GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

三陸旅行記

2023年10月7日~9日に三陸を旅してきた。

日本中、津々浦々まで旅していると自覚をしているのだが、実は気仙沼以北の三陸に行くのは初めてである。

何故初めてになったかといえば、三陸が仙台や盛岡といった都市部から遠く、また、リアス海岸があまりに南北に長すぎて、その地形ゆえに道路もくねくねとしていて、さらに見どころが少ないように思えたからであり、かつ、東日本大震災からの復興をある程度待つ必要があったからである。

これだけ行くのをためらう地域は珍しいのだが、復興のシンボルともいえる高速道路である三陸沿岸道路(仙台~八戸間)の359km区間が2021年11月に開通したことによって「これなら回れるじゃん!」と思ったので出かけることにした。

しかもこの高速道路は仙台周辺以外は全線無料という太っ腹ぶりなのである。

それと、先ほど「見どころが少ないように思えた」と述べたのだけど、皮肉なことに東日本大震災が起きたことにより国を挙げた復興事業が行われた。

そして、震災の爪あととともにその復興の状況を見に行くということが観光の最大の目的となったのである。

 

遠方に旅行をする場合、航空機と新幹線を使うパターンがあるが、ツアー商品などを駆使することにより大幅な割引を受けやすいのは航空機なのだけど、こちらは連休には料金が跳ね上がる。

一方、新幹線は「えきねっとトクだ値割引」に当選すれば割引を受けられるもの、しょせんは独占企業JRの殿様商売だから割引幅が少ないのが難点だが、連休でも運賃が変わらないという長所があるので、連休には新幹線での旅行を選ぶことが多い。

そういうわけで3連休に新幹線で仙台に行ってから三陸を旅することにした。

それにしても新幹線の料金というのは他の交通手段や私鉄料金と違って高すぎるよな~と乗るたびに思う。

 

仙台から八戸まで車で三陸を縦断したいと思ったのだが、仙台でレンタカーを借りて八戸で返して帰京する方法と、仙台→八戸→仙台と車で走って仙台から帰京する方法があるが、三陸沿岸道路は片道359kmもあって、車で往復するとなると戻りの1日はほとんど走りっぱなしになってしまう。

でも、高額な乗り捨て料金+八戸→仙台間の新幹線料金と、戻りのガソリン代+車で戻る時間と労力のロスを比較して、ケチな俺は後者を取ることにした。

同じ高速道路でも北行きと南行きとでは見える景色が違うだろうし、時間の調節もしやすかろう…と強がることにしたのだ。

また、この判断をするうえで、三陸沿岸道路が無料というのは決定的な要因になった。

 

以下が、今回の写真となる。

各所の感想についてはこちらに記してあるのでここでは述べない。

 

photos.google.com

 

なお、以下は2013年に山形県宮城県を回った時の写真なのだが、当時の復興とは程遠い状態の気仙沼の写真を載せている。

 

photos.google.com

 

なお、旅行中にインバウンド客らしき人を全く見なかったし、秋の3連休でも観光客でにぎわっているようには思えなかったが、知名度の低さという要素が大きいものの、あまりに不便だからというのがその大きな理由だろう。

また、この地域における南北間の移動は、くねくねとした国道を走るか、山をぶち抜いたトンネルが続いてろくに海が見えない高速道路を走るかというパターンになるが、高速道路を用いても都市間の移動距離が長く、また、リアス海岸といえど、長崎や瀬戸内や伊勢志摩や仙台に近い松島と比べると景観の質が劣るし、さらに堤防が多くて視界も悪いので純粋な観光地としてのレーティングは低めになってしまうのだが、全ての地域が観光で生きる必要などないのだからそれはそれで良いだろうと思う。

 

ここからは三陸地方に対してネガティブなことばかりを書くので、そういうのを読みたくない方は読まないようにしていただきたい。

 

東日本大震災の復興事業に関して大枠で反対する人はいないと思うのだが、2037年まで通常の所得税に2.1%もの税金を上乗せして復興特別所得税が徴収されていることを自覚している人は少ない。

真面目に計算すると毎年相当な額を取られていることに愕然とするのだが、それでもそれが納得のいく使い方をされているのであれば許容できると思う。

東京電力福島第一原子力発電所の事故において大きな被害を被った地域と、津波の被害で大きな被害を被った地域とで思うことも違うだろう。

東北電力女川原子力発電所が起こさなかった事故を東京電力福島第一原子力発電所が起こしたことに対して、首都圏の住民は福島の被災者に対して大きな原罪を抱えている。

「本当に申し訳なかった。できる限りの補償が必要だと思う」という気持ちを持って東京から補償金(現地の復興費用よりも個人へ補償金)を流してもらいたいと思ってきた。

とはいえ、処理水放出までひたすらゴネ続けて多額の補償を貰い続けてきた漁業関係者に対しては、辺野古基地前に座り込んでいるような人々やリニア新幹線を阻止する静岡県のクソ知事と同じく、そんな気持ちは全く起きない。

 

話を三陸地方に戻すが、津波の事故に関しては「津波の被害には本当に心が痛むし、震災がれきの除去などに力を注ぐ必要はあったが、防潮堤整備などに巨額の税金を投じてまでまたその危険地域に住む必要はありますか?」と思う人もいたのではないかと思う。

俺はその一人だ。

東日本大震災によって人間の無力さをこれでもかと思い知らされたのだが、さらに今回の視察を経てこのような疑問を持った。

400キロメートルという気が遠くなるほどの距離に渡って、リアス海岸が続く三陸地方の入江という入江を国民から召し上げた多額の税金を投じて防潮堤で埋め尽くす必要はあったのか?という疑問である。

「え~!」と思うほど小さな入江にまで巨大な防潮堤が張り巡らされていて、しかも防潮堤の内側には畑だけで人家がないというパターンがあまりに多くて衝撃を受けた。

どう考えても作るために作ったものだとしか思えなかった。

ここがリアス海岸でなければ堤防には広大な後背地を守る役割があると思うのだが、ここではすぐ後ろに山が迫っていて堤防が守るべき後背地があまりに狭く、あまりに過疎なのである。

 

自民党という政党は「国土強靭化計画」などとぬかして、入江という入江に巨大な防潮堤を作りまくり、家が建つかどうかもわからないのに高台に宅地の造成をガンガン進め、旧来の道路の復旧に加えて333キロメートルに渡る無料の高速道路を別途整備した。

秋の3連休に無料の高速道路を使って渋滞はおろか一度の混雑にも見舞われなかったのだが、「何故に無料にしたのか、何故、無料にしてもガラガラなのか、この優遇ぶりは一体何なのか?」財務大臣に問いたいのだけど、三陸地方を走っていてやたらと財務大臣のポスターが目に入った。

この地方が選出した国会議員が財務大臣をやってるのかと思うとマジで嫌になる。

 

俺は安倍さんも菅さんも大好きだけど、自民党という田舎政党のこういった部分がどうしても感情的に許せないので、たとえ自民党の政策に一番賛同できたとしてもその次に賛同できる党に入れると決め、国防や体制の大問題でも発生しない限り、自民党には投票しないと昔から決めている。

俺の故郷の宮崎県でもどう考えても元を取れない高速道路がどんどん作られ続けている。

今、ネット上で大きな支持を集めている安芸高田市の石丸伸二市長は「安芸高田市ではインフラ資産の更新が大きな課題」と強い口調で言い続けているが、日本中の過疎地において持続可能性が大きな問題となっているのは間違いない。

過疎地における公共土木事業は新設ではなく、補修とスモールタウン化によるダウンサイジングを主な事業にするように転化していくしかないのである。

あと20年もすれば残らず死んでしまうジジイどもに遠い未来のことを決めさせて良いはずがないのである。

 

国民から多額の復興特別所得税を召し上げて、ほとんど人が住んでおらず、すぐ後ろに急峻な山がある猫の額のような入江に巨大な防潮堤を作りまくって自民党はどう申し開きをするつもりなのだろうか。

一般的にコンクリートの寿命は100年かそこいらなのだが、潮風や雪にさらされる過酷な環境で、かつ、ろくにメンテナンスもされなければ劣化のスピードはさらに早まるだろうと予想できるが、100年後に人がほとんどおらず、朽ち果てた巨大な防潮堤ばかりが残っているディストピアがありありと思い浮かぶ。

こんなことを言っては身も蓋もないが、そもそも三陸地方は漁業従事者以外の人が住むには極端に不便で、いくら復興に巨額をつぎ込んで、考えられないような優遇措置を施してまくっても絶対に衰退は避けられないだろうと現地で感じた。

 

なお、俺は国土強靭化の全てが悪で不要と言うつもりはない。

費用対効果を考えて欲しいと思うだけなのだ。

東京都心に住む者のわがままな意見かもしれないが、大都市を守るのに防潮堤を作るのであれば納得がいくし、地方でも市街地におけるインフラの耐震補強や住宅地周辺を流れる河川堤防の決壊を防ぐための整備事業は必要だと思う。

ただ、三陸の防潮堤を見て回って、この工事の意義にはどうしても疑問を感じずにはいられなかった。

宅地造成をして高地移転をしている場所もあるが、費用便益は低くてもこれならまだ理解できるし、防潮堤でも市街地を守るものなら納得できるが、俺が見て回ったものの多くは到底納得のいくものではなかった。

また、女川にせよ、南三陸にせよ、陸前高田にせよ、防潮堤を整備したは良いが、低地には公園や簡易な商業地や産業用途の施設があるだけで住宅は高台のほうに作ってあった。

 

なお、各被災地や陸前高田市東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」では、震災被害の悲惨さや復興の過程について学ぶことができ、また、復興した街の様子、特に新しい建物しか建っていない地域を数多く見て、この12年間の年月のことをあれこれ感じずにはいられなかった。

この地域に住む方々に対してネガティブな感情は全くなく、俺がネガティブな感情を持ったのは自民党政治と官僚機構と利権業界や団体に対してなのである。

 

長らく観に行きたかった北山崎の景観