混合診療についての話だが、医療の話ではなく、思想の話のつもりで話をしたい。
かなり前の2004年12月14日に小泉首相が保険診療と自由診療(保険外診療)の混合医療を認める方向で認めたが、小泉首相の英断はさすがだとは思ったものの、「やっとのことか…」感が否めないとも思った。
医療を完全にサービスと考えるアメリカのようにバカ高い医療費を払わずに済み、最高峰の医療を受けることは難しくとも、経済力によって受けられる医療のレベルの差が無いに等しい日本の医療保険制度は世界に冠たる制度であると多くの国民と同じくして私も強くそう思っている。
将来破綻しないか心配ではあるが、医者が多少偉そうにしていてもそれで我慢できるのもその制度を支持しているからに他ならない。
「混合診療を認めると経済力によって受けられる医療のレベルに差が出る」との触れ込みで医師会や役人は強く反対していたが、私はこれには怒りを覚えてしまう。
それは、私にとっては最も許しがたく大嫌いな思想である「悪平等主義」の最たるものだからである。
しかしながら、医者という人種には金持ちなのに何故か左寄りな考えを持った層が多いように感じるが、博愛主義がそうさせるのだろうか…。
医療のレベルに差が出ることを恐れるのならば、できるだけ差が出ないように「ベスト中のベストとは言えないまでも、これで医療としては十分に手を尽くしていえる」というレベルが常に維持されるよう迅速かつ徹底的に国が精査し続ければ良いではないか。
そして、この国が決めた医療のレベル・方針・考えに納得が行かない場合に、多額の私費を追加してでも何とか病気を治したいと思うのならば、それはその本人の自由であろう。
その行為のどこに卑しい部分が存在しようか…。
欧米ではあたりまえに使われている薬が、意思決定がおそろしく遅いと言われる厚生労働省の役人が許認可したかどうかの胸三寸で、自由診療か保険診療かが決まってしまう今のシステムそのものに多くの当事者が苛立ちを感じているであろうと思われるのに、一部でも自由診療を取り入れたらすべてが自由診療扱いになってしまうというのは、「国の決めた医療以外の医療はさせないぞ」という国の圧力以外の何者でもないではないか…。
保険外診療が診療の一部にでも入ると、その他の保険内診療も含めてすべて自由診療
現状のシステムではなりふり構わず十割の医療費を支払える本当の大金持ちか、たとえ借金してでも十割の医療費を払おうとする身内を持つ家しか助からないかもしれないわけで、それこそ経済力によって医療に差が出るということになるであろう。
それに、どちらにせよこの問題を論じること自体がナンセンスな時代が近々来るであろう。
いずれ、「考えられないぐらいのお金がかかりますけど、それでも延命治療をしますか?」「ものすごくお金をかかりますが、そうすれば生き延びることが可能です」というような時代が到来するのではないだろうか?
また、既にエイズ製剤やワクチンなどではその本人が生きている国がどの国であるかによっては製剤を購入できずに亡くなっている人が多い国も多数出ているであろう。
このように、“金の沙汰”次第で延命をあきらめなければならない時代が来ることを考えれば、延命治療の拒否や安楽死の問題など論じるまでもあるまいに…と強く思う。
鎌倉の切通し