GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

難病で人の人生を借りてでも、住みたいところに住み、やりたいことをできるやさしい世の中

今の世は本当に優しい世の中だと思う…。

なんだかんだで弱者を救済するシステムが整備されている。

口減らしだの、間引きだの、姥捨てだの、孤児だのが普通にあった世の中が昔にあったことを思うと、生活保護だとか、遺族年金だとか、専業主婦への年金など、福祉の力に敬服せざるを得ない。

暴力を振るったほうが負けになり、差別行為にも罰則があることを思うと民主主義の力に敬服せざるを得ない。

昔は性犯罪を証拠を立証する方法も訴える場所もろくになく、泣き寝入りするのが当然であったのであろうと想像するのだが、今の世は性犯罪者に対して痛烈な制裁を与えるわけで、鑑識の力と民主主義の力に敬服せざるを得ない。

 

前に、名護市に住む筋ジストロフィーの若い人が、自分が名護市で暮らすためには24時間つきっきりの介護が必要で、「が24時間介護をする予算がないという理由でそれをやめようとするのはおかしい。には生命の安全を真摯に考えて欲しい」と訴えていたニュースがあった。

この人、大学にも通っているみたいし、自分が住む地域を変えるのは嫌と言わんばかりのように見受けたんだけど、24時間つきっきり介護というのは、自分が生きるために常に誰かの人生を切り分けしてもらわなければならないっていうことでしょ?

「この人が大学に行ってなんか社会の役に立てるの?この人が何か生産するの?」と口まで出かかってやっぱり出ちゃうオイラだが、数々の福祉負担を誰かの税金によって切り分けしてもらうのはともかく、自分が生きるために常に誰かの時間を対等にもらわなくてはならないなんて、俺が当事者だったらどう考えるだろ…。

病院生活でいいと思うかもしれない。

 

こんな願いまで不服面で食ってかかることのできる今の世の中はホントに優しい世の中だと思った。

それだけのことだが、ちょっと例が不謹慎だったかな…。