最終回です。
男性はともかく女性というのは、美人であるか不美人であるかによって、世の中の多くの局面で扱いの違いを痛感するのではないかと想像する。
何故、そんなことを言うかといえば、プライベートに限っての話であれば、私自身が扱いを変えるからだ…。
ところで、美人不美人を決定する上で最も重要なパーツは当然ながら顔であるが、頭蓋骨から顔の形を再現することができるというぐらいだから、顔というのは生まれ持った頭蓋骨の骨格でほとんどが決まってしまうものであろう。
理性で考えれば、女性の価値や扱いを頭蓋骨の骨格なんぞで変えてしまうことはちゃんちゃらおかしいことになる。
しかし、理性と感情とで違うアウトプットが出た場合、感情に逆らって理性で処理することがなかなか難儀なことであるというのは誰もが知っていることである。
人間というのは理性で片づけようとしても、なかなか感情には逆らえないものなのだ…。
特にかわいいだの惚れただのという感覚において感情に逆らうのは難しい。
…というわけで、残念ながらというか言うまでもなく、人間というのは不美人より美人のほうが好きになりやすい。
男というのは女性よりも見栄っ張りな生き物である。
人の自慢話を聞かされるのは嫌で、優れたヤツに嫉妬しやすく、それでいて自分の自慢をしたり虚栄心を満たしたりするのは大好きだからタチが悪い。
自慢話をしたら聞いているほうはおもしろくないとわかっていても、ついつい自慢話をしてしまうのが男というヤツである。
見栄っ張りな生き物である男にとって、”いい女”というのは、自分の好みも虚栄心も満たすことができる最高のアクセサリーであるともいえる。
そういう意味でも美人をゲットするに越したことはないような気がする。
話は変わるが、世の中には「マニアック」な男というのがたまにいる。
他の男があまり見向きしないような女性のことを美人だと思う感性を持った貴重な男のことである。
また、特定部位にのみ異様にこだわるフェチもいる。
そういった男は高い倍率を勝ち抜いて女性をゲットする必要はなく、ある程度簡単に意中の女性をゲットしやすいといえる。
しかし、実際に好みが「マニアック」で、世間的には不美人な女性のことが実際に好みであったとしても、その子が世間的に見て不美人だとわかっている場合、その女性を連れて歩くのにはなかなかの勇気がいるであろう。
そういうわけで、昔の私ならば、あまりかわいくない女性を連れている男のことを残念だなという目で見ていたのだが、最近はむしろ尊敬のまなざしを持って見るようにしている。
特に男のほうがイケメンだった時には感心する。
見栄というあまり美しくない心情を捨てている姿勢に心服するからである。
前回、女性は受身的戦術を用いる述べたが、男性と比べて圧倒的に恋愛テクニックが上手だから、確実に果実を手にすることが多いように思う。
ところで、これは逆説的な例だが、世間を見回すと、彼のいない美人というのは多いのに、彼女がいないイケメンというのはかなり少ないように感じる。
これはおそらく、男は権威主義的なところがあるから美人に尻込みするのに対し、女性は意外に勇猛果敢であろうからだと思われる。
でも、逆に考えればイケメンは余っていないのに美人は余っているということになるわけだから、世の中の男性諸君にはもうひとがんばりして欲しいものである。
このシリーズはこの回で終了となります。