ドイツ
ケルン 1日間
アムステルダムから列車に揺られること2時間40分でドイツはケルンに着く。
ケルンは、600年以上の時(1248年~1880年)をかけて建立されたケルン大聖堂を擁していることで有名な都市である。
ちなみに、ケルンの「ケ」というのはウーウムラットが効いているので「ケ」と「コ」の中間のような音で発音する。
あと、ケルンはコロンの誕生の地で、フランス語ではケルンを「コロン」と呼ぶらしい。
記念に350円ぐらいの安いヤツを購入しておいた。
ところで、「ノッポの国」オランダを出てドイツに入った瞬間に驚くのが、ここは「デブの国」だということである。
背は一気に低くなるが、その分、横幅はかなり広がっている。
中年以上の人はほぼ全員が「何故?」と言いたくなるぐらいに太っている。
しかし、ドイツの人にはものすごく好感を持った。
本当に想像した通りのドイツ人気質を持っているようで、どの人も物静かでやさしい笑みを浮かべているが、仕事が誠実かつ堅実で全く手抜きがないのである。
その極みがこのケルン大聖堂であろう。
駅前にドーンと建つこの建造物は600年もの歳月をかけて作られたというが、一体何代かけて作られたかについて考えると気が遠くなる。
爺さんも親父さんも息子も孫もひ孫も完成を見ることなくただゆっくりとひたすら丁寧にゴシック建築傑作中の傑作であるこの大聖堂を作り続けてきたことを思うとただ頭が下がるのである。
天高くそびえるケルン大聖堂
ライン川下り 半日間
ケルンで明かした朝は猛烈に寝坊したので、予定通りにライン下りをすることができず、電車でサンクトゴアールまで列車で行ってから船に乗ることに…。
船を待つ間、ライン川のベンチに一時間ちょっと腰を掛けて、この国際河川を行きかう船や周りをテクテクと歩くカルガモの親子や川べりを楽しそうに歩く老夫婦を眺めながら贅沢な時間を過ごした。
船に乗ってビンゲンまで3時間ほどの「ライン川上り」をした。
伝説で有名なローレライはなんてことのない岸辺だった。
偶然船の中に見かけた、旅行会社の新卒の女性と井上用水似のサングラスの男性の2人の日本人と話をしながら、美しいライン川沿いのなだらかな地形や古城や街を見てすばらしい時を過ごす。
とはいえ、旅行会社の女の子のグチを聞いて笑いながらの船旅だったのだが…。
ライン川上りの途中で一休み
フランクフルト 1日間
フランクフルトは経済都市だけあって、ドイツの他の都市と比べそれほど面白みはない都市であった。
フランクフルトのYHで、船中で話をしたサングラスの男と再び会ったので、あたりにいる日本人を誘ってザクセンハウゼンへ飲みに行くことにした。
サングラスの男は大学院の2年生で、他は、イギリスに留学している2人の女の子、社会人でクラバーのお兄さん、バルセロナで身ぐるみ盗みにあった東京芸大生、同志社大を休学して自転車で世界一周旅行をしている猛者といった風変わりなメンバーで飲んだのでかなり楽しい時を過ごすことができた。
自転車野郎はケニアへの航空券を買ったはいいが、ケニアで内戦が勃発したらしく、行くかどうか深刻に悩んでいた。
ここで帰りの飛行機を待っている芸大生は金がなくて本当に困っていたようだったので、50ドイツマルク(3,000円弱)ほど貸した。
なお、日本に帰ってきちんと振り込んでくれた。
本人は「本当にお金がないから…」と飲みに行くのを断っていたのだが、「いいから来なよ…」と言って、どうせ飲み代は安いこともあって周りでカンパした…。
ロマンティック街道 1日間
前の晩は宿で話し込んで夜更かしをしてしまったが、この日はロマンティック街道をバスで走るので絶対に2日連続の寝坊は許されなかったのだが、なんとか起きた。
バス内では筑波大学の4年生のNさんと一緒に話しながら来た。
ローテンブルグとデュンケルスビュールに途中で降り立ったが、もう、「見事!」としか言いようがないほど美しい街並みを有していた。
おとぎ話の世界に本当に入り込んだかのような錯覚に陥るほどだが、街づくりへの努力と街の美しさとそれに比べての日本の街の醜さに大きなショックを受ける。
ローテンブルグの街並み
おとぎの国のようですな…
ローテンブルグ全景
南ドイツの地形も美しい。
なだらかで牧歌的な丘陵がどこまでも続き、夏場だったので気候もこの上なく快適でまさしく「ファンタスティッシュ」であった。
フュッセン 1日間
フュッセンではNさんと一緒に宿を探したが、ドイツ人らしく細部まで気の行き届いたものすごくかわいらしく宿を見つけた。
ただ、動きがおそろしくスローな宿のおばさんが間違った日本語を使っているのがおかしくて笑いがとまらなかった。
しかも、「ツイン」と言ったのに、耳が遠かったのか用意された部屋がダブルだったのにこれまたウケたが、かなり大きなベッドだったし、どうせ寝るだけなので良しとした。
夜に飯を食べにオープンテラスのレストランに行ったのだが、巨大な骨がささったマンガの肉が本当に出てきてこれまたかなり笑った。
翌朝はあまりにもさわやかな朝だった。
レンタサイクルで自転車専用道を使って、ノイシュヴァンシュタイン城へ走った。
ノイシュヴァンシュタイン城は有名すぎるほど有名なこともあって、ものすごく美しいお城であったが、それを際立たせているのは周囲の美しい大自然がとりまくシチュエーションであったように思う。
「それにしても、こんな城を建てたルードヴィヒ2世とは何てロマンチストなのだろう…」と強く感心&感嘆してしまった。
美しい大自然の中にそびえ立つこれまた美しいノイシュヴァンシュタイン城
2日間行動を共にしたNさんとはここでお別れ。
ミュンヘン 1日間
ミュンヘンは大都市なのに街並みが美しいのがすばらしい。
建物はロマンティック街道と違って全部バロック建築である。
特に市庁舎のカラクリ時計は有名である。
ヨーロッパの街には大道芸人が多いが、ここミュンヘンにおいては特に多かった。
しかも、その多くは楽器でクラシック音楽を奏でているという王道的なものである。
それだけ、この街に芸術が根づいているのであろう。
生の美しい演奏が街中に溢れていてなんとも高揚した気分にさせてくれる。
宿では早稲田大理工学部の大学生2人組と相部屋だったが、色々と話をした。
オーストリア
ザルツブルク 半日間
ザルツブルクに入る前から頭の中は、子供の時に何度か観た映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」でいっぱいである。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台ともなったザルツブルグだが、音楽の街ということでものすごく有名でとても美しい都市である。
また、「北のローマ」と称される、ローマ系建築の都市でもある。
それにしても、ホーエン・ザルツブルク城といい、ミラベル庭園といい、見事なまでにミラベル!(美しい)。
お店から横に張り出した鉄製の看板が美しいショッピングモールのゲトライデガッセ通りは、この上なく旅情を感じさせる。
ホーエン・ザルツブルク城の真下に広がるゲトライデガッセ通り
日程が許せば、ザルツブルク近郊にあって、「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった丘陵・湖水地帯であるザルツカンマーグートに行きたかったが、またいつの日か行こうと思う…。
でも、ホーエン・ザルツブルク城からの眺めも絶景で、これまた「サウンド・オブ・ミュージック」の世界そのものであった。
ザルツブルクのミラベル庭園と上にそびえるのはホーエンザルツブルグ城
ウィーン 2日間
ザルツブルクから列車に揺られて3時間。
ウィーンの周囲80kmはウィーンの森に囲まれているので、ウィーンは森深い箇所にあることを強く印象づけられた。
「会議は踊る、されど進まず…」。
ウィーン西駅に着くやいなや、映画「会議は踊る」のテーマが頭の中を駆け巡る。
すると、それに早速水を差す出来事が…。
宿をすぐ決めた後、夜中に街を歩いていた時のことだが、汚らしいおっさんが私が飲んでいる途中のコカコーラ・ライトを飲ませてくれ…というようなことを言ってきたので、飲みかけのものをあげたら、ものすごく喜んでいた…。
気を取り直して、翌朝からは再び「会議は踊る」を頭にならして、ウィーンを徹底的に散策した。
ウィーンは城壁が壊されてできた「リンク」と呼ばれる環状道路沿いに比較的多くの見どころが点在している。
ホーフブルグ王宮、ヴォーティフ寺院、ウィーン大学、ゴシックとルネサンスが融合した市庁舎、博物館などを一気に見て回った。
そして、ウィーンのシンボルマークともいえる聖シュテファン教会を外から中から見学したが、ここからの見晴らしは当然ながらとても良かった。
シュテファン教会にほど近いカフェでお約束のザッハトルテとウィンナーコーヒーをいただきましたが、美味しゅうございました…。
シュテファン教会にほど近い美しきウィーンの街並み
上:ベルヴェデーレ上宮
下:ベルヴェデーレ下宮
上:誉れ高きウィーン国立歌劇場
下:ハプスブルグ王宮ホーフブルグ
その後は、ウィーン包囲からウィーンを守ったサヴォイアのオイゲン公の宮殿、広々として美しいベルヴェデーレ上・下宮と庭園、ステンドグラスがとても印象的なカールス教会を見て回った。
「ライン川は見たし、ウィーンに着たからにはドナウ川を一目見なくては…」と思い、わざわざドナウ川を見に行ったのだが、このあたりは中流であることもあり、まだ大河になっていなかった。
遠くに映画「第三の男」で有名なプラター遊園地の観覧車が見えた。
頭の中でテーマ曲をかき鳴らしていたことは言うまでもない…。
ウィーンでもパリと同様の旅愁を覚えたが、これはブルボン家のパリとハプスブルク家のウィーンが放つまばゆい光の部分というべきものであろうか。
また、モーツァルト、ベートヴェン、シューベルト、マーラーといった偉大なる音楽家を保護した都でもあるわけで、そう思うだけでも興奮してくる。
本場で公演中のウィーンフィルオーケストラのコンサートを聴きたかったのだが、服装はラフなものしかなかったし、夜行列車で移動しなくてはならなかったので断念した。
ウィーンには二つだけ欠点があったのだが、一つ目は、次のスイスほどではないが意外に物価が高いことで、もう一つは、ウィーンにはところどころに馬が走っているので、馬の糞の臭いがたまに漂ってくることであった。
スイス
チューリッヒ 数時間
前夜21時に乗った夜行列車は6時にチューリッヒへ到着。
この日から旅も後半へ突入する。
「世界の自然公園と言われるスイスに来た時に何故空が曇っているのかいな!」と天候を呪う。
しかし、一人当たりのGDPが常に世界一クラスのスイスだけあって、物価は日本の1.2倍ぐらいするのだが、人々の心は豊かなようで、自動車の運転のマナーが考えられないほどに良く、歩行者優先の原則がすさまじいまでに貫かれていた。
衣食足りて礼節を知っている国民だということであろう。
夜行での移動だったため、疲れのとれない身体を引きずってチューリッヒを散策。
スイス最大の都市といえど小さな都市で、チューリッヒ大学から眺めた景色が綺麗なものの、チューリッヒ事態に何があるというわけではないので、大聖堂を見学して早々とベルンへ向かった。
ところで、スイスは多言語国家だから列車では2ヵ国語を話すのだが、フランス語の響きに対してドイツ語の響きはあくまでゴツい。
「チューリッヒ、ジュネーヴ」というのが「ズーリック、ゲンフ」といった響きなのである。
チューリッヒの街並み
ベルン 半日間
列車にゆられること約1時間でベルンへ到着。
ベルンは街ごと世界遺産で完璧なまでの美しさを誇るスイスの首都。
首都とは言っても人口は14万人。
それにしても、ドイツ語圏の都市では、どこを見てもため息しかでない程、魅力的でかわいらしい街並みを見せつけられる。
首都というよりは完全に中世の都市のようであり、それでいながら、普通に生活する人々の生活の息吹が聞こえてきそうな街でもあった。
かわいらしい首都ベルンの街並み
街ごと世界遺産のスイスの首都ベルン
「ベルン」とは熊を意味するのだが、熊公園で熊が飼われている。
熊を一目見ようと公園へ行ったのだが、熊の野郎にあまりにやる気がないのがおかしくてしょうがなかった。
大聖堂で美しいパイプオルガンを聴いていたら、それが地獄のシンフォニーだったようで、転げ回りそうなぐらいに腹が痛くなったので、トイレを探しまくって、近くのマックで用を足した…。
ベルンの街はなく美しくてかわいらしい
YHに宿泊したが、同い年の福岡大の男と話し込んだ。
今回の旅の予定には入っていないのだが、シャモニーがあまりにすばらしかったようで、シャモニーのすばらしさについて熱弁を振るっていた。
いつの日か行ってみたいものである。