GOODDAYS

社会全般について思ったことをここでつぶやいてます

東南アジア・中国① シンガポール・マレーシア・タイ・ベトナム

シンガポール

大学4年の夏には1ヵ月半ほど、東南アジアと中国を旅した。
シンガポールに飛行機が到着したのは真夜中(チャンギ空港は24時間空港でしかも各方面から世界一高い評価をされている空港なのである)だったが、ここで朝を何するでもなく座って待っていたら、現地の女子高生達に話し掛けられた。


その後は、そのまま3日間を彼女らとともに過ごすこととなった。
旅の始めからこんなうれしいハプニングに出くわすことができ、非常に幸先の良い旅のスタートとなった。
しかも、観光としてよく行くエリアだけではなく、しかもリーピン(知り合った女の子の1人。中国系でかなりかわいい)の家の中まで見せてもらうことができた。

リーピンが住む集合住宅の建物の遠景は先進国のマンションのようにも感じることができたが、家の中には三国志関羽を奉ってあったり、香が焚いてあったりしていて、土着性を強く感じることができた。
また、部屋は中国風に間取られていた。

「もっと英語が堪能だったらどれだけ違ったか」と思うとちょっと悲しくなった(シンガポールは英語が共通語なのである)。


シンガポールで3日間ずっと過ごした女子高生のみんな 


マレーシア

クアラルンプール

「鉄道でマレー半島を縦断したい」という思いが子供の頃からあったのだが、シンガポールからバンコクへ鉄道で縦断することで、やっとそれを実現することができた。
彼女達とシンガポール駅で別れを告げてから、列車はマレーシアへ向かった。
22時前に女子高生のみんなと別れて出発して翌朝にクアラルンプールへ着く。

マレーシアといえば「ルックイースト政策」のマハティール前首相が真っ先に浮かぶが、その成果はクアラルンプールにこそ集積されるものである…。
確かに、世界一高い高層ビル―ペトロナスツインタワーを擁する新市街の発展ぶりには目を見張るものがあるのだが、その反面、旧市街に行けば、マレー人のたくましい私生活を垣間見ることは十二分にできるわけで、そのコントラストゆえに「ルックイースト」もはるか日本におよばずという印象が残った。

しかも、ペトロナスツインタワーは片方が日本、片方が韓国の会社が建てたもので、日本側のほうが人気があるそうである。

生活水準が日本におよばないとはいっても、それがマイナスイメージに結びつくというわけではない。
クアラルンプールの街からは、日本の都市には決してないアジア的な明るさを強く感じることができたし、人もものすごく人懐っこくておもしろかった。

クアラルンプールでは京都大の学生と韓国人の学生のチョンさんとかなり意気投合してディスコや洞窟に一緒に行った。


世界一のペトロナスツインタワーをバックに…

ペナン島

2日間ほど過ごしたクアラルンプールを後にして、深夜に列車に乗って翌朝に列車の目的地であるバタワーズに着いた。
タワーズには何もないので、バタワーズからほど近い、ペナン島で半日間の休暇をとることとした。

ビーチリゾートに来たのでビーチで泳ぎたかったのだが、ビーチが遠いのと雲行きが怪しかったのでやめて、街をぶらぶらしたが、その時に乗ったトライショーという自転車式のタクシーの運転手のじいさんが今にも死にそうなじいさんだったのが印象的だった。
「こんなじいさんに乗せてもらってバチがあたる」とも「でも、乗ってやらないとじいさんは食べていけない」とも思い、複雑な心境になった。

ペナン島からバンコクへは丸一日かかる。
列車は、マレー半島をひたすら走った。
車窓からは南国的な農園が一面に広がる風景をずっと目にすることができた。

日本人や香港人やアメリカ人の乗客とずっと話しながら来たから全く退屈しなかった。


タイ

バンコク

タイ王国国境をさらに南下して、天子の都バンコクへ6時間遅れで到着した。
とりあえず、世界中のバックパッカーが集うカオサン通りに行って、部屋を探した。
香港人のサムとアメリカ人のメーガン(女性)と同室で70バーツの部屋に泊まった。

ところで、私がキックボクシングをやっているだけに、世界に数多の立ち技格闘技がある中で、タイ王国(タイ人が世界の人口の1%に満たない国民なのにもかかわらず)のムエタイが、軽量級の世界においては他の人種を寄せつけない強さを誇っている事実には、個人的に頭が下がるものがあり、それこそが私の中におけるタイ王国の典型的なイメージであった。

それだけに、その修行も兼ねるつもりでもあったので、神妙な気持ちで上陸したのだが、そこで待っていたのは、世界中どこに行っても味わえないような底抜けに陽気なこの世のパラダイスだった…。

訪タイ初日の夜の盛り場では跋扈するオカマの人々が楽しく遊んでくれ、世界を旅した中でも底抜けに明るい人々にここで出会うことができた。
昼は昼で、世界中の旅行者が集うカオサンストリートにて退廃極まる生活が得られた。
あたりまえだが、キックボクシングなど半ばそっちのけ(ジッティージムというジムで練習はしたが…)となっていた(笑)。
ドリアンやらナンプラーの(慣れると気にならなくなる?)生臭い匂いに包まれながら、骨の抜けきった生活を一週間続けた。

ムエタイルンピニースタジアムでは偶然部活の後輩と会ったが、一緒に行った行き先は結局パッポン通りのライブショーバーなんだからおバカもいいところである。

バンコクに滞在する間の1日はアユタヤー観光に費やした。
他、バンコクやアユタヤーのことは、2003年7月のバンコク編を参照ください…。

あと、バンコクでは風邪をひいた(たぶん、ファンをつけたまま寝たせいである)。
38.7度も熱が出たが寝込んでダラダラ過ごしてすぐに治した。

しかし、さすがに、「こうやって、ここで骨抜きになっているが、予定もあるし、今、出ないとバンコクから抜けられなくなる」と思ったので、ここを経つことにした(笑)。


ベトナム

サイゴンホーチミン


バンコクで格安で買った航空券で飛び、一路サイゴンへ(本当は「ホーチミン」というのが正式名称だが、ベトナム社会主義政権前の呼称であり、現地の人が用いている「サイゴン」のほうが私にとってはしっくりくるのでこちらを用いることとしている)。

ベトナムはフランスの植民地だっただけあって“プチパリ”的な雰囲気を漂わせていた。
バンコクがあそこまで衝撃的だったからさすがに刺激は少なかったが、これまたサイゴンもとても居心地の良いところであったため、だらだらしながら生活した。

というより、ここで訪ねた中国大使館で「ビザの発給には5日かかる」と言われてここで予定外の1週間の足止めを食ったのである。
本当は列車でニャチャンやフエに立ち寄りながらハノイの行く予定だったのにその予定は完全に崩れ去ってしまった。
帰りはハノイから一度バンコクに戻って北京に行く航空券を手配(それが一番安かったのだ)してしまっていたため、後に日程をずらせなかったのである。

ところで、サイゴンは公共交通がそれほど発達していない。
そういったこともあって、ここで足代わりに(6日間拘束してわずか6,000円程度で交渉成立)個人ガイドのマイさんを雇ったのだが、彼はものすごく親切かつ誠実な人だった。
どこを見て回るにも彼のバイクに乗って回ることができたため、効率良くさまざまな箇所を見て回ることができた。
ノーヘルの2人乗りだし、周囲のマナーも悪いからちょっと怖かったのだが、バイクに乗っている途中に私は2回も眠ってしまった(マイさんがそれをすごく怖がっていた)。

べトコンが潜み、移動するために掘った全長250㎞にもわたるクチトンネルを歩いてみて、こんなトンネルを掘ることにも、こんな狭い中を移動することにも、ベトコンの根気強さを再確認し、戦争証跡博物館では多くの奇形児やサリドマイド児のホルマリン漬けを見てなんともいえない気持ちになった(後に訪ねる北京の自然博物館の方がここの数倍はすごいから参ってしまう)。


クチトンネルの中(なんかこの頃やたらと痩せてますなあ…)


破壊されたアメリカ軍の戦車はモニュメント的な存在ですな…

日程の途中、中休みを取ってシンカフェというバックパッカー周りでは著名な旅行会社兼カフェのツアーでホーコックビーチというビーチに行って泳いだりもした。
日本人4人で行ったこともあってかなり楽しめたし、おそろしく遠浅で海水も温かかったので最高だった。

マイさんとサイゴン近隣にあるメコンデルタにも行ったが、ディズニーランドの「ジャングルクルーズ」の実際版みたいで大変楽しめた。


メコンクルーズ(ディズニーランドのジャングルクルーズの実写版ですぞ!)


食堂をやっている3姉妹と…客は私だけで3人とゆっくり話しながら食事

タイ人もベトナム人も陽気で穏やかな人が多かった。
彼らにはものすごく良いイメージを抱いた。

また、ベトナム人はかなり日本人に顔つきが似ていてビックリした(そして、ベトナムのディスコの女の子が美人ぞろいだったのにもビックリした)。

そのおかげで、次に訪問する国の人々とのギャップに苦しんだわけであるが…(笑)。

ハノイ

ビザ取得に時間がかかったため、ハノイにはわずか2日しか滞在できなかったが、首都とはいえ、サイゴンと比べると比べるべくもなく小さくて静かな水辺の都市であった。
ハノイ中をくなまく歩いたので街の雰囲気をきちんとつかむことができた。


タイ(再)
ハノイから北京に飛びたかったのだが、バンコクを経由する便のほうが安かったし、もう一度バンコクに戻ることができるのがすばらしいと思ったので、バンコク経由の便を選択した。
バンコクでは喜んで1泊して翌日の便で北京に飛び立った。