人は現在にしか生きていないので、過去・現在・未来のなかで最も大切なのは現在なのだが、未来のリスクを減らすよう考えを巡らせてしまうし、過去のことを思い返してしまったりもする。
この前ふと「大学の頃ってどんな授業を履修してたっけ?その中に俺の血肉になってるものってあるのか?」と思って大学時代の手帳をかなり久しぶりに引っ張り出して見たのだが、科目の記憶もろくになければ、先生の顔もあまり思い出せなかった。
巻末に出席状況の表を自作してつけていたのだが、それを見返してあまりにも授業に出ていないことに唖然とした。
さすがに学費と生活費を出してくれた親に申し訳ない気持ちになる。
なお、この手帳は予定を書いていたものでありながら、日記の用途も兼ねるようにしていたため、予定と結果が違っていた場合にはキャンセルとなった予定のほうを消して、結果のみを書き残すようにしていたのだが、結局は手帳には男女を問わない友人との遊びの記録ばかりが書き残されているというありさまだった。
授業と部活とアルバイトがありながらこれだけ遊びまくっていたらろくに寝る間もなかっただろうにと当時の体力の凄さに中年になって驚く。
今でも大学の友人や社会人になってからの友人とはLINEで頻繁にじゃれ合っているのだが、この手帳の中の笑えるページをいくつか写真に取って大学の友人達と共有してみた。
そして、俺が手帳に書いていたのは出来事だけだったのだが、細かいエピソードの記憶が人によって食い違っていることがLINEでやりとりするうちにわかっていった。
今となってはどうでも良いバカ話であるとはいえ、真実がどうだったかはきちんとわからず、個人的には結構もやもやした気分になった。
日記ではない出来事メモだったので細かいことについて書いているわけではないし、詳細について覚えていないことに関しては仕方ないと思うが、とりあえず出来事だけでも正確にメモしておいて良かったと今になって強く思う。
ところで、「思い出作り」という言葉があるが、この言葉には楽しいから夢中でやるというより、思い出を作るために行うというようなニュアンスがあるように思う。
もうすぐ亡くなる人との「思い出作り」であればそれはとても良いことだと思うのだが、そうででもない限り、この後ろ向きな言葉を好きになれない。
しかし、出来事すらメモしていなかったら過去のファクトチェックができずにもやもやすることがもっと多かったろうと思うし、自分の人生から思い出が消えてしまいかねなかったわけで、普段は短所と思っている自分の几帳面さに感謝をしてしまうわけである。
思い出作りは好きではないが、やはり思い出は大切である。
(下)にはこれまで俺が自分のために残してきた記録について書く。
大学の手帳