中国
北京
日程的にはこの日からが旅の後半となる…。
とはいえ、飛行機の中からこの国の洗礼は始まっていた…。
飛行機の決められた座席に行くと別の女性が座っていて「あっちに座れ!」と言ってきかないわ、空いてる座席に女性が横になりだすわ、これまた別の女性がいきなりカップラーメンを食べ出したうえ、食べたフォークを床に投げ捨てるわ、信じられないような量の荷物を持ち込むわで…とにかくメチャクチャだった。
なお、後で、ホテルの廊下をブリーフ一枚で平気で歩く男性や、若い女性が爪楊枝をくわえて痰を吐き散らすような光景を入国後即座に目撃することになるのだが、「中国人ってこういう人種なんだ」と機内で割り切ることができていて良かった。
北京に着いてからも、ホテルに向かうタクシーが遠回りをするわ、ホテルに行ってもものすごく冷たい表情で「不有(メイヨー)」と言われるわで、さんざんな目に会い、せちがらい気持ちになった。
しかも、全く英語が通じないから参ってしまった…。
やっと英語でのコミュニケーションに慣れてきたというのに…。
筆談という武器があるのだが、彼らが使っている字体はもはや日本のものとは全く違う簡字体だし、出会う人出会う人考えられないほど字が下手なので苦労した。
地下鉄でも、乗るほうと降りるほうが同時にダッシュで駆け込むから両方が進まないし、座るときも人を平気で押しのけて座ってくるのでますます心がすさんできた。
中国人というのはウチとソトとで二重規範があって、ウチの人にはすごく義理堅いが、ソトに対してはこの上なく傍若無人であり、その意識が世界でも最低水準の公共性の低さに現れているのである。
“恥の文化”を持つ日本とはその辺が大きく違うわけである。
北京は、万里の長城・天安門・紫禁城…いちいち全部見ていたら時間がいくらあっても足りないと思えるほど見どころが多いから観光自体はものすごく充実していた。
天安門広場→故宮コースのスケールの大きさにはさすがに唖然とさせられた。
また、子供の頃から来てみたかったので感動した。
万里の長城へは中国人のツアーに参加したので中国人のウォッチングをしてそのハチャメチャぶりを楽しむことができた。
とはいえ、疲れることも多かったのだが…。
長城ではとんでもないスケールに驚くとともに、階段の急さに足がガクガクとした。
また、長城の下に捨てられまくったゴミのすごさには残念な気持ちにさせられた。
万里の長城の階段は急だ
ところで、中国の街にはどこにも必ずゴミの山が存在していて、そこからはあり得ないような悪臭が湧いているうえ、わけのわからない虫もたくさん湧いているからひとかたならぬ不気味さを感じた。
北京で最も衝撃を受けたのは、自然博物館の「人体新奇妙」なるコーナーだった。
人体を縦に真っ二つに割いたもの・輪切りにしたもの・さまざまな感染症・奇形・両性具有・無脳児・単眼児などのありとあらゆる・夥しい数のホルマリン漬けがそこにはこれでもかというほど置いてあった。
宗教を否定したマルクス唯物主義を掲げる共産政権からこそできる神をも恐れない科学肯定精神を強くここで感じることができた。
上海
北京から上海へは列車の「硬臥」という軟臥に次ぐランクの寝台列車で向かった。
同じコンパートメントにいた中国人は親切だったのだが、「お金があれば彼らの礼節を知るようになるのだなぁ~」と深く感心した。
列車は2時間も遅れたのだが、バンコクに着く列車は6時間以上も遅れたのであまり気にしないようにした。
行政首都北京に対して、上海は経済の首都ともいえるほど北京に比べて進んでいた。
「インフラはまだまだこれから…」といった感じなのだろうが、活気はすごかった。
人々の服装も幾分かマシになっていた。
何より北京の女性が生やしっぱなしにしていたわき毛が上海ではきちんと処理されていたのには驚いた。
上海外湾(バンド)の夜景は絵葉書どおりの美しさであった。
東方明珠塔の上からの夜景も相当な美しさであったし、2時間にわたる浦江のナイトクルージングも楽しかった。
豫園には小籠包で有名な南翔饅頭店の小籠包はかなり美味しかったうえ安いのでかなりたくさん食べた。
列に並んでも並んでも割り込まれてなかなか買えずに苦労したのだが…。
なお、このエリアにある食材市場に行ったが、食べ物の腐った臭いなどが普通に立ち込めていて、臭すぎて気持ち悪くなった。
中国人の食に対する意欲とたくましさには本当に驚かされる…。
ところで、タイではタイ人が小柄なためか、彼らが一日に何度も食事をするためか、ご飯の盛りが少なすぎたのだが、中国では盛りが多すぎて大変であった。
また、中国雑技団の公演を見に行ったのだが、こればかりは「すごい!」としか言いようのないすごい内容であった。
ところで、ここで一番ウケたのが、日本人観光客のおっさんが雑技団の公演を見て思わず、「よっ!日本一!」と叫んでいたことで、これにはかなり笑ってしまった。
中国人の大陸的とも社会主義国的ともいえる図々しさ・ふてぶてしさ・たくましさ・洗練されていなさには、同じ人種でも同じように思ってはいけないと強く感じさせられていたわけだが、中国で最も仲良くなったのは少数民族の物売りの娘達だった。
日本人の旅人と接するうちに日本語を話すことができるようになったという少数民族・サニ族の女性たちと、南京出身の異常なまでに陽気な男と仲良くなったため、上海にいる間の長い時間を話などをして過ごした。
南京男がゴミを道に捨てるのを見て、「ゴミは道に捨ててはいけない。日本ではそれはあたりまえのことだ!」と言ったら、「そうか…中国人がやっていることは恥ずかしいことだったのか…」とえらく恥じ入っていたのが印象的だった。
サニ族の女性の通訳によって会話が成立していたのだが…。
サニ族の娘は親切な日本人は大好きだが漢民族は大嫌いなのらしい。
そして、もちろん毛沢東は大嫌いで周恩来は大好きなのだそうな…。
仲良くなったこともあってカバンを買っていったのだが、このカバンは日本に戻ってもきちんと使った。
朝から晩まで売りに出歩いて、一日に一つでも売れれば良い方で、商品は夜中にみんなで寝泊りをしている仮住まいにて作っているのだという。
1,000元貯まったら故郷に帰ると言っていた。
全く泣ける話である…。
日本語を話せる少数民族の女性らと仲良くなる。右側の南京男はおもしろかった
杭州
「古来より中国において天国とされる蘇州・杭州を回らないと…」と思っていたので、列車にて杭州へ向かった。
「住むなら杭州」と言われる土地柄で、西湖は確かに美しいのだが、広い中国でどうしてここが天国とまで言われるのかはわからなかった。
しかし、西湖に沈む夕陽を見たらすごくノスタルジーを感じた。
また、北京と上海はスモッグが酷くてほとんど青空が見られなかったが、ここではしっかりと青空を見ることができたし、多くの緑とライトアップされた湖畔からは大都市からは感じられない落ち着いた雰囲気を感じた。
でも、中国人ときたら美しい西湖にポンポンとゴミを投げ捨てるから参ってしまう…。
西湖の他には、曲院風荷という庭園や花港観魚という景勝地や岳飛廟を回った。
大運河
中国に来たからには1500年前の隋の時代に作られた大運河の上を走る船に乗ってみたかったので、14時間もかかる船ではあるが、船に乗って蘇州まで移動することにした。
4人部屋だったが他に客がいなくて個室状態になってラッキーだった。
運河だから全く揺れないのもすばらしかった。
船は縦に何艘も連結されて団子状になって進んだ。
ゆるやかな運河の水流と中国に来て初めて見る星空の中で、1500年前の歴史に思いを馳せて旅情をくすぐられた。
とはいえ、エアコンの部屋なのに大運河では蚊に悩まされた。
しかも日本の蚊と違って、蚊取り線香が効かないものだから参った
何のためにわざわざ日本から蚊取り線香を持ってきたのだろうとうらめしい気持ちになった。
しかもこの辺では暑いのにガマンして長ズボンを履いてもズボンの下から入ってくるから泣きそうになってくる…。
蘇州
蘇州は美しい運河の街である。
杭州と並んで中国の二大天国の一つでもある。
「住むなら杭州」に対して「生まれるなら蘇州」と言われているのだ。
ヴェネツィア出身のマルコポールは蘇州をして「東洋のヴェネツィア」と呼んだというが、現代文明に毒されてさえいなければそれだけの美しさを誇ったのだろうと思う。
今はヴェネツィアの美しさと比べるべくもない…だってゴミだらけなのだから…。
また、蘇州には中国四大庭園のうち拙政園と留園の二つがあり、街中に数多くの庭園が点在している庭園の街でもある。
特に世界遺産でもある拙政園は兼六園と同じぐらいにすばらしかった。
しかし、蚊には悩まされた…。
日本では蚊に刺されても30分ぐらいで治る体質なのに、ここで蚊に刺された後には跡が残り、しかも膿までできたから辛かった。
桂林
蘇州から桂林までは丸一日の長旅となる。
硬臥に乗る人は経済的に恵まれているからある程度は礼節を知っているのだが、平気で人前でゲップをしたり、おならをしたり、痰を吐いたり、赤の他人同士がすごい剣幕でいきなりケンカを始めたりする中国人独特の行動パターンにはさすがに悩まされた。
また、私は下の寝台だったのだが、上の寝台の人があたかも自分の席であるかのように、無断で私の席に座ってきた。
しかし、ここは中国なのでこういったことは当然のこととしてあきらめた。
車窓の景色は何十年も前の日本の田舎を思わせるような景色が続いていたが、これが極めて単調でおもしろくもなんともない。
また、列車の中には中国人しかいなかったので話す人もおらず、「財政構造改革」という卒論用の資料とする本を精読して過ごした。
ところで、中国の電車は定刻前に出発するくせに必ず遅れるから不愉快である…。
桂林にも当然のように遅れて到着した。
桂林は幼心に抱く中国のイメージそのままの山水画的な景色を見られることで有名な街である。
桂林に泊まった翌朝に市内を一望できる独秀峰へ登り、山水画の風景を満喫したが、そこでは太極拳やスポーツに興じる人々を見ることができ、悠久の時の中に生きる中国人像を初めて垣間見ることができた。
陽朔
中国では桂林をして「桂林山水甲天下(“甲”は一番の意)」と言うらしいが、陽朔についてはさらに「陽朔山水桂林甲」と言われているらしい。
ならば桂林の都会なんかでぐずぐずしているのはもったいない。
早速、陽朔へ行くことにした。
ところで、陽朔の“陽”は太陽の意、“朔”は月の意を示しているわけだが、名前だけを聞いても魅惑的な街に映った。
そしてその予感は的中した。
船下りで行くとバカ高いのでバスで行くことにしたのだが、中国人よりわずかばかり多くの金を運転手に掴ませたら一番前の景色が良く見える助手席に座らせてくれた。
陽朔ではユースホステルに泊まり、そのまま個人ガイドつきの半日ツアーに参加した。
ガイドはアイシーという名前の24歳の青年だった。
自転車に乗って10km離れた月亮山へ向かったがこの途中の風景がまさに水墨画の風景そのものであった。
「中国の原風景ってこれだよな…」と思えるような風景であった。
絵はがきのような景色がどこまでも広がる陽朔
途中で洞窟に入るように言われたので入ったのだが、そこではこの洞窟専属のガイドが案内してくれた。
地底湖でいかだに載せてもらったり、地底湖を歩いたりして不思議な体験ができた。
月亮山に登ること約20分で頂上に着いたが、ここからの景色は本当にすごかった。
パノラマ状に広がる山々の美しさはちょっと言葉では言いあらわせないものがあった。
その後はアイシーの家に行って彼の手料理を食べたのだが、なかなか美味かった。
ここで中国の典型的な農村の家を見ることができたのも良かった。
何せトイレが2階で1階は豚小屋なのだから…。
アイシーとは夜になってもカフェで談笑した。
翌日に水墨画のような風景の中をクルージングしたがこれもすばらしかった。
桂林の4分の1の価格でさらにすばらしい光景が見られるのだから最高だった。
船の先頭に座って川に足を入れてマッサージをしながら、川を泳ぐ牛を見たり、鵜飼いを見たりしながらのんびりと川を進んだ。
川下りツアーは6時間もあったが、「こんな贅沢な一時はない」と言いたくなるぐらいに贅沢な一時を過ごすことができた。
船は20kmほど進んだので、帰りは自転車で戻ったのだが、これまた日没の美しい景色を見ながらのサイクリングで最高であった。
最高の旅愁をこの街では感じることができた。
ところで、この街にはマッサージ店があったのだが、バンコクで受けたマッサージが懐かしくて夜にマッサージを受けに行くことにした。
しかし、マッサージをしてくれる女性がなかなかダイナマイトなバディーをしてらっしゃってビックリした。
しかも、マッサージの途中に股間をもんでくるではないか…。
「完全に誘っている…」。
ここはマッサージ店兼売春所だったのだ…。
日本を経って早1ヵ月超…不意打ち的にそんなことをされて、言い値も考えられないほど安い…。
2,000円ぐらいだったと思う。
逆らえるわけがない。
弁解のために言っておくと、私が海外でこのようなことをしたのは後にも先にもここだけである。
タイでも怪しげな店には行きまくったが売春および性行為はしていない。
ただ、あの時だけはどうしてもあがないようがなかった。
ところで、こんなエピソードがあった。
この日の夜中にアイシーが私と映画を見ようとしてがんばって映画を借りてきてくれた。
しかし、この映画が偶然にもあの「黒い太陽731」だった。
日本軍が中国人の捕虜などを対象に見るに耐えない人体実験を繰り返したことを映画化した作品である。
「I can't watch that movie with Chinese」と言ったのだが、余程がんばって映画を借りてきたのだろう。
アイシーはそれでも聞かなかった。
しかし、宿のスタッフの姉ちゃんがその様子に気づいてTVを消してくれた。
するとアイシーと姉ちゃんが本当にケンカになったのだが、当然正規スタッフでないアイシーの立場のほうが弱いわけでその場はそれで収まった…。
アイシーが物事を理解しないまま「ごめんね…」と言って村に帰っていった。
そして、これがアイシーとの別れとなった…。
アイシーがせっかくがんばって映画を借りてきてくれたのはうれしかったが、スタッフの姉ちゃんが気を利かしてくれなかったらと思うとぞっとする…これで良かったのだ…。
翌朝は腹の痛さで目を覚ました。
以下、食事中の方は読まないで欲しい。
前の晩に食べた夕食か一緒に出た冷茶が原因だと思われる。
今回の旅行で初めての下痢であるとともにこれまでになかったような下痢だった。
水分が98%といった感じで、とても“大”という感じではなかったのだ…。
気を取り直して、陽朔公園の岩山から昇る朝日を見に行ったのだが、下痢をしている間に日は昇ってしまっていたようである。
午前中だけでも6回も下痢をしたが、けなげに街をぐるぐると練り歩いた。
陽朔の川の水はとても温かく、泳ぐのに最高のシチュエーションだったのだが、腹が冷えて下痢が酷くなることを恐れたのでそれを止め、川辺に石投げに適した平べったい石がやたらとあったので石投げに興じた。
そうやっているとおっさんが話しかけて来たので話に花を咲かせていたら2時間以上も経ってしまった。
日本人の収入について聞かれたので、日本でのアルバイトの時給や医者の収入の話をしたらものすごく度肝を抜かれていた。
あたりまえか…。
月収1万円以下のこの国で悪いことを話してしまったと反省した。
宿に戻ってさらに下痢を2回した。
桂林に移動する2時間持つか心配だったが、がんばってバスで桂林に向かった。
駅へ着くやいなや速攻でトイレへ…。
死ぬかと思った…。
この時に初めて固形的なものが出たのだが、まるであんかけのように食べた野菜などが全く消化されずに出てきたのでそれこそ泣きそうになったが、あまりに食べたそのままに出てきたので逆に大笑いしてしまった…
こんなことは後にも先にもこの時だけである。
それにしても中国のトイレは汚いから使いたくなかったのだが、メチャメチャお世話になってしまったのだから皮肉なものである…。
しかも、こんな時に限ってはるか広州へ向けて寝台列車で移動しなくてはならなかったりするから悲惨だ。
中国の寝台列車のトイレは地獄絵図と言いたくなるほどに汚いからである…。
広州
桂林からは列車で陸路をつたって広州へ向かったわけだが、寝台列車で翌朝に目を覚ますとおそろしくまぶたが窪んでいた。
完全な脱水症状である…。
臓器がすべてを拒絶するかのように体内の摂取物を吐き出したせいであろう。
下痢している時はその時以外はきつくなかったが、この日は自分の身体を鉛のように重く感じた。
列車は当然のように1時間以上遅れて広州に到着。
きついがホテルを探してすばやくチェックインし、シャワーを浴びて洗濯をした後にジュースをがぶ飲みして寝込んで起きたら少し体調が良くなってきた。
なので、外に出たのが、「食在広州」と言えど全くそんな気は起きない。
むしろ、旧市街だから汚くて臭くて病み上がりの身としては参ってしまった。
新市街はハードは近代的だったが、人々はやはり“前近代的”だった…。
翌日には体調も戻ったので、「四つ足の物は机と椅子以外云々…」と言われる清平市場へ行った。
食材用の生きた犬や猫がブロイラーのようにぎゅうぎゅうにカゴに閉じ込められていたり、毛をむしった動物がそのままつるされていたりしていたのでさすがに動じた。
次の目的地はマカオだが、珠海までバスで行き、マカオ(この時はポルトガル領)へは徒歩で入国した。
中国人の人には珠海市に入れなかった人が何人かいたが、経済特区の珠海市に入る前に入境を拒まれたのであろう…。
ポルトガル(当時)
マカオ
中国を出国(出獄)してマカオに来て変化は確かにあった。
バスで小銭がなくて困っていたら私の代わりにお金を出してくれたおばさんがいたことがまずかの国を脱出したことを実感させてくれた…。
座席をお年寄りに譲る人がいたり、車が歩行者に道を譲ったりしていて、人々の表情もかの国とは全く逆で柔和で明るい。
叫んでいる人もいない…。
「普通ってすばらしい…」と変な感激を覚えた。
街は古びていてこの上なく“斜陽”という言葉が似合う都市だが、美しい都市である。
西欧風の建物が立ち並ぶうえ、おそらくはポルトガル人混血の人もちらほらと見かけ、また、豪華なカジノがまばゆい光を放つためとてもエキゾチックであった。
次は最終目的地の香港へ立つ。
中国(再)
香港
ジェットフォイルの乗ってわずか1時間で香港に到着した。
香港まで来ると、中国的猥雑さを残しているため、完璧とまでは行かないものの、先進国の空気を十二分に感じることができた。
とはいえ、香港へは高校生の時に来たことがあるので今回で2度目なのである。
宿は九龍サイドのネイザンロード沿いにある美麗都マンションの9階の安宿をとった。
ここで出会った東大生と70歳バックパッカーとは仲良く過ごした。
九龍のネイザンロードのネオンは華やかだ
香港には4日間滞在するのでゆっくりしようとしたが、香港の人の歩くスピードもエスカレーターの速さも異様に速い…。
でも、エスカレーターではみんな右側に立っているし、信号も良く守るので「かの国とは全然違うよなぁ~」と思って安心した。
マカオもそうだったが、香港はさらに物価が高い。
家賃は東京の2倍するというし、食べ物の値段も東京と変わらない。
100円ショップは10香港ドル=180円するので日本より高い。
しかし、 衣料品やCDなどは日本より断然安かったので、帰国の途に着く前にありったけのお金で買い物をした。
また、十分に時間があったので香港中を観光することができた。
香港島へのフェリーターミナルは泊まった安宿にほど近いペニンシュラホテルの前にあったが、このあたりから見る香港島の夜景のすばらしさは相当なものである。
九龍から眺める香港島も美しい!
旅の最後にはビクトリアピークに登って、100万ドルの夜景を日没前からずっと見ていたのだが、肉眼で見る夜景の美しさはまさに旅のラストシーンにふさわしかった。
まさしく100万ドルの夜景!
かくして、長旅は終焉の時を迎えるのであるが、空港の手荷物検査でお土産用にとしこたま買いこんでおいた毛沢東ライターを火気ということですべて没収されたのがくやしかった。
友人達へのお土産はこれで半分が無くなった…。
ユナイティッド航空の機内食は相変わらずクソ不味かった。
成田空港には当時の彼女が迎えに来てくれていて、私の顔を見るやいなや号泣し出した。
彼女を抱きしめながら旅の終わりを実感した…。
全体の所感
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アジアとヨーロッパでは文化遺産の保全・保護能力の差が歴然としすぎているため、文化遺産を興じるという点においては軍配は断然にヨーロッパに上がる。
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この点においては残念ながら比べるべくもない。
前述しているが、私は文化相対主義を否定している。
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しかし、東南アジアの人々は日本人に対してとてもやさしいし好感を持ってくれている。また、悪気のある無いを見分けなければならないが、向こうから話しかけて来てくれるので、多くのうれしい出会いやハプニングがかなり起きやすく、どちらかといえば真面目かつ孤独な旅になりやすいヨーロッパ旅行と違っておちゃらけてはいても楽しい旅になりやすい。
物価が恐ろしく安いのも旅を続ける上で大いに助かる。
あと、アジアはヨーロッパと比べてご飯がとても美味しい。特に中国ではどこに行っても美味しいご飯にありつける。
でも、中国人は油断ならないということだけは本項を読んでいただければわかっていただけるはずである。