GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

寝太郎さんがアパートを借りたそうだが…

今回は前回の続きになってしまう。

以下が前回の内容である。

 

gooddays.hatenablog.jp

 

ゴールデンウィーク中はうちのご主人の実家にいたので、前々回と前回は予約投稿をして出かけ、前回の内容がアップされたのは5月5日だったのだが、その1日前の5月4日に寝太郎さんのブログが以下のように更新されていた。

そして、間が悪いことに、その内容がこれまでと一線を画した内容となっていたので衝撃を受けた次第である。

 

mainennetaro.blog.fc2.com

 

記述には「今年に入ってから都心にアパートを借りた」と述べられていた。

家賃32,000円とはいえ、「都内」ではなく「都心」とあり、洗濯は手洗いで、シャワーは自作シャワーとあるので、風呂無し物件なのだろうと思ったのとシャワーを自作したのはさすがだなとは思ったが、光熱費やネット回線の維持を考えると、従来のBライフに加えて月に4万円は出費が増えるだろうから、月に6~7万円の出費が発生する生活に変容したということになる。

それもあって、清掃などいくつかの不定期のアルバイトを始められたようである。

 

著書「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ」において月に2万円のBライフを提唱しておられることもあって、本書内に一生にわたってBライフを送ると仮定しての必要アルバイト労働日数別の綿密なシミュレーションを記載されていたのだが、著書「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」で語られておられる、常人とは全く違うレベルで圧倒的な孤独を渇望する寝太郎さんご自身ですら、一時的なものなのか永続的なものなのかはさておき、シミュレーション通りに事が運ばなかったかと今回の件で驚いたのだ。

 

もちろん、個人の人生に他人が四の五の言う権利はゼロだし、否定的にも思っていないし、敢えて言うならば、むしろ人間臭さを感じたぐらいである。

そして、寝太郎さんほどの超孤独エリートでさえ、たまに川辺に移ったり、東京だとかアジアを逍遥しつつも基本は小屋に籠る生活だけとはいかず、都心にもう一つの拠点を持たれるに至られたかと思ったのである。

いや~ものすごく勉強になるなあ…。

 

また、小屋の暮らし充実していて、体調も整い頭も冴えるが、社会と断絶していて落ち込んだ時などに心の逃げ場がないというふうに述べられている。

それに対して、都会の暮らし空虚であり、快適ではあっても体調を損ねやすいが、多少の逃げ場があるというふうに述べられている。

そして、時にはその逃げ場が必要になることもあるのであろう。

これは、非常に興味深い示唆である。

 

ところで、おそらくは都心のアパートは契約されたままだと想像するのだが、今は耕作することもあって小屋に戻られているようである。

俺は山梨県の森の中で越冬するのは過酷だろうと思っていたのだが、寝太郎さんにとっては冬こそが快適なのだそうで、冬だけは毎年小屋にいるとおっしゃっていたことに驚いていたのだが、今年は冬に都心におられたようである。

そりゃ~耕作に力を入れるようになれば、春から秋のうちで耕作に適したシーズンに小屋にいることになるのだろうなとは思った。

 

前回、俺は「寝太郎さんに究極にシンプルな一つのライフスタイルを教えてもらったのでとても感謝している。」と述べたが、寝太郎さんが都心にアパートを借りたり、畑を耕されたりして、そこでどのようなことを考えられたかを寝太郎さんがブログで発信される限りにおいて知ることができるのはおもしろいし、ありがたいと思っている。

 

また、アルバイトの業種として清掃業などを選ばれている理由について述べられている文脈上で書かれていた寝太郎さんの言葉で、我が意を得たりと思った言葉があったので以下に引用する。

 

他に、ストレスしかない仕事もある。

会社というのはなんにせよ、営利追求集団である。

あの笑顔も、あの情熱も、あの言葉も、全部「ビジネス」が背景にあるのだ。

ビジネスマンと付き合うのは虚しく、そして心底疲れる。

そもそも自分は「こんな仕事必要ない」から始まるので、仕事も人間関係もうまくいくはずがない。

 

ただ、俺自身は「こんな仕事必要ない」と思えるほどには世俗から脱しておらず、しかも、寝太郎さんにとっては不必要と思えるサービスの幾分かはあたりまえのように利用しているという点において、俺は寝太郎さんのようには首尾一貫しておらず、自己矛盾を内包した甘ったれである。

 

f:id:gooddays-shumai:20201227001412j:plainゴールデンウィークにうちのご主人の実家に里帰りした上田市某所にて…

 

高村友也氏著「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ」に学ぶ人生観

2月末のことだが、「寝太郎さんが帰ってきた!」とうちのご主人に向かって思わず叫んだ。

 

昨年の9月25日にブログを更新されて以来、Twitterも含めて急に更新&交信が途絶えたので、実は心配をしていたのだが、2月25日に寝太郎さんが自宅の小屋に戻られた。

以下がその際のリンクである。

 

mainennetaro.blog.fc2.com

 

寝太郎さんは有名人なのでご存知の方もいらっしゃるとは思うが、東京大学に理系で入学しながら哲学科を卒業され、大学院に入られ、講師の打診もあったようなのだが、海外放浪や路上生活を経て、山梨県の人里に近い森の中に土地を買って、そこに自作の小屋を建てて住んでおられる。

また、相模川沿いにも土地を買って1,980円のテントを立てて住んだり、時折、東京やアジアに出かけたりもされている。

月に2万円もあれば必要最低限のベーシックな暮らしができるということで、Bライフを提唱し、「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ」など、いくつかの著書を出版されたため有名人になってしまったが、それでもBライフから大きく外れることなく生活をされているのだと思う。

しかも、3日程度アルバイトをすれば稼げる月の生活費の2万円のうち食費が1万円で、5千円がインターネット代というのがなんとも今の社会らしい。

寝太郎さんは、米・味噌・砂糖・醤油・塩といった基本的な食材が現代社会においては良質なものが安価に手に入り、「生命史上稀に見る高水準の食事が摂れる」と述べておられるが、人類の苦難の歴史を振り返ると本当にその通りだと膝を打つ。

 

とはいえ、寝太郎さんは森の中にある自作の小屋に住んで、自作のコンポストトイレ湧き水ソーラー発電カセットコンロというインフラで生活をされているわけで、到底、寝太郎さんの真似はできない。

しかし、こういう生き方もあるのか、このように実践している人がいるのかということを知って、一気にテンションが上がった。

 

しかしながら、別作品の高村友也氏著の「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」は先の本とは全くテイストが違っていて、圧倒的な孤独と無限の自由を求められる寝太郎さんの求める孤独の深淵に触れ、脳の回路が違うレベルの異常な頭の良さも含めて、とてもこの人の真似はできない、真似もしたくないけど…と思ったのも事実である。

まあ、そこで、次に述べる山崎寿人氏の出番となるわけである。

 

寝太郎さんはの「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ」との「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」を著され、有名人になったことで印税生活が可能になったのかもしれないとも思うが、その代償として、俺がことあるごとに激しく同情している有名税を支払うことになり、その結果、心ない中傷を浴びせられているのではないかと、5ちゃんねらーのうちのご主人は俺に言った。

それで急に姿を消したのかなと思ったのだが、2月に帰宅&復活されたので安心した。

 

うちのご主人の言うところによると、中傷する人はどうやら寝太郎さんが完全にBライフで過ごしていないと気が済まないようで、本に書かれている生活態度から逸脱していないか様子を見に行ったり、実はほとんど東京にいるのではないのかなどと勘ぐっているのではないかということらしい。

そういった手合いの暇さと粘着ぶりと狭量さには本当に辟易するわけで、寝太郎さんが数年間は森にこもって生活していたのは事実なわけだし、仮に、今現在は羽振りが良くなっていたとした場合に、寝太郎さんが車に乗っていたとしてもアパートに住んでいたとしても別にいいじゃんとしか思わない。

ちなみに、寝太郎さんの存在はうちのご主人から聞いて知ったのだが、うちのご主人は相当前から寝太郎ブログの読者だったのに対し、俺の寝太郎ブログ読者歴と著書の読書歴は、読み返し分は別として、まだ昨年の8月以降にすぎない。

 

寝太郎さんは寝太郎さんの特異性をお持ちなので他人には簡単には真似できないが、同じように小屋暮らしをする人は年々増え続けているようである。

そして、俺は寝太郎さんに究極にシンプルな一つのライフスタイルを教えてもらったのでとても感謝している。

 

ここは冬に極寒だから無理だけど大好きな松原湖のようなところに住みたい!