GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

カトマンズ旅行記

年末年始は12月30日から1月6日まで海外旅行に出かけ、ネパールのカトマンズを25年ぶりに訪問した。

以下がその際の写真である。

 

photos.google.com

 

今回はYouTube動画を20本もアップしたのだが、よろしければどうぞ。

 

www.youtube.com

 

 

行きの飛行機

ネパール行きの直行便が飛んでいるのはネパール航空のみで、成田~カトマンズ直行便が週に3便出ている。

おそらくは日本人観光客が集中する年末年始でもネパール人乗客のほうが全然多かったのだが、日本への観光なのか、日本で働いていての里帰りなのかはわからない。

なお、ネパールでは4月に新年を祝い、西暦での年末年始は完全に日常と変わりがないようである。

便数が限られていることもあり、行きと帰りの飛行機に同じ日本人が乗っている割合が高かった気がした。

行きの飛行機は11時発(実際には30分遅れ)、カトマンズに16時25分に到着するという理想的なフライトスケジュールなのだが、行きの飛行時間は帰りより2時間長く、8時間40分と長く辛い。

国際線に乗っている時間は健康な日常生活を送る中で最も辛い時間と個人的に位置づけていて、そういう覚悟を決めて乗るのだけどそれでも辛い。

世の中には飛行機だとか機内食だとかが好きという奇特な方もいるが、毎回ながら不思議な方々だなと思う。

 

ネパールの時差は3時間15分!

ネパールと日本の時差は3時間15分と知って驚いた。

絶対、25年前にも同じように驚いたのだろうが、そんな記憶はすっかり無くなっている。

こんな中途半端な時間を標準時に定めている国は他にないらしい。

 

1ネパールルピーは1円とほぼ同じ

ネパールルピーは円より若干高く、両替所レートで1ルピーが0.925円ぐらいだったのだが、ほぼ1ルピー=1円と考えることができるため、極めて便利である。

韓国も似たところがあるが、韓国の場合10で割らないといけないわけで、ネパールこそベストである。

なお、5ルピーからお札があって、それより小さな通貨として1ルピーと2ルピーの硬貨があるようなのだが、旅行中に硬貨は1度も見かけなかった。

日本よりずっと所得が少ないネパールの最小取引単位が5円単位なのだから、日本も電子マネーではともかく、1円単位での現金の値付けややり取りを止めればいいのにと思う。

 

ネパール王国で起きた最悪の事件

俺が前にネパールを訪れたのは1999年で、国民から国王が尊敬されている王国というイメージが強かった(実際には、国民から完全に支持されていたわけでもないようだが…)。

しかし、2001年にビレンドラ国王やその子供を含む王室のメンバーのほとんどである10人が銃殺されるという事件が起き、俺もこれには結構なショックを受けた。

ナラヤンヒティ王宮博物館という施設が前の国王の住まいで、その住まいやその事件が起きた別棟などをじっくりと見学してきたのだが、全員が銃撃されて亡くなったのは、親族での夕食会の途中だったらしい。

夕食会が行われた別棟にはビリヤード台などが置かれており、大勢の人がリラックスして遊戯ができるようなスペースだったことを見学して知ったのだが、皆が団欒を楽しんでいる時に凶悪な皆殺し銃撃事件が起き、ネパール王室がそのまま消えたのかと思うと、その事件が起きた2001年と同じように辛い気持ちになった。

「公式発表」では犯人は皇太子で、皇太子も頭を打ちぬいて自殺したとされたのだが(実際には事件の2日後に亡くなった)、皇太子が利き手側ではない左のこめかみに弾痕がある点や、事件時に国王の弟の一人だけがポカラにいたことと、そして、彼の息子が事件現場にいたのに無傷だったこと、亡くなった10人の遺体は検死を受けることなくすぐに荼毘に付されたこと(なお、ヒンドゥー教徒は亡くなったら可能な限り早く荼毘に付す)などから、国民から怪しまれたらしい(そりゃ怪しいわな…)。

怪しいとはいえ、残った国王の弟のギャネンドラ王子が新国王に即位した。

 

ネパール王国からネパール連邦共和国、そしてネパールへ

1990年に国王親政から立憲君主制に移行したネパールでは、1996年からマオイストネパール共産党毛沢東主義者)が武装闘争を開始していたのだが、2001年に王室殺害事件が起きて、その影響もあってマオイストの活動が活発化した。

新国王もそれに対抗してマオイストに強硬な姿勢を取って直接統治に乗り出していたのだが、政治闘争の末に、2006年に議会を復活させるよう追い込まれ、さらに2008年に王政が廃止され、ネパール王国はネパール連邦共和国になった。

その後、2020年に国名をネパールに改めた。

なお、ギャネンドラ元国王は現在76歳で存命である。

ネパール連邦共和国になっても政治の混乱は続いたようだし、相変わらず共産党系が強いようでもあるが、2023年以前の8年間は女性が大統領に就いていた。

もちろん、君主制を廃止してからの共和政へ移行したので、実際の政治は首相が行っているのだろうが、女性が大統領を務めたのはすごいなと思う。

なお、2015年に8,964人が亡くなった大地震カトマンズ近郊で起きたことはネパールに大きな打撃を与えた。

 

25年前の訪問時から一人当たりGDPは5倍に…

前回訪問した1999年にはドル建てでの一人当たりGDPが255ドルという極貧国だったのだが、政治的混沌があったとはいえ、今は1,350ドル程度と5倍以上になっている。

なお、日本の一人当たりGDPは現在よりも1999年のほうが高い。

とはいえ、現在でも日本の1/20以下だし、統計のある190ヵ国中162位で、その下はアフリカの国々ばかりで、アジアでネパールより貧しい国はミャンマーしかない(北朝鮮はデータ無し)。

ネパールの人口は3,000万人程度なのだが、カトマンズ市周辺の人口は170万人ぐらいで、あまり都市化も進んでおらず、国民の8割が農村で暮らしていることを考えると、貨幣経済が及んでいる範囲は限られるだろうから、カトマンズ市民の所得は国の一人当たりGDPよりは全然多いのだろうと想像できる。

なお、俺がカトマンズかつ外国人価格だったり料金の店を多く利用しているというのもあるが、物価は日本の1/2ぐらいなのではなかろうかと感じたので、カトマンズ市民の収入は国の一人当たりGDPよりは全然多いものと思われるとはいえ、それなりに生活は厳しかろうと思った。

なお、自国で生産できないような大量生産の工業品の価格は日本よりも高いぐらいだった。

 

ネパール国土の概要

国土の北側は全部ヒマラヤ山脈で、南に行くほど標高が下がり、南側はタライ平原やジャングルになっているので、南部、特に南東部の人口密度が高い。

ただし、首都のカトマンズは標高1,400メートルのカトマンズ盆地にあり、第2の都市のポカラも標高900メートルの盆地にある。

作物は南部の平地のほうが育つだろうが、緯度から考えても標高の高い盆地のほうが全然住みやすいだろうなとは思う。

カトマンズ市の人口は100万人程度ということなのだが、カトマンズ市の面積はかなり狭く、練馬区と同じぐらいで、隣接してパタンやバクタプルが広がっており、都市圏人口は170万人以上あるようである。

なお、カトマンズとパタン(ラリトプル市)とバクタプル(バクタプル郡)には中世に3王朝が同時に存在したのだが、東京23区よりずっと狭い距離感の中にそれぞれが存在している感じである。

なお、南部のタライ平原を通じてネパールの西半分と国境を接するインドのウッタル・プラデーシュ州の人口は2億人超と、ちょっと多すぎて怖い。

ネパールに観光に来る客の多数はインド人なのだろうと思うのだが、当然ながらネパール人とあまり見分けがつかない。

なお、ネパールは多民族国家で、インド系の顔が多いのだけど、チベット系の顔をした人も結構いる。

 

カトマンズの大気汚染と交通事情と気候

カトマンズの大気汚染は酷いこともあるとあったので、怖れていたのだが、滞在中に大気汚染でヤバいと思った瞬間はなかった。

運が良かっただけなのかもしれないのだけど…。

カトマンズ市内を無数に走るバイクの排気ガスは酷いが、さらに砂埃が舞うので、その両方が大気汚染の原因になるのかもしれないと思った。

なお、車はマルチスズキの車を多く見かけたのだが、それよりもバイクがすごかった。

バイク天国のベトナムもそうなのだが、バイクのマナーは極めて悪く、ルールがあるのかないのかもわからず、歩行者と車やバイクとでは阿吽の呼吸というか(日本の自転車にも似たようなところがあるが…)、修羅のルールというか、気合いが強いほうが優先権を得る感じとなっていて、老人は一生車道を横断できないのではなかろうかと思った。

ラクションがひっきりなしに鳴り響いているのも途上国あるあるである。

交差点では警官が立って交通整理をしていることが多く、信号機がものすごく少ないのだが、これは停電対策のようである。

話を大気の話に戻すが、ヒマラヤ山脈を見るために訪れたナガルコットでは夕方は焼畑の煙があって山が全く見えず、翌朝になると山脈がちゃんと見えた。

また、カトマンズは気候には恵まれていて、緯度が鹿児島と沖縄の県境付近の徳之島ぐらいで、標高が1,400メートルなので、夏は東京より涼しく、冬は東京より暖かい。

年末年始の訪問だったので寒さを覚悟していたのだが、フリースを着て外を歩いたら全然寒くなかった。

ルーフトップレストランがたくさんある国は気候に恵まれていると思うのだが、今回の旅行では半分以上の食事(ホテルの朝食以外)はルーフトップレストランでとった。

 

各観光地の感想

カトマンズとパタンとバクタプルの3王朝の旧王宮はどこも似ていて、どこも見事なのだが、活気はカトマンズの旧王宮が一番あるし、旧王宮と広場の見栄えはパタンが一番だし、中世の面影を完全に残しているのはバクタプルなのだが、総合的にはバクタプルが一番すばらしい。

街中にチベット仏教ストゥーパがたくさんあるのだが、代表的なものとしてボダナートとスワヤンブナートがある。

チベット仏教の雰囲気が色濃く、見栄えがするのはボダナートで、市街を一望できる景色が望めて、猿もいて楽しいのがスワヤンブナートである。

どちらかに行くとしたらボダナートがオススメである。

遺体をそのままバグマティ川(もちろんガンジス川の支流)で清めて火葬しているのがヒンドゥー教寺院のパシュパティナートで、決して興味本位でそういった光景を眺めるものではないが、遺族が死者を悼んでいる様子を眺めていると強く心を打たれる。

国王一家が惨殺されたナラヤンヒティ王宮博物館では王族の住まいや事件の現場を見学することができるのだが、ここも実に興味深かった。

それ以外に、カトマンズで宿泊したホテルを通じてチャーター車を手配して、ヒマラヤを望むナガルコットのホテルに向かい(途中でのバクタプル観光のため3時間ほど待ってもらった待ち時間フィーを含む)、ナガルコットからカトマンズに戻る送迎をしてもらったのだが、片道1時間半ぐらいの道で、往復16,000円程度だった。

きちんとヒマラヤを見ることができたので大満足である。

一週間滞在して、観光で回ったのはこの程度だったのだが、日程的にはガイド本のモデル日程の2倍ぐらいはのんびりしたものとなったのだけど、個人的にはこれぐらいでちょうど良かった。

 

カトマンズの犬

途上国ではそういう国が多いのだが、道に寝転がっている犬がやたらと多い。

リードで繋がれている犬は皆無で、人間に対して無駄に吠える犬も皆無で、皆さん実におとなしい。

不思議なことに、道端にゴミは落ちていても犬の糞を全く見かけなかったのだけど、そこはかなり謎だったのだが、人が掃除していたのだろうか…。

飼われているのか飼われていないのかはわからないものの、やせ細っている犬はいないし、とにかく皆さん実にのんびりとしてらっしゃる。

日本の犬より絶対幸せだろうなと思う。

狂犬病だとか飼い主の責任だとか、先進国では色々とルールがあり、特に人に迷惑をかける行為が万死に値する日本では逆立ちしても真似のできないありようだが、こういうのも大らかでいいなと思った。

教育レベルは決して高くはないが、子供も皆楽しそうである。

 

旅行中の食事

まず、25年前から、何故かネパールの日本食のレベルは極めて高く、価格も安い。

何もかもが日本そのままである。

日本で働いていたネパール人が帰国して店を開きでもしない限り、この再現度は説明がつかない。

他の料理も同様で、価格が安く再現度が高い。

中華料理に至っては中国人がガチ中華を作っていると思われるのでなおさらである。

したがって、食で困ることはない。

ネパール料理としてはカレーのダルバートタルカリ、ギョーザのモモ、焼きそばのチョウメンが代表的なものだと感じた。

若い頃はそんなことをあまり気にしなかったのだが、水道の衛生面に難があるとのことで、火が通っていないものをホテルの朝食ですら食べないようにしたので、そこだけはちょっと残念だった。

 

ネパールの工芸品と毎回の土産なし

ネパールの工芸品は本当にすばらしい。

布製品・金属製品・木彫り製品・絵画・曼荼羅のどれも「ほぉ~」と思った。

特に王宮などを装飾している彫刻には唸らせられた。

とはいえ、今回の旅行で俺が家に持ち帰ったものは食べ物も含めてゼロだった。

妻はいくつか自分用の物を買っていた。

俺が何も買わないのは毎回のことなのだが、シンプルライフ主義者なのでしょうがない…。

なお、25年前の訪問時には、ラピスラズリやガーネットやヘマタイトのアクセサリー、マニ車曼陀羅、ヤクのTシャツ、紅茶、座布団カバー、マフラー、ニット帽、ベッドシーツなどを購入および物々交換している。

曼荼羅マニ車は気に入っていたのだが、曼荼羅はどの時点かでカビを発生させてしまい、マニ車もどの時点かで壊してしまった。

チベット仏教への強い親近感と憧れはあるものの、完全な無宗教であると自覚している今は逆にそういうものに手を延ばせなくなっている。

なお、この時に入手したアクセサリーは今も家に保管している。

 

帰りの飛行機と帰宅後と睡眠

帰りのカトマンズ発成田行きの飛行機は23時25分発である。

成田空港に朝の9時に着くのだが、ネパール時刻だと5時45分に着く計算になる。

となると、飛行時間の6時間20分は普通なら飛んだ瞬間から着陸直前までドリエルでも飲んで全力で寝たいだろうと99%の人間が思うはずなのだが、ここが飛行機という乗り物の世界の前近代性のすさまじさ。

乗って1時間後ぐらい、すなわち0時半過ぎ、もしくは日本時間だと朝の4時前に機内食を出してきて、同時にコーヒーを欲しいかということまで聞いてくる。

「いるわけねーだろ。サービスとか一切いらんから寝かせてくれよ」と思うところだが、なかにはコーヒーを飲んでいるカフェイン不感症のような方々もいて、全く理解に苦しむ世界がそこにあった。

地上で食べ物を残したり、食べ物の廃棄を出すことを何よりも嫌う俺だが、この機内食だけは一口だけ味見をして残さざるを得なかった。

本当ならば始めから受け取らないほうが良かったのだが、どっちにしてもゴミになるなら味見ぐらいはしとこうという貧乏根性を発揮してしまった。

俺は22時前にラウンジのビュッフェで満腹にならない程度の夕食はとっているし、機内で寝るために眠りにはつかなかったものの、飛行機という年イチの苦行に備えて、夕方から20時過ぎまでホテルのベッドでゴロゴロと寝転がって身体を休めるなど、自分なりにできる準備を全てしていたのだけど、食事前後のざわつきもあって寝入るまでには多少の苦労を要した。

でも、寝入ってからはしっかりと寝ることができて、着陸1時間ぐらい前に軽食が出されるタイミングまで起きずに済んだので、そこは本当にラッキーだった。

でも、日本時刻では8時とはいえ、ネパール時刻で0時半に食事を食わせた後に朝の5時前に軽食を食わすか?と、また飛行機の前近代性に呆れる羽目となった。

9時に着陸してからかなり短い時間でに京成アクセス特急に乗ることができたが、残念なことに帰りの電車内ではちょっと落ちる程度しか眠れず、11時頃帰宅したのだけど、なんとその日の14時頃にマンション住戸の排水口の掃除があって清掃業者が来るため、疲れた身体で洗濯機を移動したり、排水溝を掃除するなどといった作業に対応せざるを得なかった。

排水管清掃が終わった14時から19時ぐらいまで寝て、その日の夜中から朝までも普通に寝た。

やはり飛行機移動というのはとてつもなく疲れるのでそれぐらい寝ないと回復しないのだと思う。

俺の場合は帰宅して寝るだけだからいいのだが、ネパールから日本に来た人は朝に着いてすぐに寝るわけにもいかないだろうから体力的に大変だろうなと思った。

 

総論として

日本からネパールに行く旅人は少ないが、もっと増えてもいいのではなかろうかと以前から思っていたけど、その思いをさらに強くした。

以前、インドとネパールを旅しておきながらネパールだけ再訪したのも、インド(インドと中国というのはとにかく人が多いからか世知辛いんですわ…)から入ったネパールが天国だと思えたからなのだが、日本から直行してもやはりすばらしい国だった。

交通マナーが悪く、埃が舞って排気ガス臭いことがあるというマイナス面はあるが、飛行時間がそこまで長くなく、気候が良く、物価が安く、食事が良い。

そして、人々の押しが弱いというか、実に慎み深くて親切で、親日的で、異国情緒があるのにチベット仏教文化があって親しみも感じる。

圧倒的な建物があるというわけではないが、街並みに独特の雰囲気があって歩いていて楽しいし、郊外に行けばヒマラヤ山脈を眺めることができる。

カトマンズ市に公園や緑が少ないのは難点だが、外国人観光客が滞在するタメル地区ならば、しばらく長期滞在しても良いのではないかと思えるぐらいである。

人がとてもすばらしくて、トータルバリューが高いのになかなか魅力が伝わっていない穴場という意味では、ウズベキスタンと並んでかなり推せる国だと思う。

 

あと、25年前に旅行した時の旅行日記をもとに、22年前に書いたインド・ネパール旅行記があるのだが、今読んでも読めるなと思える内容だったので、こちらも長いですけどよろしければどうぞ…。

 

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