GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

人生を考えるうえでの真のグローバル思考⑥ 子を持つ選択

僕の意見として、人間圏の持続可能性の問題を解決するには「ストック依存を根本的に改める」か「人間の数を激減させる」しかないと述べ、「現在の地球では、産まずにエコな生活をする人が最も偉いということになる」と述べた。

今回は、子を持つ選択と持たない選択における幸福およびコストという観点で述べる。

 

 

子育てが趣味化した時代における子育てについて

子育てをした人としていない人のどちらが幸福かの研究を目にしたことがあるが、全ての人はこのどちらかに分類され、同一人物での実験ができないのでこの解が得られることはないと個人的には思っている。

自分のかわいい子を見て、「この子さえ生まれなければもっと自由な人生を歩めたのに」と思う親は少ないだろうし、逆に、飛行機の中で泣き叫び続ける子供を困った顔をして抱いている親を見て「子供がいなくて良かった~」と思う子供のいない大人も多いであろう。

また、親から産み育ててもらって感謝こそするだろうが、それを恨むという人も少ないだろうと思う。

 

「生物の目的は種の保存のため」という意見はよく耳にするし、これはあらゆる生物にとって絶対的な真理であるといえるだろう。

しかし、種としてではなく、個々の人格レベルにこれを落とし込んだ場合、これは身も蓋もない意見のように思う。

個にとって圧倒的に重要なことは個が何をするかなのではないかと思うからだ。

したがって、生物の目的は種の保存という意見は、社長の仕事はその社長が何をするかよりも次の社長を育てることだとか、人のためになることこそ人が生きる目的と聞くのと同じく、甚だ本末転倒な意見だと思うのである。

 

むしろ、種の保存を望むがために、異性を愛する脳のメカニズムや性欲や性的快感や母性本能を遺伝子の設計図に埋め込んでいるわけだが、それを踏まえた上で、それに従うなり、あがなうなり、個々がどういう選択を取るかということについては個々の自由なのではないかと思うのである。

そして、実際に子育てに幸福感が得られなければ2人3人と産み育てるはずがないので、子供を産み育てることからこの上ない幸福感を得られ、複数も子供を持とうとするように設計されているのだと思う。

 

また、生活している時間のほとんどを赤ん坊に捧げることができる親、かわいい子を預けて働く親、出稼ぎや単身赴任をして家族を養う親、極端な例では韓国のキロギアッパというような人たちがいることからも、「人間は子育てからここまでの充足感を得ることができるのか!」と子供のいない僕は強烈に思わされるのである。

そして、子育てには常に心配と苦労がつきまとい、子供は親の思う通りに育たないことが多く、親子ゆえにコミュニケーションがうまく行かないことも多く、ママ友やPTAといった僕には理解に苦しむコミュニティに関わる必要性も生じ、子供が大人になって結婚して他人のようになってしまう可能性もあり、特に日本においては子供がいるばかりにカップルから父・母という味気のない機能に変容する夫婦もあり、また、僕がこれまで述べてきた通り、人間圏の持続可能性への疑問といった要素もあり、とにもかくにも子育てには幸福という観点から考えての不確定要素が強すぎるのだが、それでも望む人は子を望む。

 

今の時代における結婚はカップルありきでするものであって、昔のように子供を持つことを前提としてするものではないだろう。

そして、デキ婚でもない限り、今の自由な時代にこれらの要素について深く考え込まずに、「とにかく人は子供を持つものだから」と決めつけて子供を持つ人などほとんどいないはずなのに結婚した人の多くは子を望む。

コストパフォーマンスなどという陳腐な言葉では到底説明のつかない尊さがそこにはあるのだと思わされるのである。

ただし、「周囲がうるさい」だとか、「一族の血を絶やしてはいけない」だとか、「親に孫の顔を見せたい」だとか、「誰が墓を守る」といった抑圧的動機で子供を持とうとすることには、僕は全く感心しない。

 

このように、精神面において子育てが人間の幸せに与える影響は計り知れないのだと思うが、年金福祉国家であること、昔と違って子供が親を扶養をすることが当然視されなくなったこと、日本における福祉の受益者は圧倒的に高齢者であり、子育てに投入される福祉予算の割合が他の先進国に対して格段に低いことから、コスト面だけでいえば子育ては圧倒的に損である。

その損の大きさたるや、一体何年分のタダ働きに匹敵するのであろうかと考えただけでも気が遠くなる。

子育てをしなければ、生活費も教育費も圧倒的に圧縮でき、かつ、現代社会では、子育てをすることで未来の納税者を育成した人とそれをしていない人が全く同じ福祉が受けられるという異常なまでの後者への優遇措置がとられているのである。

 

生物にとって最重要事である子孫を残すという行為を趣味と呼ぶのは大いに不謹慎かもしれないが、年金福祉国家の到来によって子育ての経済・福祉的な意味合いが根本的に変化し、子育てに見返りも必然性もなくなったため、僕これを「子育ての趣味化」と呼ぶことにしている。

 

我が家の不妊治療

僕とパートナーは子供が好きというわけではなく、どうしても子供が欲しいというわけでもなかった。

子供を持つか持たないかという選択はその後の人生を大きく左右する判断だが、これまでブログに綴ってきた通り、極端に面倒くさがり屋で何事も自己判断を加えてからでしか行動に移れない僕は子供を持つかどうかを真剣に考えた。

そして、子育て持つことによって失う自由は計り知れないけれども、子供という人間にとってかけがえのない存在を持ち、子育てをするということは人間にとって普遍的な営みであり、それをせずにいるのは体験としてもったいないと思い、子供を持つことを望んだ。

僕もパートナーも結婚したのが33歳で、本気で子供を持とうと考えたのはその数年後だった。

 

子供を持とうと判断した時点で高齢出産の時期に入っていたため、なかなか妊娠をしなかったのだが、時間が経つにつれ妊娠する確率も低くなるだろうと考えて病院で検査をすることにした。

検査をしたところ、僕もパートナーも何の異常もなかったのだが、年齢が年齢だったことと、方針を決めたら最善を尽くしたほうが良いと考えて不妊治療を行うことにした。

当初は別の病院にかかっていたが、途中から東京でも特に高名なK病院にかかり、パートナーは何度か初期流産をするなど辛い思いをしたが、結局はなかなかうまくいかなかった。

40歳になる頃に僕から「もう止めないか?」と言って治療を止めた。

治療は何度も行ったため、費用は400万円程度かかった。

 

クリニックに行くと、世の中にはどうしても子供を授かりたいと必死に願う人がたくさんいてそのために必死に不妊治療を続けている人がたくさんいる。

正直なところ、僕にはどうしても子供が欲しいという感情が湧くことはついぞなかったのだが、それはパートナーにとっても同じだったようで、そして、辛い思いは何度かしたが、悔いを残さないように必死に不妊治療を続けたという思いもあって、止める時は冷静だったし、子供のいない人生を完全に肯定的に捉えることができて今に至っている。

 

これは決して強がりでも何でもないのだが、一切子育てをせずにパートナーと二人っきりで気楽でとことん自分勝手な人生を歩めると思った時、限りない自由と時間と金銭的余裕というものすごいボーナスが一気に空から降りそそいできた気がした。

自分の人生に対する肩の荷が一気に降りて、急に目の先に無限の沃野が広がったような気さえした。

  

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