GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

若者がインフルエンサーに振り回されたらどうする?

このところ気になったTwitterのツイートがいくつかあったので取り上げる。

 

以下は藤沢数希氏のツイートである。

 

金で買える娯楽は大したことない、学問が一番の娯楽、という話で言うとな、僕にとっては金こそが最も面白い研究対象であり、学問なのよ。
人間が金を巡ってどう動くんか、こんなサービスがどうやって市場ができて適正価格が決まってくんか、みたいなのが面白くしかたない。
で、金がまた増える、と。

 

美味いもの食ったぜ・いい店だろ自慢に余念のない感じの藤沢氏をしてこのツイートとはと思った。

俺も、本当に好きなこと・楽しいことって何かと聞かれたら、知ること・学ぶこと・気づくこと・考えることだと述べたことがあるが、贅沢の限りを尽くしている藤沢氏でもそうかと思った。

また、確かにお金は学習対象として最もおもしろいとまでは言わないけど、とてもおもしろい分野である。

 

イケダハヤト氏のツイートには興味のないツイートが多すぎるので、フォローするのはすぐに止めたけど、最近、氏が以下のようなツイートしたことを知った。

 

ぼくの周りには、もう「やりたいこと」が「消費」な人はいないなぁ。
みんな、やりたいこと=生産。

何かを生み出す遊び、挑戦がしたい。
それが当たり前すぎて、やりたいこと=消費という感覚がわからなくなってきている……。

 

世の中は万事が因果応報と思うので、特定個人に対してネガティブなことはあまり書かないようにしている俺でもイケダハヤト氏の意見には浅いものが多いと思うと書いてしまうのだが、このツイートは目についたので挙げてみた。

消費に魅力を感じていないと述べている意味では藤沢氏と同じ筋の意見であろうと思う。

生産に価値がないとは思わないものの、生産は他律的要素であると俺は過去に述べているが、アドラー心理学と絡めてこの辺について今後どこかで述べる予定である。

 

「やりたいことをとことんやれ!ハマれ!」というのは世の成功者の述べる一丁目一番地的な意見である。

これは、成功したスポーツ選手に夢を追うことの必要性について聞くのと同じだが、本当ならば、夢破れた人からも同じように聞くべきであり、むしろ99%の人は夢破れているのだから、夢破れた人99人と成功者1人に意見を聞いて丁度良いぐらいなのに世に流布するのは圧倒的に成功者であるインフルエンサーの意見だったりするから困ったものだと思う。

その点、先日の日大アメフト部のあからさまな反則事件はスポーツの闇についてさまざまな示唆を与えてくれるいい教材だと思う。

 

ある程度生きていれば世の中の構造と本質がわかってくるので、サロンや情報商材のようなネズミ講的な商売や意見にとらわれたり夢見たりすることはなくなるのだが、何も知らん若者が「やりたいことをやればいつか必ず成功する」と真に受けて大火傷したらどう思うのだろうといつも思う。

 

そして、真に受けたら大変なこと間違いなしなツイートが以下の前澤友作氏のツイートである。

 

【お金は使えば使うほど増える理由】
お金めちゃ使う→とんでもないモノが手に入る、コトが体験できる、人に会える→自分の成長の大きな糧になる→気づいたら成長してる→気づいたら今までより稼げるようになる→さらにめちゃ使う→さらに成長する→さらに稼げる。

これの無限ループ。

お金減らない。

 

【お金が増えずに減っていくパターン】
お金少し使う→たいしたモノもコトも手に入らない、人にも会えない→人生にハリが出ない、モチベーションもわかない→そんなに成長しない→あんまり稼げない→けどまたなんとなくお金少し使う→少しずつお金減っていく。それも無限ループ。

 

お金めちゃ使うぞー!って思った瞬間から成長が始まるんだよね。何に使おうかなーって深く調べたり勉強したり、誰を喜ばせようかなーって思考したり企画したり。

めちゃ使う、というのは今の自分にとって「めちゃ」でよくて、金額の大小ではない。

 

【前澤流お金の使い方は子供の頃からで金額の大小関係ない】
小学生:お小遣い握りしめてビックリマンチョコ全力買い→スーパーゼウスいっぱい→友達欲しがる→あげる→注目の的。
高校生:バイト代握りしめてハードコアパンクのレコード全力買い→友達欲しがる→原価で売る→商売を知る→会社作る→今

 

金融商品は買いません。

買ってもみんなとシェアできないし、自慢にもならないし、ワクワクもしないから。

それに、きちんと商品の説明ができるプライベートバンカーや営業の方に会ったことがありません。

作り手や売り手の思いが伝わらない商品は興味も出ない。

 

そして、それに対しての堀江貴文氏のツイートは以下の通り。

 

同意だね

 

堀江氏は「やりたいことをとことんやれ!ハマれ!」「学校はいらない」という論者だ。

洗脳嫌いでとことん自分の頭で考えるのが好きという意味において俺は堀江氏に近い感覚を持つことも多いのだが、ゲーム依存症の人とかを見ていると氏の意見には肯定し辛い面も大きいと思う。

人生経験のない若者が天才である堀江氏の意見を真に受けすぎて大火傷をしないかとは心配になる。

そりゃやりたいことで成功できれば最高だろう。

また、やりたくないことで食わないと食えない人や、やりたいことをやって食うに困っている人が大半ななかで、「やりたいことをやれ」ツイートがマジョリティーを占め過ぎている。

本当に大切なのは、やりたいことをやらずに済む状況に持っていくことであり、そのためには、ビックリマンチョコハードコアパンクのレコードを買うよりも、アフィリエイトだのせどり転売だのといったどうしようもないような副業に手を出すよりも、若いうちにこそ節制をして株を買い続けて複利の力を味方につけるほうがはるかに真の自由を得る可能性は高い。

しかも、ビジネスや従業員や有名税といった人の自由を奪うファクターと無縁で済み、その上でやりたいことをやれるようになる。

  

 

最近、ブログの更新ペースを落としてらっしゃるちきりん氏の最近のツイートは以下のようなツイートだったが、「ちきりん」活動から違う活動に軸に移してらっしゃるのねと思った。

 

ここのところ毎日いくつも仕事が入ってて忙しいっちゃ忙しいのだけど、どれもとても楽しいので、本当に幸せなことだと思ってる。

おかげで(そのせいで?)まったくブログとか更新できてなくて申し訳ないけど。

 

あたしはだいたい7年くらい周期で新しい仕事をやりたくなる。

これまで「ちきりん」は本業だったけど、今はもう「副業」って感じかな。

 

もちろん、誰もがマッキンゼー出身のちきりん氏のように八面六臂の大活躍をして生きられるわけではないが、ちきりん氏が得たような自由は地道にやればいつかは得られるものだと思う。

 

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サントリーニ島

 

幸福への道と飽くなき努力は相反する

本ブログでは幸福になるうえで必要な道は以下のような考え方だと繰り返し述べているつもりである。

 

  • 足るを知る。
  • 現状に満足する。
  • 周囲と比べない。
  • 周囲を気にしない。
  • 自分に期待しない。
  • 他人に期待しない。
  • とにかく楽しいことをする。
  • 嫌いな人とは関わらない。
  • 時には諦めも肝心。
  • 有名にならない。

 

子供の頃に近所の文具店に行って、「きれいな空とカッコいいブルートレインの絵を描くぞ!」と思いながら画用紙を1枚だけ手に取って、分厚さや触感を確かめつつ、画用紙の表面の模様を見て、空を描く時に絵の具をどのようににじませるかを想像するだけで興奮できていたのに、もしくは、8ビットのファミコンゲームに無限の可能性を感じていたのに、それを感じることができなくなる悲しさは、満足の閾値が上がってしまったことへの悲しさである。

できるだけその閾値を上げないように心をチューニングし続けるのが上記に述べた幸福への道だと思う。

 

今度は、飢えをしのいで生存競争に勝つ道というものについて考えると、以下に列挙したような考え方が思い浮かぶが、これが見事なほどに幸福への道と相反していることに驚く。

 

  • 飽くなき努力をする。
  • がんばって競争に勝つ。
  • 現状に満足したら負け。
  • 向上心を持つ。
  • 時には我慢も必要で辛くてもがんばる。
  • 生産性を上げる。
  • 効率を上げる。
  • 充実感を追求する。
  • 不屈の闘志で諦めない。
  • 成果のためには嫌いな人とも関わる。
  • 現状維持は衰退だ!GDPを増やせ!他国に負けるな!需要を喚起せよ!ナイトタイムエコノミーを発掘せよ!

 

そうか!競争に勝つ努力や現状に満足しない精神は飢えをしのぐのには役に立つが、幸福になるには逆効果だったか!と思うわけである。

まさに俺の嫌いなスポ根、決して現状に満足することのないスポーツ選手や起業家の精神性は幸福への逆走だったかと思うわけである。

もちろん、スポーツには楽しむことが目的という側面もあるので、スポーツが不幸への道というつもりは全くない。

 

とはいえ、人類はこれらの努力をすることで発展してきたわけで、そのおかげでとりわけ先進国の国民は飢えや疫病から逃れることができた。

先人の努力に感謝することしきりである。

グローバル資本主義経済とその両輪をなす民主主義というシステムの上で払われた先人の努力の蓄積によって我々はそういった恩恵に預かることができているわけである。

その結果として、生活保護や刑務所レベルでも100年前の生活水準をはるかに上回る生活が可能となっているわけである。

しかし、幸福追求の立場からするともう十分だろうとも思うのである。

 

グローバル資本主義経済は万人を非情なまでに苛烈な競争に巻き込む。

食料品店をやっていれば近くにイオンモールができ、書店をやっていればAmazonに飲み込まれる。

教育は納税者とその競争に生き残る人材を育成する目的でなされ、世の中で人を紹介する時にはその人の職業で紹介するように、グローバル資本主義経済では客観的な人の価値は職業や経済力で測られやすい。

 

また、資本主義システムは成長が大前提となっているため、需要を創造することが至上命題であり、そのためにありとあらゆる手をつくす。

経済学者のジョン・メイナード・ケインズは1930年に「2030年までに1週間の労働時間は15時間になる」と予測していたが、仮に潜在需要が劇的に増加しなかったらそれは十分に達成可能であろう。

供給できなければ需要を満たすことができず、また、需要がなければ供給を抑制させられてしまうわけだが、仮に将来の潜在需要が現状とそれほど変わらないならば効率化によって必然的に供給に要する時間が減ることになるはずである。

ましてや今はケインズがいた時代と様相が異なって、AIが未来の社会に及ぼす影響についてのさまざまな予測が出てきている世の中である。

しかし、俺の見立てでは、需要はまだまだ創造され続けるように思え、また、それを満たすためにAIではカバーをしきれない職業がまだまだ見いだされるだろうと思うし、人々は1週間15時間労働で得られる生活水準では満足しないように巧みに誘導されるだろうと思う。

 

しかし、大衆と違う道を進むのは全く難しいことではない。

世の中にある数々の需要と労働への誘導トラップから自由になり、幸福に生きるための武器がまさしく「清貧の思想」であり、冒頭に述べたような幸福への道だと思う。

 

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