先日、内山直氏著「幸せの確率」はアーリーリタイア本の決定版という内容で書いた際に、高村友也氏著「自作の小屋で暮らそう-Bライフの楽しみ」と山崎寿人氏著「年収100万円の豊かな節約生活術」の紹介をすると言っておきながら延び延びになっていたのでそろそろと思ったのだが、その前に俺のバイブルについて述べる。
俺のバイブルには2冊あって、それは、デール・カーネギー著「人を動かす」と中野孝次氏著「清貧の思想」であり、両方とも故人の著作だが、この2冊は宗教を一切信じない俺に対して生きるうえでの確かな解を与えてくれた本である。
特に後者の清貧の思想についてはこれまで何度も触れてきているが、今回述べるのも清貧の思想についてである。
バブル冷めやらぬ浮かれた1992年の日本社会に中野先生が警鐘を促したこの書は、後に到来するシンプルライフブームをはるかに先取りしているのだが、本の内容自体は古文を数多く引用しているので若干難しい内容となっている。
今回は本書の中で俺に特に影響を与えてくれた部分を抽出して述べる。
まず、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶・歌人・漢詩人・書家である良寛の句について。
生涯 身を立つるに懶く
騰々 天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
雙脚 等閑に伸ばす (文春文庫版51ページ)
以下は中野先生の解説を俺が要約したものである。
「嚢中 三升の米 炉辺 一束の薪」の部分で、草庵の中に乞食でもらってきた三升の米と炉辺に一束の薪(たきぎ)があるだけだが、これだけあれば充分と述べ、「夜雨 草庵の裡 雙脚 等閑に伸ばす」の部分では、夜の雨がしとしと降る草庵のなかでのどかに二本の足を延ばし、ゆったりと満ち足りた高雅な心境を保ち、至福の心持ちでいるというのである。
俺は宗教を信じていないから布施だの乞食だので生きることには共感しないし、ここまでの貧しさに耐えられるはずもないし、良寛のように高雅に立ち振る舞うことは絶対にできない。
しかし、実利一辺倒の対極のこの無欲で自由な生き方が人々に崇められるに至っているわけである。
また、良寛は寡黙の人で、知識の所有ですら所有として退けたとあるが、これも真を突いている。
確かに情報を頭に入れれば入れるほど雑念ばかりが増し、幸福度は低下しているのではないかとすら思う。
でも、知ることは俺の最大の趣味であり娯楽なので止められずにいる。
そして、俺以上にスマホやSNSに意識を奪われているような人は良寛の境地に想いをいたしてはいかがかとは思う。
俺には信仰はないが、函館のトラピスチヌ修道院の修道士の生き方はさらに純化されていて、人間の幸福というものについて考えるうえで大きな示唆を与えてくれる。
中野先生は池大雅・与謝蕪村・ゴッホの画を例に芸術について説いておられる。
世間にもてはやされるよな画を描こう、画で名を挙げようなどという、他におもねる心があっては画が卑しくなる。みずからが美と信ずるところに従ってそれを行う勇気がないから今の画は古に及ばない。(99ページ)
他無し。古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(99ページ)
本当に主体的に生きるとは何かについて深く考えさせられる。
なお、俺がことあるごとにプロフェッショナリズムを他律・不自由と述べ、アマチュアリズムを自律・自由・高尚と述べているのにはこのあたりの考え方が反映されている。
中野先生は、吉田兼好の徒然草の急所を引き合いに出し、それを要約して以下のように記されている。
人間にとっての最高の宝は財産でも名声でも地位でもなく、死の免れがたいことを日々自覚して、生きて今あることを楽しむことだけ(127ページ)
我々の人生を縛る受験やビジネスの発想に支配されずに、生を楽しむことについて深く考える上で自分の支えとなる記述だと思う。
そして、本書の本題でもある清貧の思想について。
日本にはかつて清貧という美しい思想があった。所有に対する欲望を最小限に制限することで、逆に内的自由を飛躍させるという逆説的な考えがあった。(161ページ)
所有を必要最小限にすることが精神の活動を自由にする。所有に心を奪われていては人間的な心の動きが阻害される、ということにかれらはいち早く気づいていたのだと思います。(166ページ)
ワースワーズの「低く暮し、高く思う」という詩句のように、現世での生存は能う限り簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としてのもっとも高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。(4ページ)
いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフということがしきりに言われだしているが、そんなことは我々の文化の伝統から言えば当たり前の、あまりにも当然すぎて言うまでのない自明の理であった、という思いがわたしにはあった。(6ページ)
幸福への近道が端的に記されていると思う。
俺が本書を読んだのは随分と昔のことなのだが、俺の価値観形成に与えたインパクトはあまりにも大きいのである。