GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる48歳仙人のつぶやき

飛騨高山・郡上八幡・東尋坊・白川郷バスツアー旅行記

 

今回はバスツアーに参加

近畿日本ツーリストの「たびともバスツアー」なるツアーに参加した。

この近畿日本ツーリストと阪急交通社の旅行というのはとにかく「安かろう悪かろう」の旅行ばかりなのはわかっていたが、1泊2日で9,980円という破格な料金設定に釣られ、かなり「悪かろう」な旅行になることは覚悟しながらも参加することとした。

 

まあ、何としても世界遺産である白川郷に行ってみたかったところに、過去に行ったことはあるものの、ここのところ無性に行きたかった飛騨高山と、何となく気になっていた東尋坊に行ってくれるという便利なツアーがあったのでちょうど良かったのだ。

あと、このツアーには郡上八幡の「郡上踊り」とやらの見学などという全く期待できないプランも組み込まれていたのだが、「これはどうでもいいや」と思いながら参加した。

これはあくまでこの時点での話である。


この種のツアーに参加するのは6年ぶり3度目であったが、自動車を運転していくのには遠すぎ、バスや電車を使って個人で行くには高くつきすぎるエリアを旅行するのには、ある種の苦労(後述)を我慢しさえすればまあ便利ではある。

この種のツアーというのは何故か異常にお腹いっぱいなプランが組まれているのが常で、このツアーも例にもれず以下のようなすさまじい移動距離を誇るルートを1泊2日の強行軍で回ることになっていた。


東京→飛騨高山→郡上八幡→福井泊→東尋坊白川郷→東京

 

ところで、この種のツアーに参加するにあたってあらかじめ我慢しておかなければならないのは以下のような点である。

 

  • みやげ物屋をたらいまわしにさせられる。
    旅行会社はここからのリベートで稼いでいるのでしょうがないといえばしょうがないが…。

  • そんなに数多く回らなくてもいいから、1ヵ所をゆっくり見させてくれれば良いのに、何故か1ヵ所にとどまる設定時間が異様に短い。

  • 渋滞を避けられない時間に出発し、渋滞を避けられない時間に戻るプランが多く、あたりまえことだが、渋滞に自ら突っ込んで行くので当然のようにものすごい渋滞に巻き込まれる。
    もちろん、自分で旅行する場合は、ルートもしくは時間をずらす。

  • 当然ながら、自分で運転するのには遠すぎる場所へ行くツアーに参加するので、旅程のほとんどがバス移動に費やされる…。
    そして、そのルート設定に無理がありすぎる…。

  • 参加する旅行者はほぼ全員が中高年なので、若者の我々の存在は必然的に異彩を放つこととなる。

  • 旅行者のおばさんたちの性格が素直すぎて、添乗員の話ひとつひとつに素直にウケ、アクションがいちいち大きいので、それを見ているこちら&その輪の中にいる自分の存在がかなり恥ずかしくなってくる。
    私はそれを「NHKのど自慢効果」と呼ぶ…。


  • 過去2回も今回も常識知らず&自分勝手なジジイが1人いて、途中で必ず添乗員もしくは他の旅行者にあたりちらす。

  • 最大の問題点は旅行会社が「旅の魅力とは何ぞや」という部分を全く理解していないことである(後述)。

ここまでのリスクを覚悟の上で参加するわけだが、料金が異様に安いという魅力と、遠いところへの運転を自分でしなくて良いという魅力を前にしては、仕方ないともいえる。

ところで、ツアーに参加するまでの手はずはこのような感じである。

申し込みの電話をかけ予約をする→旅行案内&
振込案内が届く→代金を振り込む→直前に旅行詳細案内が届く→待ち合わせ場所に決められた時間に行き旅行に参加する


旅程

行きの移動

土日のツアーだっただけあって、行きはものすごい渋滞に巻き込まれてしまい、八王子を通過するのに3時間ぐらいかかってしまうというアホらしさぶりで、飛騨高山方面に着いたのは、予定を3時間あまりも押した14時前後であった。

しかし、それでも、近ツリとしては契約先の「高山ラーメン」なるラーメンの販売元工場に立ち寄らなくてはならず、それでいながら渋滞にイライラした参加者内には「そんなところに寄らずにとっとと飛騨高山に行け」というムードが漂い、私の思ったとおりの展開となる。

しかし、この高山ラーメンのいうのはしょうゆスープの極細麺で、お菓子感覚でチュルチュルと食べるのにかなり合ったラーメンであった。

 

飛騨高山

そのような紆余曲折の後、何とか飛騨高山に着いたが、過去に行っておもしろかった、寺院の多い東山寺町の方まで行く時間はとても取れそうにないので、小京都の街並みのみを探訪する。

高山陣屋も割愛、時間帯的に朝市も見られず。

前に行って思っていたほどには地区の規模が大きくはなかったが、雰囲気は十分に楽しむことができた。

また、大して美味くもない甘さのないみたらし団子も健在だったが、あえて食べた。

約2時間半の短い滞在時間を終え、飛騨高山を出発したのは既に夕方の18時前…。

宿泊地は福井だというのに、こんな時間からバスは東海北陸自動車道を南下し、福井とは反対方向の岐阜方向へと進む。

今から行って19時半前に着く郡上八幡などどうでも良かったので、「もう、こんな時間からいいやん、そのまま福井に行けや…」と思ったのだが、「旅程に組み込まれているので、皆さん、仕方ないですね、ハイ…」と笑顔で添乗員から発せられるゴリ押しの「ハイ…」セリフのみが不協和音の充満したバスの中に響く…。

 

 
上:飛騨高山の古い街並み
下:高山陣屋
 

郡上八幡

バスは郡上八幡の盆踊り会場に程近い観光バス用駐車場に停車し、約2時間の自由時間となる。

郡上八幡なんぞ、こんなふうに連れてでも来られない限り、まず来ることのないような場所だが、来たからには制覇するぞ!」と言わんばかりに街内を手当たり次第に散策し始めた。

大正ロマンの街並みとの触れ込みの街区、郡上八幡城、渓谷美のある川、なつかしい感じの充満した郡上八幡の街並みを散策してみたのだが、各家庭とも戸を開けっ放しにしてあることが無性に気になった。

平穏な田舎ならではの光景なのだろうが、それにしても夜だったこともあったことも手伝って、本当に昭和30年代にタイムスリップしたかのような感覚に襲われてしまった。

さて、この地の目玉商品は「郡上踊り」なる盆踊りなのだが、これにはほとんど興味なかったし、盆踊りが7月9日から9月3日までの中で32日間も行われていると聞いていたから、「観光客が鑑賞するためと、雇われたプロ達がまばらに踊っているだけなんじゃないの」という邪推をしていたのだが、実際はというと、本当に活気のある盆踊りがそこでは繰り広げられていた。

しかも、喜ばしいことに年配の方だけでなく若い人が楽しそうに盆踊りをしているではないか…!

古き良い、いや、清く正しく美しい日本の模範的な情景がここに繰り広げられていたのだ!

とはいえ、「何か余程楽しくなくては32回も踊らないだろう」と思っていたのだが、「そうか、ここでの盆踊りはクラバー達がクラブ活動をするのと同じくして、地元の人々の夏の趣味として根づいているのだな…」ということに気づき、一人で深く納得した。

これは、趣味として成り立つわ、健康には良さそうだわ、コミュニティーの活性化にはつながるわ、友達は増えそうだわ…と、良いことづくめなイベントなのだ…。

こんなにひなびた日本があったこと&思いがけず出会ったことは私にとってかなりの収穫であったが、実は今回の旅で圧倒的に良かったのはこの郡上八幡の情景だった。

しかも、何となく懐かしい感じのする店に入って食べた焼きそばと炒め物の地元料理が猛烈に美味かったことと、その店で幼なじみどうしと思われるおばあちゃん達がキャピキャピしながらカキ氷を食べている様子にほっこりとした気分になり、さらに機嫌は上々となった。

東京砂漠ですさんだ心がきれいになっていく気がした…。

郡上踊りの時期の夜の郡上八幡は超オススメですぞ!

 

 
活気あふれる郡上踊り

 

福井

バスは名残惜しさを残しながら21時を過ぎて出発し、福井のAPAホテルに着いたのは23時過ぎだった。

福井に入ってからいきなりかなり強めの雨が降り出したのが気にかかる…。

明日は7時に朝食、7時半に出発という強行軍ぶりであったが、ここに大ハプニングが起きようとは思いもせず、天然温泉の露天風呂に入った後就寝…。

途中、雨の降るものすごい音に目を覚ましながらも気にせず寝た。

 

さて、翌朝、「雨が強いのが嫌だな~、さて、飯でも食うか」と思い、ビュッフェに行ったら、微妙に床が濡れていた。

「まあ、皆普通に食事をしているし、この程度ならいいか」と思い、普通に朝食をとっていたら、食べている途中に少しずつ水が浸水して来たではないか…。

「これはただ事ではない…」と思い外に目をやると、外は激しく浸水していた。

当然ながら、朝食ビュッフェは途中で中止となったが、それでも中止決定のタイミングが遅すぎ。

「浸水が酷くなる前に出発しましょう」ということで、旅行客はビニール袋を靴の上に履いて輪ゴムですねをくくってあわててバスに乗り込んだ。

APAホテルのスタッフの方は自分の家のことなども心配であっただろうところなのに、職業人としての見事な立ち回りを見せ、立ち寄ったワガママな格安ツアー客のために、自己犠牲の精神を払ってドシャ降りの中、ビショビショに濡れながらホテル玄関~バスの入口までの間、傘をさして浸水の中に立ってらっしゃたり、格安ツアー客に朝食代金を払い戻ししていたりしていた光景には恐れ入った。

この非常時に「朝食はどうなるんだ!」「バスをもっと近くに寄せろ!」と怒っていた客のワガママさ&身勝手さにも恐れ入ったが…。

かくして、洪水から逃げるように福井の街を後にしたのだが、バスが過ぎ去った約1時間ちょっと後の9時頃に堤防が決壊して福井の街が散々な目にあったことを知ったのは東京に着いてであった。

しかも、これはどのニュース番組でもトップニュースで扱われた程の大災害だったのだ…。

 

東尋坊

福井では大雨だったのだが、集中豪雨だったこともあってか、すぐ近くの東尋坊では雨は降っていなかった。

まっすぐ行ったところから海を見ると「あれ、大したことないな」と思ったが、ちょっと右側に歩いたところから海を見ると「コワ…、東尋坊も落ちて死ぬわ、こりゃ…」って感じの一角に出くわした。

風が恐ろしく強かったので飛ばされないように気をつけて首だけを崖から突き出して見る絶景に腰を抜かす。

東尋坊は“自殺の名所”と言われながらも柵がなかったのだが、柵がないのがとても良かった。

あったら絶景も、絶景のスリルも台無しだったろうから…。

しかし、今日、東京に戻るにしてはものすごいところまで来たものだ…。

 

 
上:東尋坊の断崖絶壁 
下:強風でぐちゃぐちゃになるオイラの髪


 

 

白川郷

東尋坊から世界遺産白川郷は直線距離ではそう遠くはないのだが、北陸自動車道で金沢のほうを経由して小矢部砺波ジャンクションから東海北陸自動車道へ入り、南下して行くので意外な距離を走る。

砺波平野の独特の「散居村」と呼ばれる一戸一戸に屋敷林がある集落の光景が印象的であった。

世界遺産白川郷は、秋冬でなく夏に来たこともあってか、人が多かったためか、俗化しているためか、昨夜の郡上八幡に色気がありすぎたためかはわからないが、想像していたほどの色気は見出せなかったが、合掌造りの家を肉眼で見ることができただけでかなり満足だった。

しかし、水田の瑞穂越しに眺める集落の光景は十分に魅力的であった。

「和田家」という民家が有料で開放されているので見学したが、小学生の頃、「学研の学習」で見て以来、ずっと憧れていた合掌造りの家に上がることができて感無量だった。

まあ、渋谷円山町のラブホテルの経営者は白川郷の出身の人が圧倒的に多いとのことらしいが、世界遺産よりラブホテルのほうが儲かるし、白川郷より渋谷のほうが住みやすいのだろう…。

 

 
上:合掌造りの建物 
下:田園の中の和田家


帰りの移動

白川郷から高山までの間はこれまたかなりのくねくねした田舎道でバスの後ろのほうの旅行客は内輪差のためかなり振られただろうと思われた。

途中で通過したロックフィル式の御母衣(みぼろ)ダムはなかなか壮観であった。

ここはNHKプロジェクトX荘川桜で有名な場所である。

白川郷を出たのは14時頃だったが、東京に着いたのは21時前であった。

添乗員は若い饒舌な添乗員さんだったが、この人のトークのおかげでバス内はバカなジジイが叫んだとき以外には殺伐とならず、終始「のど自慢」的とも牧歌的ともいえる空気を作っていたのは「さすが」だと感嘆した。

こういうバイタリティーあふれる女性には人間として本当に憧れる。

さすがに今回は大渋滞あり、洪水ありで、彼女もクタクタになったことだろうが、「こんな苦しそうな仕事は余程好きじゃなきゃできないよな…」と心の底から思ってしまった。

しかも、これと同じ旅程の旅を月に10回とか添乗したらわしだったら死ぬな…。

旅行会社の内定を断っといて本当に良かったと思う。

運転手さんは2人いたけど、添乗員さんは1人だけだったものな~。

近ツリの添乗員さんといい、APAのホテルスタッフといい、日本の職業人あっぱれ!

 

ツアー団体旅行の不思議

ツアー団体旅行には不思議なことがたくさんある。
それらについて挙げてみたい。


料金の不思議

料金の内訳を分けて考えてみる。

利益+固定費+変動費(添乗員手当等)+バスチャーター代+ガソリン代+高速道路代+ホテル代=9,980円?[約40人で約40万円?]

 

やはり、料金設定がおかしいほどに安い。

個人で旅行したとしたら絶対にあり得ない料金の安さである。

というより、個人だったら高速道路料金だけで終わる。

いくらデフレとはいえ、やりすぎで、普通に考えると、どうみても採算が合わない。

言っちゃ悪いが、ここまで媚びた料金設定にしないと客が来ない会社では私は絶対に勤めたくない。

ピンハネ分を入れて式を組み直してみると以下のようになる。

 

(利益+固定費+変動費+バスチャーター代+ガソリン代+高速道路代+ホテル代)-みやげ物屋・弁当業者からのピンハネ=9,980円?

 

いくらバスやホテルを安く抑えて、利益率を少なく考えても、採算を考えると多少のピンハネではとても採算を取れはしないだろう。

はじめから「みやげ物屋にたくさん行きますけど、だからツアー料金が安いんです」と言っておけば、みやげ物屋に寄ってばかりなことに対して怒る人の数も減るだろう…。

とはいえ、実際の問題として、そんなことを言ったらみやげ物屋で土産を買う人が減るだろうから、間違ってもこのことは口に出せないのであろうが、客にキレられたときに添乗員は「あんたら、普通に考えてこの料金で旅行できると思ってんの?みやげ物屋からのピンハネがあるから安くで済んでいるんでしょ?そんなこと普通に考えりゃわかるでしょ?」と言ってやりたいに違いあるまい。

ところで、旅行者が「そんなにみやげ物屋に寄ることなんざ、こっちは聞いてねえよ」などと反論したとしても、実は細かい字で書かれた旅行規約にそのことは触れられている。

普通の旅行者は旅行会社側の内情が痛いほどに予想できてしまうから、「社の上層部は何を考えているんだ…?」もしくは「これが嫌なら参加しないことだな…」と思ってしまうのだが、料金が安いメカニズムを織り込んでからツアーに参加していない想像力のない旅行者にとっては、腹が立つのも仕方あるまい…。

それにしても、この種の自己矛盾ほど現場で仕事をする者にストレスを与えるものはないだろう。

私も前の仕事をしている時には、この種の矛盾が一番辛かっただけにそう思う。

 

食事時間

移動に費やす時間が多くて、その間にきちんと食事する時間をとってくれないのだが、このことも旅行者にはあらかじめ知らされていない。

休憩は高速SAでのトイレタイムとみやげ物屋でしかないのだ…。

私らの場合は高速SAでおやきなどのちょっとしたものをささっと数回に分けて買って、それを食えば十分に満足できるのだが、ご飯をきちんと食べたい人にとっては、これには到底納得できなかったであろう。

なお、弁当の類はどこの休憩所でも売っていないので、まともに食事しようと思ったら、バス社内で販売されるちょっと割高な弁当を食べるしかないのだ。

もちろん、空腹を我慢できずに購入していた人がたくさんいたが、どう見ても割高な感じだった。

こうして利益を積み上げていくのだろうが、こういう兵糧攻めって社のイメージダウンにつながらないのかな?と思ってしまう。

国内線飛行機での誰も買いもしない機内ショッピングの商品を持って通路を歩くスッチーも気まずい気分だろうが、私にはあの芸当すらできないのに、このような状況で割高な弁当を売るというような厚顔無恥なマネなんぞ絶対にできはしない。

いや、これを気まずいと思うようではおそらくは添乗員は務まらないのであろうが…。

事前に「ろくに食事をとる時間なんてとっていませんからね」と言われていないと、私のように内情を理解できる“大人”はともかく、「いくら格安旅行とはいえいい加減にしろ」と言いたくなる気持ちも良くわかる。

 

遠回り

みやげ物屋に行くために遠回りをすることがたびたびあるが、ただでさえ時間がないのに、そんなことをしていたら余計に時間がなくなる。

特に渋滞に引っかかった時に、重要な観光地を見る時間を削られてまでこういうことをされると旅行者はイライラする。

昔、イタリアのみやげ物屋に寄るのをカットした添乗員が殺害されるという恐ろしいニュースがあったが、イライラした旅行者がみやげ屋にそんなに多くのお金を落とすとは思えない…。

 

余裕のなさ

旅行って、自分で自発的なテーマを持って、ゆっくりと散策しながらそのテーマを充足させてこそ楽しいものであるはずなのに、短すぎる滞在時間で次々と名所を回る行為のどこに旅行の醍醐味見出せば良いのだろうか…。

いくらなんでも旅行会社なんだから、格安旅行とはいえ、もう少しマシなスタイルでの旅行を提案して欲しいものである。

とはいえ、ここまで安くしないと客が来ないような業界では、自分達が生きていくことに必死でそんな悠長な提案をしている場合ではないのかもしれない。

 

Lose-Lose

フランクリン・コヴィー氏は名著「7つの習慣」において、「双方の得になる取引だけをすべきで、双方の得にならない取引はしてはならない」という内容の、「Win-WinもしくはNot Deal」の法則を唱えているが、例えば、この商品の場合は最もやってはいけない「Lose-Lose」の関係になっている典型的なパターンといえよう。

この種の旅行の顧客満足度は絶対に低いだろうし、おそらくは、旅行が終わった後に「もう少しお金を積んでも良いから、みやげ物屋に行く時間がなく、現地滞在時間が長く、ゆったりと食事をとる時間のある旅行をしたかった…」と思った人がほとんどだっただろう。

そういう意味でまず、顧客にとってこの商品はLoseである。

そして、バス会社・ホテル・みやげ屋とも限界もしくは限界以上の努力を強いられ、しかもどう考えても旅行会社そのものも儲からない。

また、こんな無理無理を強いられたら、社員や添乗員はさすがに疲れてくる。

ということで、提供側もすべて疲弊するという意味ですべてLoseである。

すなわち、この団体旅行のビジネスモデルは間違いなく「Lose-Lose」の関係で成り立っている。

ということは、悲しいことだが、「No Deal=取引しない」、つまり、商品のコンセプト自体が間違っているということである。