今日はお盆だが、近所の築地市場が定休日のために閑散としているというのはあったものの、普通に仕事に行っていたし、電車に乗らずに会社に行き、昼休みには家に帰って飯食って横になっていたから街に人が多いのか少ないのかもわからなかった…。
…で、以下の文章は半年以上前に書いていたのだが、なかなかアップするタイミングがなかったので、終戦の日の今日にアップすることとした。
半年以上温めたふうなににおわせながら、別に内容が濃いというわけでもありません。
オイラは、宗教を一切信じていない。
信じる理由も理屈も全くないからである。
でも、帰郷したら率先して先祖の墓には参る。
そして、一応、天皇陛下を敬ってはいる。
…で、何で天皇を敬っているかというと、端的に言ってしまうと、途中でビミョーな時期があるとはいえ、2650年はともかく1650年以上は続いている世界に類を見ない皇統だからということになる。
また、戦争を起こしたのは軍部であり、天皇は利用されただけであると私は解釈しているので天皇に戦争責任はないと思ってもいる。
まあ、ドイツのように過去を全否定すればしこりが残らなかったのに、日本はそれができなかったからつけ込む隙をいまだに引きずっているわけでもあるのではあるが、そんな日本のことが嫌いなわけでもない。
しかしながら、私が天皇を敬っている最大の理由はいわゆる左寄りと言われる人が大嫌いだからなのだと思う。
残念ながらどう考えてもそうなのだ。
もちろん右寄りと言われる人にうんざりすることもある。
基本的に産経新聞は好きだが、産経新聞にたまに登場する保守的を通り越して独りよがりなだけの評論を読むと「勉強すればするほど賢くなるというわけでもないっちゃね…。勉強不足の俺でもわかることを何でこげな偉い学者さんがね~」と思わずにはいられないこともある。
まあ、オイラにとって天皇は、存在してくれて、国際親善のために役立ってくれればいいってことに尽きる。
ところで、オイラの家系の宗教は、本州では珍しいけど九州ではそう珍しくない、仏教色ゼロの完全な神道である。
葬式も神式なものだから大人になるまで焼香すら知らんかったし、坊さんを身近に見ることもなかった。
私個人は神道の教えなんてデタラメばっかだと思っていて、それでいながら、そんなデタラメをあいまいなまま残した日本人に親しみも見出している。
つまり私は、いい加減な神道を大切にしてきた日本人は好きだが、神道はデタラメだと思っているのだ。
ちなみに私が神道の総本山のような大学に通っていたのは偶然である。
だから、個人的心情としては、天皇には大真面目に神道の行事はやってもらわなくて結構なのだ。
残念ながらこの国でただ一家族だけ生まれながらに人権のほとんどを剥奪されたかわいそうな存在である天皇家は日本国民のために存在してくれて、あわよくば国際親善に役立ってくれればそれで十分だと思っている。
まあ、俺が皇族だったら超ワルになるけどね…。
そして、絶対にDJとかラッパーとかを目指すね…。
「頭の固いジジイどもの宮内庁なんか目じゃねえよ!へっ!」ってラップ調で歌いながら暴れまわるちゅうの!
高円宮承子さんも男だったら世間から「やるじゃん!」って思われたのに女は損よだねぇ。
まあ、俺は「やるじゃん!」って思ったけど…。
…で、昨今は「宮中祭祀」についてマスコミから取り上げられることがある。
もちろん、マスコミが好奇心半分でテキトーに書いている面も大いにあるのだろうが、宮中祭祀ってのは国民の目に触れないところで行われている祭祀であるだけにナゾが多い。
中でも、「天皇・皇后は裸になって上半身と下半身を別々の者に清められる」というようふうにマスコミが報じていたのには心底驚いた。
それによると、外国との親善に寄与したくて皇室に嫁いだ雅子さんは、親善ならぬ神前行事に苦しんでおかしくなったという面もあるらしいが、それだったらさすがに雅子さんに同情してしまう。
そういう報道があって、逆に美智子さんが心労になって腸から出血があったとも報じられたりしているけど、「あの人たちってそんな雑誌とか読みまくってるわけ?」と思った。
まあ、雅子さんが病んでいることは間違いないわけで、「宮中祭祀とやらってのはよほど負担が大きかったのかね…」とは思う。
そんな馬鹿馬鹿しい行事やめちゃえばいいのに…。
神道の行事なんてデタラメで人にやさしいのがいいところで、清水寺の中の地主(じしゅ)神社みたいなのがあるところが好きなのに、そんな厳格な神道なんていらないやい!
やめちゃっても天皇家の存在価値が落ちるとはこれっぽっちも思わないのになあ…。
意外に、皇太子と秋篠宮では、見た目のイメージとは逆に、「皇太子=気骨がある」「秋篠宮=保守的」という構図があらわになってきて、まあ、秋ちゃんも兄貴より長生きすれば天皇になる人なだけにこれからの展開がおもしろくはある。
先にも述べたが、オイラが天皇を尊重する最大の理由に左寄りの人が大嫌いだから…という面があるということだけは間違いない。
そうそう、最近気づいたのだが、この右寄り・左寄りっていうのは、生まれや育ちや素質によって醸成される、単なる「好き嫌い」であって、合理性を追求して決定されるものではないのだと思う。
その人の中で初めから答えが決まっていて、その答えをフォローするために学者さんや作家さんは勉強しているだけにすぎないのだと思う。
じゃあなかったら、大江健三郎氏や井上ひさし氏や本田勝一氏や筑紫哲也氏並みに頭の良い人があんな凝り固まった考えを抱くに至らんよな…。
だから私はどんなに性格が良くても左寄りの考えを持った女性とはつき合えないような気がするのである。
さらに言えば、左寄りの人とは友達にもなりたくはないのである。