GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

「リアル・現地」鑑賞と「映像・自宅」鑑賞

新型コロナウイルス禍の前から、スポーツやライブや映画をリアルに現地で観るより、映像を自宅で観るほうが楽でいいと思っていたが、その傾向にますます拍車がかかって、費用の面でも手間や時間の面でも安上がりになる一方である。

現地だと、行くのに手間はかかるわ、費用はかかるわ、混雑が苦痛だわ、小さくしか見えないわ、理想のアングルで観られないわ、快適な環境で観られないわ…と面倒くさいことばかりなので、現地より自宅で観たほうがええわなと思う。

そのように述べつつも、観客が少ないイベントをテレビで観たくないので(東京オリンピックぐらい割り切れていればそれはそれでいいのだが…)、現地を盛り上げて舞台装置を整えてくれている方々にはものすごく感謝をしている。

 

また、だんだんと「スマホ脳」になって、ほんのわずかな空き時間すら脳が我慢できないようになってしまっているため、イベント自体が待ち時間が多くて退屈を強いられるものだと感じてしまう。

音楽ライブやサッカーならともかく、野球や格闘技などは待ち時間ばかりである。

特に酷いのが相撲で、今の時代に途中でスマホを一切眺めずに全ての取り組みの仕切りをきちんと観ていられる人がどれぐらいいるのだろうかと思う。

そもそも、どんなスポーツであれ、現地よりもテレビのほうが圧倒的に観やすい。

立ち技格闘技ならともかく、寝技なんか、「みんなリングじゃなくてスクリーンを見て技が極まったかを確認しとるやないか~い!」と会場の様子を見てツッコんでしまう。

野球場のVIPルームなど選手は点でしか見えず、ほぼモニターで観るわけだが、野球場に出向かなければならない手間を考えるとあらゆる面で自宅に軍配が上がる。

 

そもそもスマホ脳が深刻化すると、等速というものに対して暇を持て余すようになる。

それどころか、2倍速で音声コンテンツを聴いていても、それだけではかなり暇を持て余してしまって、ながらで別の作業をするか、スマホでニュースチェックでもしていないと聴くだけではとても間が持たない。

だから講演を聴きに行くのとかは俺には無理である。

なお、2倍速で音声コンテンツを聴きながらニュースチェックはできるのに、昔から音楽を聴きながら本を読むことはできないのだが我ながら不思議に思っている。

等速で聴くのが苦手な俺も、映画とドラマだけは等速再生で観るようにしているのだが、先日終わった「VIVANT」のように、コマ割りが多く、ひと時も目が離せない作品はそうあるものではなく、等速だとやはり脳が暇を持て余してしまう。

もちろん制作する側もそれはわかっていて、最近の作品ではそうさせないような工夫がなされているため、暇を持て余さずに済むことも増えている気がするが、どちらにしてもこちらの集中力が続かないため、小休止を挟まずにずっと観続けることができないという問題も発生するようになってしまっている。

途中で観るのを止めて、スマホでXやニュースや為替や株価などを見て、果物を食べて、またドラマに戻るというような小休止を幾度となく繰り返してしまう。

そういうのが嫌だから映画館に行って強制的に観る苦行を自らに課すという人も多いのだろうが、個人的には映画館という仕組みはほぼ終わってるなと思う。

 

そもそも映画館の価格が異常に高いので、「どうせ1年後とかにサブスクで観られるのであればその時でいいや…。観られないならそれはそれでもいいや」と思うし、タイパ重視の世の中に始まる前の広告が10分以上続くのは「映画泥棒」ならぬ時間泥棒が過ぎるし、映画館に出向くのも面倒なら、開始時間に合わせて入らなくてはいけないのもかったるいし、トイレの心配や隣に座った人の運もあるので、余程観たい映画でもない限り、映画館で観る気にはならない。

そもそもこちらは暇人代表なのにも関わらず、恐ろしいほどたくさんの「観たいけど観る時間が取れない」サブスクコンテンツに追われまくって生きているのだ。

このところで、どうしても映画館で早く観たくて行ったのは宮崎駿の「君たちはどう生きるか」だが、あとは「トップガン マーヴェリック」や「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」のように、「これはIMAXや3Dで観ておきたいな…」と思ってしまうような作品になってしまう。

なお、映画と似たような料金で自宅で観られるというのであればそっちを選ぶ人も多かろうと思う。

 

臨場感だけなら家でオキュラスクエスト2を装着して観ても似たようなものだと思うのだが、さすがにあれを2時間つけ続けるのはしんどい。

装着性が快適になったらVR劇場が映画館に取って代わるだろうとも思うのだけど、そもそも最近は画面の大きさや臨場感が昔より重視されなくなっている気すらする。

音に関しての臨場感は俺が持っているソニーノイズキャンセリングイヤホン「WF-1000XM4」でも十分に得られるのだけど、映画やドラマもスマホ画面で十分という人がかなり多い。

俺は画面が大きいに越したことがないと思うし、スマホの小さい画面で作品を観るのは倍速で観るとの同じく、作品に対する冒とくのような気がしているので、NetflixAmazon Prime Videoのようなサブスクは大画面のテレビで観ることが多いのだが、もはや少数派だろうと思う。

妻はベッドに寝転がってスマホで動画やドラマを延々と観続けている。

 

俺は生まれてこのかたアイドルや俳優に入れ込んだ経験が一度もないので(アーティストを含めても入れ込んだのはビートルズぐらい)「推し活」をする人の気持ちがわからないし、ライブに行って観衆と感動を分かち合いたいという気持ちも特に湧かない。

ポール・マッカートニーマライア・キャリービヨンセや藤井風を「一度は現物をこの目で見てみたいな」と思って聴きに行ったりはするのだが、「音はスピーカーよりイヤホンで聴いたほうがいいんだよな~」と無粋なことを思うほうで、生演奏の迫力を楽しむジャズとかでもない限りライブに行く意義はそこまでないと思っている。

生演奏以外にミュージカル(特にオーケストラ生演奏のもの)は現地で観たいと思うのだが、他はそんなに「リアル・現地」でなくてもいいかな~と思うというのが今回述べたかったことである。

 

あと、先日、阪神タイガースが優勝して盛り上がっていたが、人が編成したチームをあそこまで応援できるのってすごいなとも思う。

選手個人を強く応援する気持ちや、国を代表するチームを応援する気持ちはまだわかるのだが、人が編成して時代とともに変化するチームを長年に渡って熱く応援し続けられる感覚は俺にはない。

王監督が率いて、斉藤・杉内・和田・新垣・寺原が投げ、川崎・井口・松中・城島・小久保が打っていた頃のホークスはとても魅力的なチームだったので応援していたが、今のホークスはろくに観ていない。

そもそも、俺はチームスポーツを真面目にやったことがないし、何事においてもあまり人と分かち合えない人種なのだと思う。

そういった人間だからこそ「リアル・現地」で観るのが向かないのだとも思う。

俺は一人で美しい景色を現地でリアルに眺めて静かに感動するので別にそれでいいのである。

 

「リアル・現地」よりももっと理解できないのがパブリックビューイングである。

集まって知りもしない群衆と一緒に喜びを分かち合う意味がわからない。

パブリックビューイングとは言わないが、先日の阪神タイガースの「アレ」の瞬間の道頓堀の光景の映像は個人的には衝撃的だった。

なんと、「アレ」の瞬間にほとんどの人がスマホを上に掲げて映像を撮っていたように見えたのだ。

あれを見て個人的には酷くがっかりした。

スマホだとかデジタルカメラというツールの誕生によって、人は今の瞬間を味わうことよりも、後で見返す、もしくは友人らとSNSで共有することを重視して生きる惨めな存在になってしまっているのではなかろうかと思ったからである。

スマホで撮っている人間たちがお互いを撮り合うことほど主客逆転的で間抜けな光景はそうそうないだろう。

 

まあ、そういう俺自身、海外でカウントダウンを迎える瞬間にはその様子を映像に収めるようにしているのではあるが、俺個人はカウントダウンなどどうでも良いと思っていて(だから日本にいないわけだし…)、単にその国のカウントダウンがどんな感じだったかという記録を残しておきたいから撮っているわけで、阪神優勝の瞬間とはちょっと違うと自分では思っているのだが、そう言ってはご都合主義が過ぎるだろうか…。

 

9月中旬に妻の実家に帰りがてら、長野県東御市の池の平湿原へ。上から湿原と下界を見下ろす

湿原の標高はちょうど2,000メートル。下界はかなり暑いが別世界の天国

翌日。上田市の菅平牧場にて。こちらも涼しい

姨捨(おばすて)の棚田。稲穂の時期に訪れたのは初めて。下界は暑いので夕暮れ時に訪問

自分の陰が邪魔だけど、この上なく情緒的な光景

上から千曲川長野盆地を見下ろす。姨捨駅は日本三大車窓の一つでもある

ずっと雨と曇りだったのに夕暮れ時だけ太陽が見えた9月21日の夕陽

9月24日の浜離宮庭園彼岸花

やっと涼しくなってきたので、9月24日は湘南へ。鵠沼江ノ島と歩き、鎌倉高校前駅近くの踏切で外国人観光客を横目に見る。女性の誘導員が立っていた

フォトスポットは七里ヶ浜まで至る

坂の下の消波ブロックにはカモメ・トンビ・鵜がたくさん。こういうのは絶対に「リアル・現地」がいい!

由比ガ浜でカラスの集会。動画をYouTubeチャンネルに上げました

11月にオープンする麻布台ヒルズも仕上げの時期か…