GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

資金や幸せにおける自分の尺度

ファイナンシャルプランナーが「リタイア後にはこれぐらいの資金が必要です」だとか、「こういった備えをしましょう」だとかいったことを具体的に提案して記事にしていたりするが、誰にとっても、一般的とされる条件と自分の条件に違いがあるだろう。


そういう意味ではファイナンシャルプランナーがネットや雑誌で述べる考え方を自分なりにアレンジして考えないと実際のシミュレーションには近づかない。


個別にファイナンシャルプランナーコンサルティングを受ける場合はもちろんその限りではないが、「老後は夫婦で月に28万円で」と平均的な消費額を積み重ねて一般論を述べるのがネットや雑誌に記事を書く際のファイナンシャルプランナーの仕事である。

しかし、実際の必要額をきちんと認識できるのは自分しかいないはずである。


飲み歩きが趣味でそれがなくては生きている気がしない賃貸アパートに住む人と、家庭菜園で農作業をやっていれば幸せな持ち家に住む人の支出が同じわけがない。

資金計画の尺度は人それぞれなのである。


EXCELに年度ごとの支出と収入のシミュレーション額を入力し、残っている資産を0~5%で複利運用した際の年度ごとの残額を100歳ぐらいまで可視化させ、かつ、インフレ率や社会動向の変化や介護・終末医療といった不確定要素を余裕として見積もっておいて自分なりのシミュレーションができるのであれば一般論など参考以外の何でもないはずなのである。

こういった計算で「逃げ切れる」と判断できた時点が個々にとっての経済的独立となるはずであり、ネットや雑誌で述べられる一般論は気にする必要はない。

ただし、先日、将来の資産課税に備えよというようなことを書きつつ、そこまでは個人にはシミュレーションは厳しかろうと思うので、不確定要素における余裕は見ておかなければならない。


また、幸せの尺度も同様で、「人間関係にこそ」「やりがいにこそ」「貢献感にこそ」「お金のゆとりにこそ」「マズローの欲求はですね~」と幸福度が高めるための一般論的な「エビデンス」を並べてみたところで、それがそのまま個人に当てはまるわけがない

そもそも、学者が幸福度の測定の指標をいくら作ってみたところで最終的には自分の主観でしか測れるはずがなく、その主観すら刻々とゆらぎやすい。

また、幸福度という指標そのものがワーディングや前提条件によってどうにでも変化するもので科学との相性が悪い。


自分がどういう時に幸せを感じるかは自分にしかわかりようがない。
自分で真摯に追求するしかないのである。
どんなに他人の知見を漁ってみても参考程度にしかなりようがないのである。

ただ、個人的に思い続けているのは、「人生において幸福の追求ほど難しくも楽しいゲームは他にないだろう」ということである。

 

ラサ・ジョカンにて