GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

望んでいない転勤はさせるべきでないと思う

カネカに勤務していたとある人が家を買って育休取得をした後に転勤辞令が出たために退職しただの、実はその人は育休中に起業準備をしていただのいう複雑な内容のトピックが少し前にネット上で出ていた。

起業準備に関しては内心の自由なので何とも思わないし、こういうことにグチグチいう人間が多いことに俺は嫌気がさすほうである。

でも、こういった部分をやたらと攻めたがるのが日本社会というものでもある。

 

このトピックでカネカは転勤辞令を出したことには問題がないと述べていたが、確かに契約上の問題はないとはいえ、こうした認識を持っている会社に違和感を抱いたという人が多かったから話題になったのだろうと思う。

つまり、この問題はカネカ一社の問題ではなく、社員に転勤を命じる全ての企業にあてはまる問題でもあるということである。

 

育休取得後の転勤辞令に対して世の中が違和感を持ったのは、「夫が乳飲み子の子育てをすることができなくなっても仕方ない」もしくは「一緒に妻もついていく場合、妻の現在の仕事のことは一切考慮しない」と転勤を命じる会社が考えていると思わざるを得ない点に対してであろうと思う。

夫だけが転勤をしたら乳飲み子の世話は妻がするしかないし、妻もついていったら妻は今の仕事を辞めるしかないのだが、カネカが出したコメントにはこの点に対する配慮がない。

 

営業職の男を数多く雇っている古いタイプの会社には「子供が病気をしても妻が会社を休んで子供の看病をすれば良い」と言わんばかりの考えを持つ会社が多いのではないかと勝手に想像しているのだが、転勤辞令の罪はそれよりもずっと重いと思う。

過去にも同じようなことを何度か述べているのだけど、あたりまえのように数年ごとに転勤を命じる組織にはその組織のあり方に対して違和感を抱く。

もちろん、何千万円もの報酬を受け取る余人をもって代えがたいエグゼクティブの転勤であれば仕方ないといえるが、それ以外の引っ越しを伴う転勤を希望しない社員に転勤を命じるのは人権を踏みにじる行為に近いと思うのである。

 

とはいえ、俺は住む場所を自分で選ぶということは人生においてものすごく大切なことと思っていたため、大学生の時の就職活動の際に転勤の可能性がある会社をことごとく受けなかった。

会社に言われるがままに自分で選んでいない街に住むことは他律的人生にあたると思ったのである。

俺のように転勤ありの会社を避けた者からすれば、転勤ありの会社に就職したほうが悪いと言えなくもないが、おかげで当時の俺はまともに大企業を受けることができなかった。

今はどうだかわからないが、当時の大企業のほとんどは転勤の可能性を排除していなかった。

 

なお、人に頭を下げるのが好きでない俺は営業職にシンパシーを抱いておらず、それに加えて、客先でお腹が痛くなったり外でウォシュレットでないトイレに行くハメになったら嫌だなと思い、文系学部出身でありながら大企業だけでなく営業職もパスしたのだが、これだけで随分と選択肢が狭くなったものである。

 

また、俺が大卒後に就職した会社には「支社も現地採用なので転勤無し」と聞いて入ったのに、入った初日に名古屋支社に転勤を命じられた者が1名だけいたのだが、企業というものは油断も隙もないなあと思ったものである。

 

引っ越しを伴う転勤に対する世の中の風当たりは強まっていると思うが、こうしたニュースが数多く出て引っ越しを伴う転勤を希望しない社員への転勤辞令は人権違反に近いものですよという認識が大企業に膾炙すれば良いなあと思う。

 

gooddays.hatenablog.jp

 

この時期は混んでいることで有名だが、ダメもとで行ったら空いてた長谷寺アジサイ

 

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鎌倉高校の前の踏切には日本人は誰もおらず、制服を着た人も実は外国人だった

 

ひきこもりをどうする?

韓国における「従軍慰安婦」問題や「徴用工」問題はあと10年もすれば対象者が亡くなってしまうので、直接的な請求に関しては下火にならざるを得なくなる。

したがって、この件はひたすらその時を待つしかないといえる事例だろうと思う。

 

しかし、今ホットな話題となっているひきこもりの扱いの問題は時間が経てば経つほど事が大きくなってしまう問題である。

「8050問題」はあと10年経てば「9060問題」になり、親が亡くなり、親の年金も途絶える。

 

ひきこもりを内包する家庭がひきこもりの存在を隠したり、家庭で背負ったりせずに行政に相談するなり、社会全体がもっと早い段階でこの問題に真面目に取り組むなりしていたら少しは違った結果になったかもしれないが、もう既に時は遅い。

ひきこもりが犯罪に走る場合、社会に対して強い逆恨みの感情を抱いてか、老いて弱くなった親にあたるかということになることが多いと思うが、後者の場合は家から追い出しても暴力を使ってでも全力の内弁慶ぶりを見せて死ぬ気で抵抗をするので外的な強制力が必要となるが、さすがに行政や警察にその監視の役割を担うよう期待するのは無理があるともいえる。

しかし、家庭内暴力に対する取り締まりは家庭内にカメラの設置をしてでもすぐにしなくてはならないと思うし、防止のためのアイデアや技術は色々とあるのではないかと思う。

 

長期的にひきこもりに対して取り得る選択肢は、更生させるか、金銭的支援をするか、親の年金切れで野垂れ死にしても放置するかという3択となる。

更生させることができればそれにこしたことはないが、これまで出てこなかった者を引きずり出すのは並大抵の努力でできるはずがないため、この試みは極めてコストパフォーマンスの悪い試みとなるのであろうとは想像に難くない。

正直、諦めが肝心だろうと思う。

また、憲法25条で生存権を認めている以上、野垂れ死にさせるという選択肢はないし、そうしてしまうと世の中への逆恨みを増幅させてなりふり構わない手段で社会への復讐をする可能性が高まるだろうからこの選択肢を取ることはできない。

したがって、現実的には福祉と犯罪抑止といった視点から金銭的支援=生活保護での支援という解に落ち着かざるを得ないと思うが、生活保護政策にはフリーライダーを排除するのが難しいという問題が常に伴っている。

 

ひきこもりが生活保護受給者になり、社会全体における生活保護の受給率が上がる時代においてはどうしても受給者にあと一歩踏み込んだ不自由を受け入れてもらわざるを得なくなると思う。

そのためには「人権派」の意見をはねのけてでも、博打や酒に使えないよう用途を指定したバウチャー制を採用するなり、これから大量発生するであろう空き家を活用するなり、生活保護を食い物にする業者を排除するような支給策に切り替える必要があるように思う。

ひきこもりに生活保護を受給させれば、そのことによって彼らに一定程度の幸福が保障されるし、また、彼らが「無敵の人」になって社会に対する復讐を企てることを抑止する効果も大きいのではなかろうかと思う。

 

AIのシンギュラリティの実現によってベーシックインカム政策に切り替えられるのであれば生活保護は必要なくなるが、そんな話は夢物語だろう。

彼らを生活保護政策で救うのであれば制度設計変更の猶予はもうわずかしかないと思う。

 

それにしても犯罪の男女差には愕然とする。

世の中が女性だけになったらどれだけ平和になることかとすら思う。

 

【2019年7月17日追記】

「徴用工」の問題は俺が思っていたよりもずっと大きな問題で対象者も20万人以上いるようで日本政府として全く譲れない問題でした…。

 

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三浦半島の小網代の森はものすごくすばらしい場所だった