GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

積極的に生きて死ぬことについての信念

以下は新型コロナ禍云々の前に俺自身が信念として思っていることである。

もちろん、偏っていると思うし、他人の考えが俺の考えと違ったとしても全く不思議には思わない。

 

もし、自分が平均寿命付近の年齢になった後に病気になったり衰弱したりして、これ以上良くはならなそうだとわかったら、苦しさを伴うような治療は絶対に拒否したいし、延命行為は一切せずに死ぬ寸前まで自分らしさを保って死にたいと願っている。

また、こんなことを言っては認知症アルツハイマー認知症の方やその親族の方に大変申し訳ないと思うのだが、もし、自分にこれらの症状が出て、症状の重度化が避けられない見込みだとわかったら、それを悟り、かつ、自分を保っている時点で、スイスに渡航するなりして、積極的に安楽死したいと願っている。

 

なお、今はすこぶる健康な俺の両親も妻も俺と同じ考えを持っているのだが、俺が両親に本人が望むような死に方をさせてあげられるかだとか、俺や妻が自分の望む死に方で死ねるかということについて考えたときに、医療機関によってそれを阻止されてしまうのではなかろうかという不安は相当に強い。

苦しみを伴う治療をしたくないという願望だとか、普段の自分でなくなる期間を極限まで最小化して死にたいという願望を医療機関介護施設や法律によって邪魔されてしまうのではないかと強く危惧してしているのである。

また、仮に妻がそういう状況になったとして、俺がそれを邪魔せずにいられるかということについてもまだ確固たる自信はない。

 

妻は働いているものの、俺個人はセミリタイア生活をしており、健康で身体年齢は実年齢より若いと思うし、やりたいことをやりたい順番にやって生きてきたし、嫌な人とは一切関わらなくて良いので憎むべき対象もないし、マジで何も悩みがないし、これからも楽しい“GOODDAYS”が待ち受けていると思っている。

しかし、仮に急に重病が発覚して死期が迫っているとわかったとしても十分にやりたいことはやれたという思いでいるので、「生まれてきて良かった」と両親に感謝して死ねる。

「親より先に死んでも俺自身は十分に生きたと感謝しているし、今死んでも恨み節なしに死ねると思うからもし俺が事故で死んでも悲しまんでいいぞ!」と海外旅行に出る前夜か当日の空港で必ず電話で両親にそう伝えるようにしている。

また、終活というわけではないが、自分が死んだ時の事務的なことは妻と両親宛てに伝えてある。

とはいえ、子供がいない俺にとって俺が死んだ場合に唯一心残りに思うのは妻のことである。

 

なお、「やりたいこと」という概念に「目的の達成」という要素を入れている人にとっては何もやっていないに等しい俺の人生は全然ダメということになるが、俺は何もやっていない自分の人生を自分自身で肯定できているので、仮に人からそのように見られても何とも思わない。

人生は自己満足できるかということが全てなのだ。

 

下げたくない頭を下げ続けたり、やりたくない仕事を延々と続けたり、関わりたくない人と関わったり、認知症で自我を完全に消失したり、長年老年介護をされたり、老後になって長年闘病をするといったことをしたくないという願望が強く、そうするぐらいであれば寿命が縮まったほうがマシだと思っている。

なお、ハンディキャップを背負って生きておられて人々の介助なしに生活できない方々や長年闘病されている方々や長年介護を受けている方々を卑下するつもりは一切なく、これはあくまで俺個人の生き方に関する価値観である。

人によっては恐ろしい価値観だと思われるかもしれないが、俺の内心ではどうしてもそう思ってしまうのである。

 

ここで、新型コロナ禍と話を結びつけたいのだが、新型コロナ禍による院内感染で亡くなった方々のなかには、これ以上病状が好転しないであろうと思われ、かつ、無理な延命を本人が望んでいないのにも関わらず延命させられている割合はどれぐらいなのだろうか、実はその割合は少なくないのではなかろうかと邪推してしまっている。

「とにもかくにも責任を負いたくない」という理由で本人が望んでいないのに不自然に生かされている人々のことを不憫かつ残酷に感じる俺にとって、新型コロナ禍の死亡者にそのような方々が占める割合が多ければ多いほど、同じように悲しい出来事だとしてもまだ救いがあるように思う。

もちろん、新型コロナウイルスによる肺炎によって患者がとてつもなく苦しむという話もあるので、「救いがある」などと述べるのは不謹慎なのだが、そのことについて考えないものとするならばそう思ってしまうのである。

 

話は変わるが、首都圏と北海道の緊急事態宣言の解除はなされないようである。

安倍首相は「頼むから緊急事態宣言を出してくれ」という声が極限まで高まるのを待って緊急事態宣言を出し、「都内でも連日5人とかしか感染が確認されてないし、病床も空きまくりだし、院内感染の割合が多いだろ。いつまで医療のために他の産業を犠牲にするつもりなんだ」という声が相当レベルにまで強くなるのを待ってからの解除という展開を考えているような気がするが、そういう意味では策士というかなんというかという感じである。

でも、10万人当たり0.5人という指標に院内感染を入れて緊急事態宣言の解除を検討するのは素人の俺でもそのセンスに対して強い疑問を感じてしまう。

 

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