親父と二人旅へ
話の流れでいつの間にか30歳の息子と60過ぎの親父と「二人で出かけるか!」ってことになって出かけたヨーロッパ旅行だが、あれこれ行き先選択で悩んだ末に、真夏で暑いことと、ユーロ高であることと、まだ行ったことがないということで中欧方面を旅行することにした。
機中
2007年8月18日
成田空港10時30分発→パリ16時10分(日本時間23時10分)着。
パリの空港の異常な物価の高さに何も食う気が起きずそのまま乗り継ぎ便へ。
プラハ
2007年8月18日(続き)
パリ18時15分発→プラハ19時55分着。
空港→一旦市街地を軽く歩く→ピザ屋で夕食→ホテル(イビス・プラハ・カルリン)。
勝手を知っていて、もはや里帰りした気分にしかならないバンコク以外の外国に降り立つと、いつも少し緊張しますな…。
2007年8月19日
プラハ城→聖ミクラシュ寺院→カレル橋→ボヘミア料理の昼食→旧市街→新市街→オペラ座・国立博物館前→ホテルで日が暮れるまで一休み→旧市街広場→カレル橋→いきなり大雨→小雨になるのを待ちながら中華料理屋で夕食→ホテル。
上:プラハ城付近のかわいらしい街並み
下:前を歩く親父
プラハ城からの景色
下:カレル橋遠景
まるで中世の都市のような景色ですが、本当にそんな感じでしたよ…。
上:カレル橋と火薬塔
下:カレル橋からプラハ城
こんな料理を食って太るなというのが無理な話だが、やはりこちらの人も他のヨーロッパの都市と同じくデブばかりっす。
でも、煮物とか和え物とかそんな飯と違ってこんな飯ならデブっても仕方ないよね…。
どこを歩いても心が躍るプラハ旧市街、路地が入り組んでて楽しい
下:旧市庁舎
旧市庁舎からの眺め
上:「コリアサッカー?」こんな落書きをするのが日本人でなくて良かった~?
下:楽しそうな“カフエエ”
ちなみにプラハは他のヨーロッパの都市と比べてやたらと韓国人が目について日本人より圧倒的に多いのだが、親父の“解説”によると、韓国はまだ日本がそれほど進出していない国に狙いを定めて進出しているからだそうな…。
上:新市街は広々としている
下:立派な国立博物館
上:夜の旧市街広場
下:夜の火薬塔
どうすか、このおどろおどろしい雰囲気。
中世とまでは言わないけどなかなかの情緒ですぞ。
2007年8月20日
ホテルから旧市街までずっと歩く→旧市街→ユダヤ人地区→ホテルに戻ってチェックアウト→オーストリアへ向かうために駅へ→駅の場所がわからずに迷う→なんとか駅を見つけて国際列車に乗車→13時35分オーストリア行きの列車出発。
昼食は駅で買ったバゲットサンドイッチ。
中心の歴史地区から少し外れた普段着のプラハ市街
行かなければならない駅は国際駅なのに、親父がほんのわずかしかスペルが違わない小さな貨物駅を地図上で○で囲っているものだから、どうやって行ってもその貨物駅にしかたどり着かないありさま。
地図に滅法強いオイラが地図を見て道を間違うことはまずないので、「何があろうと俺が正しくて、それでたどり着けないなら地図が間違っている!」と憤慨しつつ、冷静になって、ホームレスの人とかいろんな人に聞いて探しなおしたら出発時刻近くになってやっと駅が見つかった。
ちなみにスペルが微妙に違うことに気づいたのは国際駅に着いた後でした。
ウィーン
2007年8月20日(続き)
18時3分ウィーン南駅→とりあえず地下鉄でホテルへ→ホテル(パークホテル・シェーンブルン)→オペラ座→ザッハーでザッハトルテ→ケルントナー通りからシュテファン寺院を仰ぐ→ホテル。
夕食もウィーンで買ったバゲットのサンドイッチ。
宿泊したパークホテル・シェーンブルンはシェーンブルン宮殿の隣にあった
下:ビデまであるようだがこんなことならウォシュレットでも設置すればいいのに…
夏だというのにウィーンはまるで軽井沢にいるかのようにすばらしいお天気だったのだが、このホテルはシェーンブルン宮殿の隣にあるから本当に自然が美しかった。
また、作りは古いが、皇帝フランツ・ヨーゼフの招待所だったホテルらしく、なかなかに豪奢だった。
阪急交通社のエア+トレイン+ホテルのパックプランの割には良く取ったと褒めてつかわします。
圧倒的なまでの存在感で目の前にいる者に痛烈な印象を与えるウィーンオペラ座はパリやミラノとともに世界三大オペラ座の一つ
夜にまばゆく輝く聖シュテファン教会はウィーンのランドマーク
2007年8月21日
ホテル→シェーンブルン宮殿の庭を散策→ホテルで一休み→ナッシュマルクト市場を散策→市場で買ったデニッシュを昼食に→カールス寺院→ベルヴェデーレ宮殿→トラムでリンクを回る→リンク西側を散策→王宮周辺を散策→再びリンクをトラムで回りリンクを一周する→ホテル。
夕食はスタンドで買った巨大なドネルケバブ。
広大なシェーンブルン宮殿の庭はまさに人が自然を従える西洋式宮殿の極致である
「会議は踊る、されど進まず」のウィーン会議で有名なシェーンブルン宮殿の見事さには正直圧倒されましたよ…
ここから見た景色の美しさ・壮観さは実際に登った人間にでないと絶対にわからないと断言できるほどの見事な眺めでした
上:宮殿から見た庭園とグロリエッテ
下:庭園の裏側の正面から見た宮殿
ウィーンに来たのは2度目なのに、郊外とはいえ、地下鉄で行けるシェーンブルン宮殿に来たのは初めてという愚か者の私だが、それまで「ヴェルヴェデーレ宮殿と似たようなものだろう」と高をくくって来たら、これがとんでもなく立派な庭を持つ宮殿で本当にビックリした。
「会議は踊る、されど進まず」って言葉も粋だけど、今となっては「シェーンブルン」って音の響きだけでうっとりとしちゃいます。
ナッシュマルクトは歩いているだけで楽しい活気のあるウィーンの代表的な市場
カールス教会は外観も内部も見事な教会であるが特に天井画がすばらしい
上:サヴォイのオイゲン公のベルヴェデーレ宮殿庭園、向こうは下宮
下:ベルヴェデーレ上宮、庭を挟んで下宮がある
2007年8月22日
ホテル→シェーンブルン宮殿内部見学→ホテルで一休み→シュテファン寺院内部見学→グラーベン通り・コールマルクトを練り歩く→オープンカフェでパスタ昼食→王宮内部見学→市庁舎見学→リンク内を散策→市立公園→リンク北部を散策→王宮前に戻る→翌日に行く西駅をチェックしてホテルに戻る。
夕食は前日と同じドネルケバブ。
上:昼のシュテファン教会
下:140メートルの高さの尖塔には直径2メートル程度のらせん階段を使って登る
外部もゴシックなら内部も相当な迫力のあるゴシックだ
上:グラーベン通りは一番の目抜き通りである
下:大道芸人はひたすら耐える
カール大公とオイゲン公の像が見守るホーフブルグ(王宮)は大ハプスブルグ帝国の皇城にふさわしい威容だ
上:ホーフブルグの中庭
下:マリア・テレジア像、奥は現在の美術史博物館
上:旧王宮側も見事な威容を誇っている
下:コールマルクトから見たホーフブルグ
ウィーンにいても、王宮を見学してもわかりますが、「SISI」の愛称で人々に慕われた后・エリザベートの影響が今もいかに大きいかわかります。
ウィーンの街角の特徴は一つ一つの建物が立派だという点だと思う
2007年8月23日
ブダペスト
2007年8月23日(続き)
ブダペスト東駅→ホテル(スタンドで買ったいろんなパイで昼食)→ヴァーツィー通り→エルジェーベト橋と自由橋を渡る→中央広場→イシュトヴァン寺院前のオシャレなカフェで多国籍料理の夕食→くさり橋→ホテル。
上:ウィーンはあんなに涼しかったのにブダペストに来た瞬間東京並みの暑さ
下:宿泊したホテル
上:ホテルの部屋からの景色
下:朝食などを食べるテラス
ブダペストはこんな感じのステキな街です!
ドナウの真珠と呼ばれるブダペストはなだらかな丘に囲まれ、情緒のある街である。
まあ、旧共産圏だったために建物のメンテナンスが甘いことには立派な建物が立ち並ぶウィーンから来ると一目瞭然にわかるのだが、それが東欧らしさともいえる。
上:エルジェーベト橋
下:自由橋
中央市場
ヴァーツィ通り
オサレなカフェにてディナー
上:夜のイシュトヴァーン寺院
下:ヨーロッパでは明けても暮れてもビール
くさり橋
2007年8月24日
ホテル→王宮見学→くさり橋→ヴァーツィー通り→オープンカフェで焼き鳥ライスの昼飯→オペラ座→イシュトヴァン寺院見学→英雄広場(適当に買ったバゲットで夕食)→ホテルで一休み→王宮→宿。
上:漁夫の砦
下:マーチャーシュ教会
マーチャーシュ教会の内部
上:くさり橋とイシュトヴァーン寺院
下:国会議事堂
上:イシュトヴァーン寺院
下:寺院前広場
イシュトヴァーン寺院内部ではパイプオルガンのコンサートを聴きました!
上:英雄広場
下:英雄広場前の通りはシャンゼリゼのような雰囲気でしょ?
ブダペスト自体、見所がそんなに多いわけじゃないから、この辺の界隈の写真ばかりを載せたけど、この界隈の美しさが十二分だからまあいいかという気にはなる。
2007年8月25日
ホテル→西駅の荷物預け所に荷物を預ける→国会議事堂(入れず)→ゲッルード温泉(止め)→ヴァーツィー通り→オペラ座近くで昼食(巨大なハンバーガー)→西駅で荷物を引き取る→空港→18時40分発。
最終日なのに、国会議事堂は入れず、最終日は使い切らなければならないから手持ちが少なかったため、ゲッルード温泉では道具をデポジットするための現金の持ち合わせがなく、結局徒労で散策と食事だけで終わっちゃいましたよ。