今日は礼状というものを久々に書いた。
先週の土曜日に日原鍾乳洞の食堂で携帯電話を失くして、日曜日に発見された旨の連絡を受けて、火曜日に「ゆうパック」で受け取ったのだが、礼状を出すのが今日=土曜日になってしまうとは私はなんともズボラな人間である。
まあ、仕事や飲みなどで猛烈に忙しかったんだけど…。
礼状の文例を検索して書こうと思ったのだが、その文面を見ても面白くもなんともなかったので少し崩して以下のようなことを書いた。
- 携帯電話をなくしたら本当に困ったことになっていた。
- わざわざ送ってくださったうえ、日原観光の冊子まで同封してくださってとても感激した。
- 携帯電話を送ってくれた方はもちろん、鍾乳洞の受付の方やバスの運転手の方の親切さにも感動した。
- バスの運転手さんと住民のやりとりや住民の方の会話などがすごくあたたかくて、ほっこりとした気持ちになったが、これらも日原のすばらしいところだと思った。
- 本当にすばらしい鍾乳洞だったし、夏にこんなに涼しい思いができてすばらしい日を過ごせたのでまた来たい。
私は教養がないととられることを恥じるタチなので、普段は時節の挨拶だとかきまりごとをきちんと守って書くほうなのだが、企業などから文例どおりの無味乾燥な文章を受け取る回数がやたらと多い時代になってきた気がするし、「今回は本当にありがたかったので、多少は崩してでも心を込めて書いたほうが良いだろう」と思ったので崩して書いた。
ここで関係ないことを言うが、私は郵政民営化には賛成で色々と熱烈に書いてはいるが、別に郵便局が憎いわけではない…。
僻地中の僻地である日原から1日で小包を届けてくれたのは「ゆうパック」で、しかも500円と安いし、今回出した手紙も郵便局員さんが届けてくれるわけであるのだから…。
ところで、私はアナログ人間なので、このように手紙を書くことがたまにある。
大学の頃なんて、複数の友人と月に1~2回ずつは手紙をやりとりしていたぐらいである。
しかし、メールが主流の時代に、手紙などを出すのは面倒なことこの上ないのだが、サプライズ的要素を持つツールとしてはかなり有用なのではないかと思う。
また、手紙の良いところは、筆跡から書き手の人間性を強くうかがうことができるところにもあると思う。
とはいえ、最近はキーボードに向かってばかり文を書くか、メモに殴り書きをするかどちらかで、ペンを手にとって丁寧に字を書くということがあまりないため、久々に丁寧に字を書こうとして、丁寧に書いているのに自分の字が下手くそになってしまっていることに愕然としてしまうのだが…。
私の殴り書きはかなりヤバいぐらいに雑なのだが、丁寧に書けは普通にはなると思っているので、字が下手になっていくことだけは勘弁して欲しいと思ってしまう。
しかし、字というのは人となりを映し出すというか、派手でバカそうな女性でも字が上手ならば上品に思えてくるし、バカっぽいギャル字や丸字を書く子にはそれなりの評価しか下せなかったりする。
さらにオヤジっぽいことを言うと、私らよりかなり年層の若い女の子の字というのは、そういう字の書き方が流行ったせいというのもあるのだろうが、見るに耐えない字が多いように思う。