GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

不慮の事故のリスクは殺されるリスクの43倍

殺人事件のニュースはいつでも多い。

そして、このところ、刃物による殺人の多さに驚く。

 

有名ブログをはてなブログを書いていた方が、同じくはてなブログを悪用していた男に刃物で刺されて殺されてしまったというニュースには心が痛む。

本ブログは超零細ブログだから大丈夫だろうが、狂った人が何を見てどう思うかというのは全く想像がつかないから他人事とは思えない。

しかし、全く罪のない人が気の狂った男から刺殺されるニュースをこうも連日耳にすると、刃物に対処できる道具がない人は丸腰じゃないかと思ってしまう。

 

抑止力を持ち、双方の被害の最小化を実現する道具としてはさすまたが最強であるとはいえ、持ち歩くことができるはずがないので、そうなると警棒が有効なのではないかと思ったのだが、警棒の所持はナイフ同様に警察に咎められるし、晴れた日に傘を持ち歩くこともできないので、現実性がない。

しかも俺の傘は逆折りタイプの傘なので、先が尖っておらず、防御に使えない。

あとは水筒に熱いお茶を入れて持ち歩くことも考えたが、湯を相手にかける途中に湯が冷めるだろうし、周囲にかかるリスクを考えるとダメだなと思った。

熱した油を水筒に入れて持ち歩くバカはいないだろうし…。

より危険なアメリカで銃を持たないと不安になる人種がいるのもわからなくもない。

 

とはいえ、殺人事件に巻き込まれる前に何倍も注意をしなくてはならないことがある。

それは、不慮の事故に巻き込まれないことだろうと思う。

 

DIAMOND Onlineで和泉虎太郎氏が書かれておられるレポートには色々なデータがうまくまとめられていた。

 

diamond.jp

diamond.jp

 

これによると、2016年のデータは以下の通りだったそうである。

 

  • 総死者数:1,307,748人
  • 老衰:92,806人 7.1%
  • 不慮の事故38,306人 2.9%
  • 自殺:21,017人 1.6%
  • 殺人290人だが、警察の統計では895件なのでこちらが正しいか?895を母数とすると不慮の事故の43分の1ということになる?
  • 病死:急性心不全のような突然死は2位の心疾患に入ると思うため、残りは病死と考えることができ、88.3%の人は病死ということになる?

 

ほとんどの人は病死か老衰で死ぬわけだが、自殺・他殺でない場合には不慮の事故ということになる。

不慮の事故の内訳は、窒息9,485人、転倒や転落が8,030人、溺死7,705人、交通事故5,278人、凍死と熱中症1,714人とある。

死に近いスポーツの王者が登山なら、窒息の王者はだが、餅で死んだ正確な人数はネット上ではわからなかった。

こんにゃくゼリーよりは餅のほうが危険だと思うのだけど、責められるのはこんにゃくゼリーだけである。

俺の想像で申し訳ないけど、自動車→タバコ→津波地震→火事→原発の順で死者が多いと想像するのに、タバコと原発が執拗に責められ、誰も車は止めろと叫ばないのも世の中とはそういうものだからである。

まあ、大の嫌煙家で、年間の電気料金が7万円台で、クルマを持たない俺にはさほど関係のない話だが…。

 

個人的に常に心配をしているのは、自転車で老人の歩行者の後ろをすり抜ける際に、急に老人が横に動いてきて転倒させて死なせてしまうのではないかということだが、自転車が歩行者を死に追い込んだ例はわずか10人ということで、思ったより少なかったので少し安心した。

子供がいなくて保険嫌いな俺も、マンション強制の火災保険自転車事故保険にだけは入っているが、これだけ死者が少なければ次回は更新しなくて良いかなと思ったぐらいである。

 

確率論で考えれば、殺されてしまうリスクは不慮の事故で死んでしまうリスクの100分の1以下で、若いうちに気をつけるのは交通事故転倒・転落事故ということになるが、クルマを持たず、バイクにも一切乗らなければそのリスクも相当限定されるだろうというものである。

 

長々と述べたが、要は警棒を持ち歩けない不安をそう思うことで落ち着けようと思うということである。

あとは、餅もこんにゃくゼリーも大好きだが、今の年齢であればまだ大丈夫っしょ。

 

f:id:gooddays-shumai:20201226235922j:plain

 

敬語って本当に邪魔

日本語以外の言葉を話せないのに言うのも難だが、儒教的なものがとにかく嫌いな俺は敬語の存在が嫌だ。

 

gooddays.hatenablog.jp

 

本当は全ての人との会話をお互いにタメ口でしたいのに、無礼だと思われたり、不快感を持たれるのが不本意なので、実際には真逆の対応をとることとなってしまい、残念ながら無難な敬語を多用してしまっている。

そう思っていながら、年齢が上というだけで横柄なタメ口で話しかけてくる人にムッとすることもあるのだが、それをフランクと思わずに横柄と思ってしまう自分の狭量さにも腹が立つ。

また、プロ野球選手がインタビューで語尾にいちいち「~ね」という音を入れて話すのに対して「なんだかなあ~」と思うから、我ながら完全に矛盾しているわけである。

しかし、初めから敬語がなければこのような狭量な感情も湧かずに済むのである。

敬語は本当に邪魔である。

 

大学受験浪人した友人以外では俺には年上の友人はほとんどいないのだが、年下の友人は多く、彼らと友人として完全に対等につき合いつつも彼らに敬語を使わせていることに申し訳なさを感じている。

年上の人に敬語を使うのであれば、年下の人にも整合性を取って敬語を使う必要性があるのにも関わらず、あまりに他人行儀になるのも難なので、丁寧なタメ口で対応するようにしている。

 

俺は人の名前をあだ名では呼んでも基本的に呼び捨てで呼ぶことはないのだが、年下の友人の名前を呼ぶ場合には、他人行儀になるのを避けるためにファーストネームに「さん」をつけて呼ぶことが多い。

年下の友人が俺を呼ぶときは苗字に「さん」づけで呼ぶのだが…。

なお、「君」づけで呼ぶのは同い年の人に対しては「さん」づけ以上にへりくだることになるし、年下に対してはマウントを取ることにつながるので俺は大人を「君」づけでは一切呼ばない。

「君」づけで呼ぶのは甥っ子か友人の息子ぐらいかもしれない。

また、俺が「おまえ」という二人称を使う相手は2歳下のだけである。

 

同い年の友人に関しては、社会人になる前と社会人になってから知り合う人とで関係性は変わると思うが、社会人になって仲良くなった同い年の人とはほぼ全員、苗字か名前に「ちゃん」づけで呼び合っている。

年下の友人に「ちゃん」づけで呼ぶのはマウントをとることにつながるので年下の友人はやはり「ちゃん」よりは「さん」づけで呼ぶ。

社会人になる前に仲良くなった小学校から大学までの友人とは呼び捨てで呼び合うことが多かったが、俺は「さん」づけで呼ぶように変えることが多くなった。

もちろん向こうは呼び捨てでこちらを呼ぶが、それは当然気にならない。

大人になっての友人とケンカをしてしまったら、一生引きずるかもしれないので、どんなに仲良くても相手を尊重して節度を保ち、間違っても相手を見下した発言をしてしまうのを防ぐため、または、相手の奥さんの前でも「さん」づけのほうが通りが良いためにそのように呼ぶようにした。

とはいっても芸人が相方のことを「さん」づけで呼ぶのと同じで、ちょっと小馬鹿にしたようなノリではあるのだけど…。

なお、「君」づけではそういったニュアンスは効かせ辛い。

もちろん、異性を「君」づけで呼ぶのは、「君」より「クン」といった語感になり、男→女、または、女→男を問わずセクハラにつながりかねない。

 

最近は小学校でも、呼び捨てとあだ名禁止で「さん」づけで呼び合わせているところもあるらしいが、味気ない気がするので批判は多かろうと思うものの、先に述べた通り、「さん」づけで呼ぶと相手のことを軽んじにくくなるから、いじめを防いだり、管理をするための知恵としてはかなりいい知恵だと思う。

 

ここまで細かく述べておいて言うのも難だが、とかく思うのは、タメ口かどうかで上下をつけるのも嫌だし、どういった話し方をするか、何と呼ぶかを考えるのは実に面倒であり、いっそのこと全員呼び捨てで呼び合うようにすれば本当に楽だと思うわけである。

敬語があるから上司や顧客に必要以上にへりくだることになるわけだし、見知らぬ人と仲良くもなりにくいわけでもあり、これは実に不幸なことなのである。

 

政治家を見ていても、国内の政治家に対してはそんなことはしないのに、欧米の政治家に対しては急に向こうのルールに合わせてハグもすれば、ファーストネームで呼び合うことも多いわけで、実際、そのようにしたほうが親密になりやすいだろうと思う。

もちろん、外交は儀礼的に行う面が大きいのだが、通常の場でそのようにすれば間違いなくそうだし、キリスト教圏でもイスラム教圏でも、まずはスキンシップを含めて互いの親密さを確認し合うコミュニケーションの取り方をする文化圏は多いのである。

日本人旅行者だって海外に行けば郷に従って、国内にいるよりもずっとフレンドリーに豹変するのである。

日本人もみんなタメ口で話してファーストネームの呼び捨てで呼び合えば面倒くさくないし、皆がすぐに仲良くなれるのにと思うのだが、儒教文化や敬語のせいで随分と損をしているなあと強く思わされる。

 

もちろん、一人称や二人称に多様性があったり、敬語が複雑だったりすることも含めて、表現力という点においては日本語よりも優れた言葉はこの世にないだろうなと勝手に想像するのだが、言葉の表現力だとか奥行きなんてものは毀損してもいいから、それよりも俺は面倒くさい思いをしたくない。

 

あと、やたらと年齢を気にする文化も嫌で、何で名前の横に年齢を書く必要があるのだ、あれは一種のハラスメントだろうとすら思う。

でも、先日、子供の頃の友人と同姓同名の人が犯罪で捕まって報道され、年齢が違ってたので「あいつじゃないな」とわかったのだが、そういうフィルタリングには役に立つなあと思った。

彼はFacebookでそれをネタにしてたから、どちらにしてもわかったのだけど…。

 

このとおり、敬語というのは邪魔なのだが、日本に住んでいる以上、本当に残念ではあるものの、これらの面倒を受け入れるしかないのである。

 

ここからは余談。

冒頭に「日本語以外の言葉を話せない」と書いたが、日本人は全員英語を勉強しているわけで、俺もバックパッカーをやっていた大学生の頃は拙いコミュニケーションをとってきたのだが、TOEIC980点で英語を使って仕事をしているうちのご主人と海外旅行をするようになって、英語でのコミュニケーションをほとんどとらなくなり、また、海外に長期滞在する予定もないので英語を身につけるモチベーションも湧かないまま、英語力はダメになる一方である。

 

大学生の時にシンガポールに飛んだ際、深夜に着いて、チャンギ空港で朝になるのを待ってたら、深夜に空港で遊んでいた高校生のグループが声をかけてきて、その後、そのうちの女子高生3人と3日間、変なこと無しで一緒に過ごし、1人とは帰国後も文通をしていたのだが、俺もダメダメになったものである。

 


俺の隣の女の子とは長らく文通も続けていたのだが…

 

シンガポールつながりで、もう一つ余談。

以下は、2005年10月27日に書いた文章の引用だが、こういった人と人との関係性も敬語のない世界ならではのフランクさゆえなんじゃないかなと思う。

違うかもしれんが…。

 

私がバックパッカー旅行をしていた時、シンガポールの安宿で、シャワーを浴びようと思ってシャワー室のドアを開けた際に、鍵をかけずにシャワーを浴びている金髪の女性がいたのだが、いることに気づかずにドアを開けてしまったうえ、裸までも見てしまったので急いで締めて「Sorry!」と言ったら、明るい口調で「You are welcome!」という言葉が返ってきた。

こんなシチュエーションになって笑顔で「どういたしまして!」ととっさに返せる日本女性は皆無であろう。

まあ、鍵をかけない日本女性も皆無であろう。

むしろ、カッコ良く思えたぐらいである。

 

f:id:gooddays-shumai:20201227000025j:plain食べ物も持っていないのに至近距離まで歩いて近づいてきた雀ちゃん