三越伊勢丹が1月1日と2日に休むらしいが、大変に良いことだと思う。
正月から休めないような企業はどうかしていると思うし、正月から買い物に行かなければならない・持たないような家族は残念すぎる。
2015年6月14日に「日本の最大の問題点は労働生産性の低さに伴う労働時間の長さに尽きる」と書いたのだが、毎日21時とか22時まで仕事して、通勤に多くの時間を使うような人や平気な顔でそれをさせる企業のことを全く理解できないし、そうさせないように選挙で動かない国民性に辟易としている。
友人などにもそういった人が少なからずいるが、心底かわいそうに思う。
家族と一緒に過ごす時間や好きなことをする自由時間ほど人生にとって大切な時間はないのに、それを犠牲にすることに対しては、本人には失礼ではあるが、「かわいそう」以外の言葉で表現するのは難しい。
もし、国際比較で発表されている1700時間台の労働時間が実勢に見合った数字であれば言うことはないのだが、それはパート労働者を含んだ数字であり、またサービス残業も含まれない数字で、有休消化率も最低なのだから本当の数字は全く違ったものだと考えられる。
ドイツを始めとする欧米諸国のように長時間労働を強いる企業に懲罰的な刑を課せば良いのに国民は選挙でそのように動かないようである。
仕事に人生をかけられる真のプロである企業家・芸術家・スポーツ選手・政治家などであれば別だが、雇われサラリーマンが仕事に人生のほとんどを捧げるなんて狂気の沙汰である。
僕は「下町ロケット」の非上場のオーナー企業である佃製作所の超ブラックぶりに嫌な気持ちになったが、あれがウケる世相だからしょうがないのかなとも思う。
政権は目標にGDP600兆円という数字を挙げているが、そんなことより国民の幸福にとって本当に必要なことは、まずは、労働時間を最大で1日10時間以内に抑えさせる、有給休暇の70%以上取得を義務づけるといったことであり、それができない企業やサービス残業は徹底的に取り締まることだろうと思う。
ドイツであればそういった企業や上司は懲罰的罰金か刑務所行きになるが日本はそうなっていない。
法律を最初に順守すべき役所のサービス残業もあたりまえになっているが、やるべきことは基本給を下げて残業代をきちんと払うことだろうと思う。
そしてそんなに長時間働かせなければならないほど仕事があるのであれば人を増やして一人当たりの労働時間と給料を下げるのが筋である。
そういうことをすべて行ってGDPが100兆円減ってもそれが真の実力であり、そこから600兆円なり700兆円を目指せば良いと思うのだが、それをやらずに600兆円を目指しても国民は幸せになれない。
確かに、闇市が存在した時代のように食うに困窮するレベルになればお金ほど大切なものはない。
しかし、現代人は貧困層とされる層も含めて一日のほとんどを仕事に費やさなければならないほど困窮してはいない。
教育費を除外して考えれば、どんなに貧乏な人でも一昔前に生活水準を落とせば家賃の高い場所に住まない限り、週に3日~4日アルバイトするだけで、無料・廉価なサービスを上手く利用すれば最低限度ではあるがそれなりに人間らしく暮らせるように思う。
こんなに物質的に豊かでもはや欲しいもののない時代に、そこまで長時間働く意味、働かす理由がわからないし、時間を犠牲にしてまでカネを稼ごうとするメンタリティーは理解し難い。
まあ、僕が国を変えられるわけではないから、本当はこういった社会のあり方が悔しいのだけど、自分が運良く労働時間が短い会社に勤めることができて徒歩通勤だからそれで良しと思うしかない。
僕はきれいごとを言うのは大嫌いな人間だが、長時間働いてでもたくさんカネを稼げば幸せか?社内で評価されれば幸せか?カネがあれば何でも望みは叶うのか?カネやモノより時間のほうが大切ではないのか?と言わずにはいられない。
話は変わるが、世界中の都市が大気汚染に苦しんでいるニュースを聞くことが多くなった。
かつては日本も大気汚染で公害が出たことがあったが、公害対策基本法施行以降は急速に改善した。
他の国でそれができるかはこれからなのだろうが、社会秩序や順法精神が求められることは間違いないわけで、それを他国に当てはめると肌感覚では難しさを感じずにはいられない。
しかし、空気ほど大切なものはないはずなのに何故に経済発展をそれより優先させるのか全く理解できない。
時間も大切だが、健康はもっと大切なのに悲しい気持ちになる。