GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

記録は人生のファクトチェックに役立つ(下)

人には現在と未来しか残っていないのだから、他人とは現在もしくは未来の話題を中心に話さないようでは仕方ないと思っているので、俺は友人と会ってもできるだけ昔話をしないようにしているし、それだけに昔話ばかりをされると辟易するほうでもあるので、昔話ばかりをされた場合には多少失礼でもあえて話の腰を折るようにしている。

とはいえ、現在と未来が大事とと言いつつも正確な過去を把握することはとても大切だということを前回に述べたのだが、俺はこれまで以下のような記録を残してきているようである。

 

特に旅の記録は子供の頃から細かくつけていて、以下はそれぞれ1冊ずつびっしりと文字と絵で埋め尽くした冊子が7冊残っている。

スマホがない時代なので、旅先で暇な時間があれば出来事や感じたことの記録を残していたのだと思う。

 

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書き残してきた旅行記と日記

 

 

日記も長年つけているのだが、高校2年生以降に関しては、高校3年生の後半の半年間と2000年3月~2002年末までの2年8ヵ月の2つの期間のみ日記をつけていないだけで、大学時代の手帳を入れればほとんどつけている。

中学1年生までの日記に関しては残したり残していなかったりするのだが、自我が芽生える前の自分の記述にほとんど興味がなく、実家のアルバムで画像を見れば十分なので、記述に関してはそれ以降のものがあれば十分である。

 

  • 小学生の時の日記 →あると思うが興味がないので実家に放置
  • 1990/1/28(中1)~1993/8/17(高2)→ほとんど記載なし
  • 1993/9/24(高2)~1994/9/23(高3)→ほぼ毎日記載
  • 1995/4/1(大1)~1999/3/31(大4)→手帳に出来事記載
  • 1999/3/29(社会人1)~2000/3/13 →入社日から当時の彼女と別れるまで

 

社会人1年目ほどではないものの、記録のない2000年3月~2002年末は社会人2年目~4年目で自分としては大きく成長できた時期なのだが、仕事と遊びが本当に多忙だったために日記をつけなかったのだと思う。

なお、カレンダーに当時の仕事のスケジュールを書いたものを別途持っていたのだが、断捨離をした際に捨ててしまったのでこの期間を振り返る術がなく、少し残念である。

2003年以降に関しては全て同じKOKUYOのCampusノート3冊に記録してある。

 

  • 2003/1/1~2004/9/17 →会社を辞めると決意した年始からほぼ毎日
  • 2004/9/18~2006/12/17 →ほぼ毎日で再就職前日がちょうど最終ページ
  • 2006/12/18~2009/11/20 →再就職した日から入籍前日まで週2回程度

 

そして、入籍前日に妻が「10年日記」をくれたのだが、俺が左側、妻が右側に書くようにしていて、旅行後などは後追いで書くことがあるものの俺に関しては1日の抜けもなく記載しており、今年は最終年の部分に記入をしている。

まあ、うちのご主人に関しては書いていない日も多いのだけど…。

 

  • 2009/11/21~今日まで →妻がくれた10年日記に1日の抜けもなく記載

 

なお、今年は最終年なので書く前に過去9年分の同じ日の日記を全て読み返して、思い返せない日はないか確認するようにしているのだが、ほぼほぼ思い出すことができるようで、10年程度では記憶はなくならないのだなと感じているが、あくまでそれは日記という記憶を引っ掛けるためのツールがあってのことである。

また、日記を見返してある事象が随分と前の事象であることに驚いたり、ある事象よりある事象のほうが前の出来事だったり後の出来事だったりして驚くこともある。

 

日記以外の記録として残している主な記録は写真とブログということになるが、本ブログは正確には2004年9月1日から書いており、昔はレベルの低いことも書いていたものだと呆れることがあるものの自分の思索のアーカイブとなっている。

また、自分で撮って現像に出した紙の写真に関してアルバムに律儀に整理してありながらも全て実家に置きっぱなしなのだが、デジカメが出てからの写真についてはわかりやすいようにフォルダを分類して整理してある。

また、昔は上記のようなノートに書き残してきた旅行記も今はブログやフォトアルバム上に残すようになった。

とはいえ、ブログに起こすためのキーワードを箇条書きにするメモ帳は今も現役で旅行時には持ち歩いている。

その他にも、家計簿・投資&資産管理メモ・読書感想文・映画やミュージカルの感想などのログも10年以上はデジタルで細かく残しているが、ログを取るのを止めたものや、例えば、食べたものレコーディングやアンガーログのように急にログを取り始めたり、ログを取るのを止めたりする記録もある。

また、Google様は俺のメール内容・写真・検索履歴・閲覧履歴・居場所を逐一把握しておられるので、俺本人以上に何でもご承知でおられるし、必要とあらばその機能を用いて自分の履歴を検索することもできる。

 

俺は高3の後半と2000年3月~2002年末のことに関しては記憶以外には写真ぐらいしか振り返る術がないというのに、時が今のようなデジタル&クラウドの時代になってからは自分の中でのファクトチェックが簡単にできるようになったので本当にありがたいと思う。

とはいえ、一覧性という意味では日記帳はまだまだ有用だと思うのでこれからもつけていきたいと思う。

 

最後に、過去の日記を読み返すという作業は実に実にほろ苦い作業の連続であったということだけは述べておく。

  旅行記には記憶以上に細かいことまで書いてあるので後になっても正確に思い出せる(余談ですが、文中最後の「わき気は大」というのは誤字で、正確には「わき毛は大[サービス]」です。当時、わき毛を伸ばしっぱなしにして隠しもしていなかった中国人女性に驚いていたようです)

 

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記録は人生のファクトチェックに役立つ(上)

人は現在にしか生きていないので、過去・現在・未来のなかで最も大切なのは現在なのだが、未来のリスクを減らすよう考えを巡らせてしまうし、過去のことを思い返してしまったりもする。

 

この前ふと「大学の頃ってどんな授業を履修してたっけ?その中に俺の血肉になってるものってあるのか?」と思って大学時代の手帳をかなり久しぶりに引っ張り出して見たのだが、科目の記憶もろくになければ、先生の顔もあまり思い出せなかった。

巻末に出席状況の表を自作してつけていたのだが、それを見返してあまりにも授業に出ていないことに唖然とした。

さすがに学費と生活費を出してくれた親に申し訳ない気持ちになる。

 

なお、この手帳は予定を書いていたものでありながら、日記の用途も兼ねるようにしていたため、予定と結果が違っていた場合にはキャンセルとなった予定のほうを消して、結果のみを書き残すようにしていたのだが、結局は手帳には男女を問わない友人との遊びの記録ばかりが書き残されているというありさまだった。

授業と部活とアルバイトがありながらこれだけ遊びまくっていたらろくに寝る間もなかっただろうにと当時の体力の凄さに中年になって驚く。

 

今でも大学の友人や社会人になってからの友人とはLINEで頻繁にじゃれ合っているのだが、この手帳の中の笑えるページをいくつか写真に取って大学の友人達と共有してみた。

そして、俺が手帳に書いていたのは出来事だけだったのだが、細かいエピソードの記憶が人によって食い違っていることがLINEでやりとりするうちにわかっていった。

今となってはどうでも良いバカ話であるとはいえ、真実がどうだったかはきちんとわからず、個人的には結構もやもやした気分になった。

日記ではない出来事メモだったので細かいことについて書いているわけではないし、詳細について覚えていないことに関しては仕方ないと思うが、とりあえず出来事だけでも正確にメモしておいて良かったと今になって強く思う。

 

ところで、「思い出作り」という言葉があるが、この言葉には楽しいから夢中でやるというより、思い出を作るために行うというようなニュアンスがあるように思う。

もうすぐ亡くなる人との「思い出作り」であればそれはとても良いことだと思うのだが、そうででもない限り、この後ろ向きな言葉を好きになれない。

 

しかし、出来事すらメモしていなかったら過去のファクトチェックができずにもやもやすることがもっと多かったろうと思うし、自分の人生から思い出が消えてしまいかねなかったわけで、普段は短所と思っている自分の几帳面さに感謝をしてしまうわけである。

思い出作りは好きではないが、やはり思い出は大切である。

 

(下)にはこれまで俺が自分のために残してきた記録について書く。

  

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f:id:gooddays-shumai:20201228193324j:plain大学の手帳