10月末に宮崎に1週間帰省したが、今度は11月5日の夜から9日まで妻と会津若松市の友人夫妻の家に寝泊まりして柿もぎの農作業を手伝ってきた。
昨年は新型コロナ禍で行けなかったが、会津行きは年中行事と化している。
ボランティアとはいえ、農作業を手伝ってきたと言うより手伝わせてもらってきたと言ったほうが正確かもしれない。
兼業農家かつ収穫作業で超繁忙期もいいところなのに、友人の家で寝床やご飯の世話になるというか、連日ご馳走になりながら農作業を手伝うわけだが、もちろん友人は人手を欲しがっているし、なにせ俺は長身かつ身軽で梯子に登っての収穫作業に向いているのでWin・Winなのだ。
晴れた最初の3日間のうち2.5日は柿もぎをして、雨が降った最終日は干し柿作りや段ボール箱の組み立て作業をした。
また、平日に半日の自由時間をもらって観光をした。
以下は会津若松市内観光をした際の写真である。
これまでの年は裏磐梯だとか塔のへつりだとか遠方に出かけていたのだが、今回は市内を回った。
夫婦とも会社員をしながら農作業を行っているのだが、見ていてあまりに忙しく思える。
畑や田んぼは当然だが、家にある農機具や作業スペースの物量にも圧倒される。
都心でスモールライフをしている身なのでなおさらだ。
この時期の会津の気候はこの上なく気持ち良いのだが、曇天の日が多く雪深い会津の冬には過酷な面もあるだろうと思う。
俺はクライマックスともいえる収穫作業を手伝うお気楽な身分なので勝手なことを言うのははばかられるが、それでも思うのはこの風光明媚な光景の中でいろんな作物を育て、それを収穫し、確かな成果を得る喜びは相当なものだろうなということだ。
JAに出荷する分もあるものの、直売も行っていて、依頼や感想の声が直接寄せられれば相当なやりがいを感じるだろうという想像ぐらいはできる。
もちろん我が家の食卓でも友人が育てた作物をいただくことはあるが、その時は良く味わって食べるようにしているし、特に自分で収穫体験をしている柿を食べる時は心して食べている。
というか、柿の収穫作業を手伝うようになってから柿が大好物になったし、果物を収穫するようになって果物を買う頻度や量がものすごく増えた。
成果という言葉には「果」という言葉が用いられているが、この言葉の的確さを収穫作業を通して力強く実感することができる。
丸くて赤くてかわいらしくてずっしりとした柿の感触が与えてくれる説得力は都会の生活ではなかなか得難い種類のものである。
当然、友人夫妻と会うという目的もあるが、都会ではなかなか得られない体験をすることができるからこそ交通の便が不便な会津まで手弁当で出かけるのである。
友人の家と柿畑は驚くほど風光明媚な場所に存在している
この丸い充実した塊を次々ともいでいく作業は心に大きな充実感をもたらす
時間を戻して10月18日。宮崎や会津に行っていたこともあり、相当前の写真になるが、一人で野毛山動物園へ。リクガメの子供超かわいい
ミナミコアリクイは後ろ姿しか見せてくれず。キティちゃんブランケットで休んでいる
野毛山からの景色。横浜は山が多いので景色が良い場所が多い
野毛から都橋を通って…
福富町を通って関内から山手へ電車移動
三渓園へ
園内の旧矢箆原(やのはら)家住宅。趣きがある
松風閣展望台からの根岸湾方面の光景
旧燈明寺三重塔
夏の横浜から使い始めた今回のぐるっとパス期間はこれで終了。2,500円のパスで9,550円分の施設を回った
ワシン坂を経由して港の見える丘公園へ
このコース何度も歩いているが、リビエラ逗子マリーナはいつも華やかな雰囲気
稲村ヶ崎から。富士山はやっと写っているが目視では美しく見える
若者が集う
トンビが右側の女子高生から食べ物をかっさらっていった。女子高生は苦笑?爆笑?俺も過去に2度やられたことがある
宮崎の南郷では大挙して押し寄せた様子を見て驚いたトンビだが、湘南では常に油断大敵な存在
10月23日は雨上がりであることもあって空がものすごく青かった。銀座の歩行者天国。このところの銀座の人の多さを見て人が少なかった日々を懐かしくすら思う
冷える日が増えてきたが、日比谷公園はまだ花盛り
屋形船もよく見かけるようになって安心
10月24日。急に思い立って近所の浜離宮から船で浅草へ。浜離宮から日の出埠頭に南下してからターンして北上する
いつも家の前を通っているのだが、水上バスに乗るのはかなり久しぶり
首都高の下をくぐる
浅草に到着。45分間のクルーズでした
新型コロナ感染者数が減って浅草もだいぶ元に戻っていた
以前はこれに外国人観光客が加わっていたと思うとホント恐ろしいわ…
裏側のほうへ。こっちの光景こそザ・浅草と思う
菊花賞直前でおじさんたちのボルテージも上がる
ホッピー横丁の様子
時間経って11月11日。二子玉川の帰真園(きしんえん)
駒沢公園にて
碑文谷公園にて