GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

2005年総選挙時における日本の政治について③ 自民党的手法の限界

間髪入れずに3回目行きます…。

 

自民党的手法の限界

実はフランス産高級チーズのミモレットを「干からびたチーズ」と発言して世間を笑わせてくれた森氏だが、解散を留まるよう説得する際に、「早く帰ってきて清和会の会長でもやりなさい」と首相に伝えたという。

首相は笑うだけだったらしいが、まあ、発言するセリフすべてがファンタジスタな森氏ではあるものの、「だからこの人はダメなんだよな…」と苦笑してしまった。

 

確かに、自民党はこの上なく馴れ合いの妥協的な政党であり、その知恵によって長いこと政権を維持しえることができたといえる。

中でも、融和や気配りを重視する政治家の代表格がこの森喜朗氏である。

小泉首相を最後に説得した際に、「干からびたチーズ」発言や「寿司でもとってくれるのかと…」発言をマスコミの前でしながらも目にはうっすらと涙を浮かべていたという…。

 

しかし、こうしたタイプの政治家の用いる融和的な手法は往々にして玉虫色の政治を生み出してきた。

もはやこういった手法が通用するほど余裕のある時代ではないし、こういった手法がすべての政治家がバラバラに行政や政治へ介入をすること許し、本来ならば行政に強く関与すべきでない族議員のような存在の暗躍を生み出してきたのである。

そして、行政が政治家や役人達の主張を少しずつとり入れて、それを忠実に実行し続けてきたから政府は限りなく肥大化したわけである。

 

ところで、財政危機と少子高齢化が同時に進行する今の時代に最も要請されている政治の形態とは、「小さな政府」以外には考えにくい。

大胆かつ根本的なコストカッターの役割を担う者が政治の世界に到来することを時代が要請しているのである。

 

間違っても、森氏のように妥協的な方法で解決をしようとする政治家は時代に求められていない。

政治家が融和的に各々の主張を好き勝手に政治に繁栄させるようなシステムの中ではコストカッターは絶対に生まれないからである。

 

自分の信ずる意見を通しながらも、相反する意見を持つ者を強いリーダーシップで押さえこみ、彼らに徹底して冷や飯を食べさせることのできる資質を持つ政治家のみがコストカッターになり得る。

仮に自民党の中に本格的なコストカッターになり得る人物がいるとすれば、妥協的な自民党的手法を“ぶっ壊す”べく奮闘している小泉氏以外にあり得ない。

確かに今までの改革は骨抜きで終わりはしたが、それでも自民党内に小泉氏ほど強いリーダーシップをとることができる政治家はいないように思うからである。

仮にいるとするにしても石原慎太郎氏ぐらいなものか?

まあ、本当のことを言えば、竹中平蔵氏という禁じ手がいるのだが…。

 

自民党は、「政権を維持する」という目的のために、異なる主義主張を持つ者が合従連衡を組んで維持している政党であるわけだが、政党政治の原点について考えると、あまりに考え方が違う者どうしが徒党を組む行為は本来なら不純な行為であるといえる。

民主党も政権を持っていないだけで似たりよったりだけど。

 

しかし、そこで主義主張の違う人間を束ねるのに力を持たせることができるのが、国政選挙や総裁選における公約であり、断固として公約を実行するリーダーシップなのである。

コストカットをはじめとする政治課題を推し進めて行くためには、全員の意見を取り入れている余裕はなく、トップが実行しようとする公約・政策を邪魔する連中は排除していくしかないわけで、リーダーシップの中にはそういった能力を併せ持つ必要があるのだと思う。

 

なので、小泉首相が自分の推し進める改革に相容れない族議員達を葬り去っていくのは、キオスクで売っているレベルの低い新聞が書くような権力闘争というよりは、リーダーシップの発揮ということとして建設的に見てあげても良いのではないかと思う。

 

ところで、自民党のガンが族議員なら、民主党のガンは旧社民系の議員と労組依存の体質であろう。

小泉首相は今回の選挙で多くの族議員を殲滅しようとしているようにも見えるが、民主党が本気で労組依存の体質を辞めようと思っているかといわれればそれは心もとないといえるかもしれない。

例えば、民主党は行き場のなくなった特定郵便局票にラブコールを送っているともいうが、本当にそんなことをしていたら国民は愛想をつかすのではないかと心配になってくる。

 

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