人や親しんだ街から離れて転勤をするなどということは絶対に考えられないため、仮にそう言われたら躊躇せずに会社を辞めるタイプの人間だが、世の中には家族を養うためなどの理由で不本意ながらもこれに応じている人が多数いるわけである。

日本企業はもっと個人の幸せについて真面目に考え、必然性のない転勤については行なうべきではないだろう。

 

非正社員はどんどん使い捨て感覚で使われる傾向にあるという件だが、これについては言うまでもない。

 

また、最近は中高年のフリーターが劇的に増えているという。

例えば、アメリカでは安い物の物価がかなり安いため、かなり低所得でもそれなりにやっていけるというが、日本においては、フリーター的な仕事で家族を普通に養うことは難しいと言わざるを得ない。

 

「この程度の収入では家族を養えない…」ということに対するあせり、単に時間の切り売りで何の技術向上をも伴わない労働を続けることへのあせり、いつ仕事を打ち切られるかわからないことへの不安感、がんばっても待遇や仕事内容が変わらないことへの不公平感…これだけの負の要件が揃えば心がすさむ人も多いであろう。

 

また、正社員にも、育児などを考えて、労働時間も給料の従来の半分というような勤務形態で働く人が出てきても良いと思う。

そして、正社員と非正社員とでは雇用・給与体系だけが違うという程度の違いにとどめておくべきで、がんばりに応じてそれなりの仕事を任され、それに応じた待遇が得られるような社会になるべきであろう。

少なくとも大卒以外の人のチャンスが大きく制限される今の世の中は尋常でないというかどうにかしている。

ヨーロッパの同一労働同一賃金という概念が日本に入ることを望みたい。

 

希望格差社会」という本が出版されて以来、このキーワードが語られることが多いが、非正社員が家族を養えない状況が続く限り、非正社員が時間を切り売りする労働から脱却するすべを得られない状況が続く限り、希望格差の壁は埋まらないだろうと思う。

 

なんか、こんなに大きすぎるテーマなのに、大して考えもせずに勢いで書いてしまい、読むに耐えないものとなってしまいました…。

申し訳ございません…。

ちなみに、私は「希望格差社会」という本を読んでおりません。