荒れ模様の予報のまま東北突入
天気予報で「北日本の天気は荒れています」と言っていたのにも関わらず、「高速バスが青森に行くならあとはどうにかなるだろう」と楽観的観測で出た今回の旅。
そして、予定通り、全く予定通りにはいかなかった。
楽しかったけど、そろそろ青春18きっぷでの旅に精神的・肉体的・年齢的な限界を感じ始める。
いくら2,300円でも仙台から東京に帰るのに8時間かかることに全くお得感を感じなくなってきたのである。
青春卒業なのかもしれん。
旅の感想
青森
大雪のためバスが1時間半遅れで到着したので、乗るべき電車が出発するまで30分しかなかったのだが、吹雪いていたため駅舎からすら出る気が起きず、むしろ妥当な滞在時間となる。
こんな調子だし、初めから覚悟はしていたのだが、早くも先行きが心配になる。
弘前
弘前に着いたら雪が上がっていたので、弘前城方面に100円バスで向かう。
その後、雪の積もった弘前公園を歩く。
ここでの滞在時間もあまり長くないため、天守閣は眺めるに留めておき、津軽藩ねぷた館へ向かった。
他にほとんど客がいなかったので係員さんの解説やお囃子の実演や体験をマンツーマン状態で行った。
単に展示しているのではなく体験型施設になっていたため、弘前ねぷたの雰囲気を体感的に理解できる。
他、工芸品の工房などもあってそちらも体験できるようになっていた。
秋田
今回の旅行のハイライトのひとつである五能線が強風のため運休となり、代わりにバス運行ということになったのだが、バスはかなり時間がかかるということなので奥羽本線で秋田に向かうことにした。
列車というのはバスより脆弱なのかと思ったのだが、なかなか止まれない乗り物というのは風にも水にも地震にも弱いのだろうと勝手に考えた。
2年前に乗ったからまだ我慢できるが、五能線に乗れなかったのは無念。
日本海というのは大雪になったり、風が吹くと運休になるイメージがあるが、雪が多くて風が強い日本海側に大きな都市が新潟と金沢ぐらいしかないのも仕方ないなと思う。
「高速道路や新幹線を日本海側にも通さないと太平洋側で何らかの事情で交通が寸断した時にリスクが大きい」というようなことを述べていた日本海側の首長がいたが、「雪が多くて風が強い日本海側の気候条件を先にどうにかせい!」と突っ込まずにはいられない。
さて、観光路線で時間のかかる五能線ではなく、奥羽本線であっけなく着いた秋田では速攻で大好きなきりたんぽ鍋を食す。
おはぎでもきりたんぽでもそうだが、米が固まったような食べ物がとにかく好きなのだ。
他にも比内地鶏の照り焼きや焼いたはたはたを食し、満足。
大曲
秋田駅から内陸方面に向かう10km程度の区間で風による速度規制が行われたため、ダイヤが大幅に乱れる。
秋田駅より海側ならともかくなんで山側でそうなるのか理解に苦しむが実際に風が強かったのだから仕方ない。
秋田を出たのが2時間半遅れで、徐行運転だったうえ、大曲でもさらに足止めを食う。
10年ぶりの角館観光を取りやめて、ここから新幹線で盛岡に向かうこととする。
というか、角館は雪が降りまくっていたのでどちらにせよ観光にはならなかったと思う。
新幹線も同様に大幅に遅れたわけだが、JRのこの日のダイヤのやりくりが遠因となって翌日に大システムトラブルが発生し13万人の足に影響が出た。
しかしながら、時期や気候条件が悪かったとはいえ、雪が降っている間はなかなか歩けるものではないし、寒さなどを考慮すると冬の東北というのは気候面で相当に辛いなと南国育ちの人間としてはへばってしまった。
これでは運動不足になって太ってしまうし、東北で食した食べ物は噂通りにどれも味が濃かったのだが、味が濃いものをつまみにして美味い日本酒を飲んでいれば脳卒中になりやすいのも仕方ないわな…などと勝手に思う。
また、宮崎にいる時には桜に対する思い入れがそれほどなかった私だが、東北の人が桜や夏の祭りに入れ込む心情を理解できる気がした。
盛岡
朝に秋田を出たのに夕方に盛岡に着くという不運。
しかも雪がパラついていた。
とにかく冷麺かじゃじゃ麺を食べねばということで、駅の近くのぴょんぴょん舎で冷麺を食す。
予想を全く裏切らずに美味し。
夜は盛岡市内をくまなく散策し、大して腹が減っていたわけではないが、岩手県の名産品を集めたと銘打つ居酒屋でせんべい汁やじゃじゃ麺を食す。
そもそもせんべい汁はかなりの好物なので満足。
平泉
今回の旅行の大目的はまだ行ったことがなかった平泉と山寺に行くことだったのだが、こうして平泉に来て感慨に浸る。
雪道をかなり歩いて坂を登って金色堂にやってきたのだが、文化財に場慣れしたオイラも金色堂にはド肝を抜かれた。
平泉が世界遺産を目指していることを嘲笑していたのだが、この金色堂に関してはそれだけ言うほどのものがあると思った。
まあ、イコモス勧告で言われているような浄土思想の普遍性の実証や金色堂以外の見どころの弱さを考えるとやはり妥当性は低いと思うが、金色堂は確かにすごかった。
まあ、義経ゆかりの平泉とはいえ、見どころの多い頼朝の鎌倉ですら世界遺産になっていないのだから我慢しなさいとも思う。
小牛田
意識をしていたらここに一生来ることはないと思ったのだが、当該区間で全然風なんて吹いていなかったのに松島付近の強風で列車が到着せず運休とかいうことでここで1時間半の足止めを食らう。
仕方なく駅前の食堂で飯でも食っていたがよりによってこんな何もない街で足止めを食うなんて最悪である。
ところで、関東では絶対に考えられないほどの駅員の客の誘導に対する誠意の無さと関理由の説明の甘さに腹が立ったので駅員にきちんとした説明を求めたが、状況が全くつかめなくても黙って耐えている東北人の我慢強さにも驚いた。
ついでに、なんで「こうしだ」じゃなくて「こごた」と呼ぶんだ?「ご」なら「牛」じゃなくて「午」じゃねえのか?などと言って悪態をついていたのだが、帰って調べるに「牛」も「ご」と呼ぶことがわかり一つ勉強になった。
仙台
日が暮れる少し前になってやっと到着した仙台だが、もう時間が無いので「るーぷる仙台」という70分で市内を1周するバスで市内を流す程度の観光しかできず。
この時期の仙台では「光のページェント」という昔の表参道のライトアップのパワーアップバージョンのようなイベントが行われていたのでしっかりと鑑賞。
表参道の2倍もの電灯を使っているというだけあって圧巻だったが、表参道のように地形の高低差がなく、ビューポイント面ではもったいなさが残った。
夜に「佐利」という店で食べた牛タンは相当美味かった。
そうそう、他の地域では雪が積もっていたのに仙台では雪の片鱗も見なかった。
都に選ばれるのはそういう場所ということなのだろうと思った。
また、10年ぶりぐらいの仙台だが、やっぱり街の雰囲気が東京に近かった。
良く言えば洗練されているし、悪く言えば個性が全く無いということになるのだが、日本の大都市ではダントツに東京に近いのではないかと思った。
また、茨城や福島ではあれほどなまっているのに仙台では自分では捕らえられないぐらいになまりがなかったのにも驚いた。
そもそも俺自身も宮崎なまりが抜けていないのだけど…。
松島
前回、訪れた際に瑞巌寺を観てなかったのできっちりと見学した。
松島は遊覧船で巡る以外にありえないと思っていたので遊覧船に乗った。
学生の頃は金がなかったので安い1階席で観たが、遊覧船というのはとにかく高いところにある席のほうが景観がいいので2階のグリーン席に座った。
芭蕉が絶句しても、1ヵ月前に鳥羽・志摩に行ったばかりというせいもあって、俺は絶句しなかったが、やっぱりすばらしいものではあった。
天気予報が曇りだったのに晴れていたのも運が良かった。
山寺
今回の主目的のもう片方である。
仙台は晴れていたのに面白山を越えたら雪景色が広がっていて、しかも雪ではなく雨が降っていた。
小雨が降りしきる中、駅のすぐ近くの店でいも煮を食べて身体を温め、ほど近くの登山口から登った。
800段と聞いていたからかなり戦々恐々としていたのだが、意外と苦労せずに登ることができた。
ただし、地面や階段が溶けた雪でつるつる滑ったのには少し苦戦した。
それにしても雪かきをしている方の労苦には脱帽である。
登山道の途中でも情緒のある景観を多く目にすることができるが、頂上付近にはたくさんのお堂があり、また、景色も絶景で、悪天候でもかなり満足できた。
冬という季節をあえて選んで登ったのだが、夏だったりしたら汗をかいて大変だったに違いない…。
ところで、平泉の中尊寺・毛越寺、松島の瑞巌寺、山寺の立石寺とも円仁さんこと慈覚大師が開山した寺だともいう。
さて、ここを15時頃に出て9時間かけて東京への帰途に着く。
原ノ町
途中、「対向の特急列車が通過しないため若干の待ち合わせをいたします」と言って待ち、「12分ほど遅れてしまい申し訳ございません」と言われて原ノ町駅に到着。
当然、原ノ町で数分間の接続の後に出発することになっている列車が待っていると思っていたのだが、何事もなかったかのように出発していた。
特急のためにはひたすら待って、特急のために待たされた電車の接続は放置されたようで「鈍行の客をここまでコケにした話ってあるか?」と腹を立てる。
ここで1時間近い足止めを食うことになったのだが、それについて何一つアナウンスがなかったことに腹が立ち、また他の客もオロオロ困っているだけで何も言わないので、代表するつもりで駅員に抗議した。
自分は東京の都心に近い場所に住んでいるから24時頃に上野に着いても帰ることができるが、同じ18きっぷで帰っている人にはそうでなさそうな人もいて困っているように見えたので余計に腹が立ったのだ。
駅員は言われて気づいたかのような雰囲気だったがひたすら平謝りするのでのれんに腕押しであった。
常に緊張に晒されて仕事をしている首都圏の駅員と違い、田舎の駅員というものはこういうものなのかもしれない。
しかしながら、山寺から月島への旅路は遠かった…。
鉄ちゃんではないどころか、むしろ列車に乗ることが好きではない人間としては18きっぷの旅に冒頭でも述べたとおり、多少の限界を感じた面もあった。
【後年追記】
この時はきまぐれで東北本線でなく常磐線に乗って帰ったのだが、震災が起こるとは当然知る由もなく、とてもいい経験になりました。