これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にもできない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばだが…。
上記はウィンストン・チャーチル卿の有名な言葉だが、この言葉を借りるまでもなく、民主主義の弱点は圧倒的に効率が悪いことだが、さすがにここまで改革のスピードが遅く、大胆さがないのは問題であろう。
政治家が大局的な視点よりも次の選挙までのことを優先して考える傾向は一向に変わらないし、国民も未来より現在のことを優先する傾向にある。
その間、国や地方の借金は増え続け、「このままでは日本人はいなくなるぞ!」というぐらいの少子化が進んでいるのに決定的な対策は打ち出せないままである。
少子化の問題は、人口減よりも若年層の負担率の増加のほうが問題で、人が減る分には何の問題もないように思うのだが…。
国の借金が増える一方なのに扶養する老人が増え、国が長期衰退するのが見え見えなのに改革と言ってなされる施策の多くは骨抜きのものばかりである。
改革はなされているがあまりに漸進的なのである。
ところで、民主国家において、政治的な改革が進まない最大の理由はいつも同じ理由である。
それは、改革をすることによって飯を食べられなくなる少数の抵抗が、改革を進めようとする多数の意志より断然強いからである。
役人に何もさせずに役人を養うほうが、役人に無駄な仕事をさせるよりまだマシといえることも多かったりするからコトは深刻である。
本来なら歳出を減らすために、相当な割合の役人のクビは泣く泣く切らなければならないと思うし、真の弱者以外への福祉は減らさないと国が持たないことがわかっているのに、この国の法律では役人のリストラすらできないようになっている。
まあ、追い込まれた夕張市は結構やっているみたいだが…。
それに対して、民間企業ではリストラされても何の保障も得られない。
すべては「自己責任」という言葉で片づけられて、何の保障も受けられないのだから、その原則でいけば、リストラされした役人がその後どうなろうかについては知ったことではないということになるのだろうし、彼らが民間企業で使えなかったとしたらそれは単に自己研鑽が足りなかったと言って片づけたとしても、それはそれで民間の人々と条件は同じように思うのだがどうだろうか…。
実際の手続きにおいては、役人をリストラしたり、特殊法人・公益法人を一気に整理していくことよりも、市場化テストを行い、民間企業に人材を引き取ってもらうというアプローチが最も現実的なアプローチになるのだろうが、やはり、そこで大切なのは、「少ない役人で同じ仕事ができるのであればそれに越したことはない」ということで、全役人を引き取らせるように枷にはめたりすることをしないことであろうと思う。
民主主義と違って独裁というのは良くない政治体制の代表のようなものだが、「こうなったらもう少しぐらいは強権的で良いから大改革をやってくれんかね…」と危険なことを思うこともままある。
せめて、本当に抜本的な改革をできる人に権力集中型の首相をやってもらいたいと思うのだ。
なので、昨今の官邸主導の方向は断じて間違いではないと思う。
…でないと、今の日本の民主主義はマスコミ主導の衆愚主義でしかないようにも思う。
考え方自体は小泉氏よりしっかりしている安倍首相には期待していなくもないが、今までを見ている限り、小泉氏にですら中途半端にしかできなかった改革を進めるのはなかなか至難の業なのではないかと心配している。