GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

「あおり殴打」と交通管理

それにしても先日の「あおり殴打」事件の宮崎文夫容疑者カップルへのバッシングはすごかったなあと思う。

この「あおり殴打」という見出しのネーミングはキャッチーだなと笑ってしまったが「ガラケー女」という呼び方はちょっと差別的だと思う。

 

この事件は一歩間違えば東名高速煽り運転をして家族4人を死傷させた石橋和歩被告が起こしたような惨事になりかねなかったので確かに「とんでもないクソ野郎だな」とは思いはしたものの、「京アニ放火事件」などとは比較の対象とはならない小事件の一つとしか思わなかったのだが、世間の怒りがあまりにすごかったので驚いた。

 

社会からあおり運転を撲滅するという意味で相当に社会的意義のある大騒動だったといえし、個人的にはこの事件で実際に下されるであろう量刑に対しての社会的制裁の凄まじさに正直引いてしまっているものの、普段車を運転している人はそれだけ無謀な運転をする車に嫌な思いをしているのだろうと思った。

無謀な運転をする車には俺とて相当腹が立っているが、大自然の中をドライブする時ぐらいしか車に乗らない俺と毎日車に乗る人とでは怒りの度合いも違うと思う。

 

煽り運転と見なせば免許剥奪というような法整備を行うことが求められているのだとは思うが、その判定基準を細かく決めるのはかなり難しいのだろうと思う。

「俺の運転のどこが無謀か言ってみい!」と開き直られた場合に無謀運転であることを数量的な証拠で認定しなければならないと思うからである。

 

ところで、あおり運転を防ぐための交通管理についても当局にはもう少し真面目に考えて欲しいと思った。

例えば、中国の高速道路にはレーンごとに最高速度最低速度走行可能車種が細かく記載されているという情報がネット上に出ていたが、これはかなり秀逸な方法だと思った。

最高時速と最低時速の間の速度で運転している場合には誰も何もいえないし、これを外れれば違反していることになるから煽りようがない。

なお、最高時速が120キロ、最低時速110キロでその差が10キロしかない車線もあれば、最高時速が120キロなのに最低時速が60キロと60キロも差のある車線もあったが、最低時速60キロ可の車線で時速62キロで走るノロノロ車がいても煽りようがないだろう。

 

また、日本における走行車線と追い越し車線のルールはもはや多くの人が守っていないのに運用ルールの見直しをする気配がなく、そもそも追い越し車線を空けるという原則そのものが交通容量を小さくしていると思う。

第二東名などもっと速い最高速度設定を想定して設計された高速道路に対してもなかなか速い速度制限を認可しなかったり、一般道においても主要道路の速度制限があまりに遅すぎたりしている。

他の国で取り入れられているように辺鄙な場所では人がいなかったら常時左折可というルールを取り入れても良いと思うのだが右から来る車を注意して左に曲がる際に横断者を巻き込んでしまう事故が起きるのを恐れすぎて運用に至っていない。

このように、硬直的な運用を推し進めるがあまり交通容量を上げる方策を多分に犠牲にしている面があるように思うのだが、警察当局には車を効率よく捌け、かつ、もめ事が起こりにくくするような交通規制のあり方について検討して欲しいと心から思う。

 

ヨーロッパの国では主要道路の速度制限を速く設定し、細い道ではかなり遅く設定し、制限を少し上回っただけで取り締まるという国が多いようである。

それに対して、日本では必要以上に速度制限を遅く設定しているため、流れに沿って走る車のほとんどが速度超過してしまっていて、逆に速度制限を守るとかなりの確率で煽られることが多い。

それに比べて俺の少ない経験ではハワイやグアムの速度制限通りに走ると実に心地良く自然なドライブを楽しむことができた。

また、高速道路の追い越し車線のルールが有名無実化していることと併せて多くのドライバーが交通法規を破ることが常態化しており、だからこそ警察に取り締まられると無茶苦茶腹が立つのだろうと思う。

そんなことを言いつつ、俺は一度も警察に取り締まられたことのないゴールドドライバーなのだが、それでも日本の警察の交通管理は他国より明らかに劣っていると思うし、ドライバーの憎悪の気持ちを強める効果すら生み出していると思う。

 

ついでに自転車ユーザーとして言うならば、自転車を危険にさらす道路設計がなかなか改まらなかったり、交差点の左折専用レーンの幅員が狭すぎて自転車に脅威を与える設計になっていたり、大交差点で平気な顔をして右折レーンを曲がるような危険な自転車運転の取り締まりが行われていないように見受けるが、ルール改良やテクノロジーを用いてどうにかできんのかねと思う。

俺は新卒後に交通解析の仕事を4年半していたし、地図を見るのが趣味だし、新しい道路ができたらすぐに見に行くぐらいなので、交通についてはあれこれと考えてしまうのである。

 

【2019年8月27日追記】

自民党の交通安全対策特別委員会が8月27日に「あおり運転罪」創設にむけて検討することにしたようです。

 

浜離宮の年パスを持っているのと、DJプレイがあるようなので…

 

浜離宮大江戸文化芸術祭2019に行ってみた

 

普段夜は開いていないので貴重な機会。三百年の松のライトアップすごい!

 

内堀広場ではクラブイベントのようなDJプレイ

 

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この時間帯は清水沙也佳さんのDJプレイ。かっこいい!

 

下水の前提条件を勘違いしてた

大雨の時には下水がきちんと処理されずに東京湾に流れ込むことがあるということを知らなかった。

不勉強と言われればそれまでだが、だとしたら良くもまあオリンピック時にお台場でトライアスロン競技を行おうなどと思ったものだと思う。

 

このことについて述べる前にちょっと回りくどいことを述べる。

俺は宗教を一切信じていないが、科学も絶対だとは思っていない。

まず、生物の仕組みを科学的に説明できないように科学で解明できていないことが多いとわかっている以上、科学的手法には抜けがたくさんあると思うからである。

しかし、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉と同じではないが、科学以外の検証方法を科学よりも優れているとは認めるわけにはいかない。

 

なので、食物であれ海であれ適正に水質や放射能の検査をして安全と確認されればそれを是とする以外に対案がないと思っているし、その対案は科学より信用できないと思っている。

しかし、科学的手法による検査は正しく行われる必要があり、絶対に不正検査は排除しなくてはならない。

 

海水の衛生基準に関しても水質検査の結果で判断すれば良いと思ってきた。

それと同時に、「まあ、海に汚水が流れ込みでもしない限りは大丈夫だろう」だと思っていたのだが、この前提が違っていたことを最近のニュースで知ったのである。

これでは放射能ならぬ汚水ダダ漏れを許容しているということと同じではないかと驚いた。

検査基準云々と言う前に前提条件がヤバいと思うのだ。

 

合流式の下水道を分離式にすると10兆円の費用と50年くらいの時間かかるという記述があるので急に手は打てないということがわかった以上、大雨時には汚水を放流せざる得ない。

そりゃマンホールから下水が流れ出てきそうなピンチになったら海に流しちゃうしかないだろう。

しかし、そうなのであれば水質検査の結果が少しでも悪い日のお台場では絶対に泳ぐべきではないということになるであろう。

それなのに先日のトライアスロン大会では選手に泳がせてしまったのである。

 

もちろん、先述の通り、科学的手法による水質検査の結果は信じるしかなく、検査結果が良ければ泳ぐのを可とするしかないのだが、では仮にオリンピック当日に検査結果が悪かった場合にお台場でのスイム競技を止められるのかという問いが出てくる。

もし、検査結果が悪くても強行する、検査結果を強引に解釈して強行する可能性が少しでもあるのであればお台場を会場に指定するのは不適格であるとしか述べようがない。

前が見えないだとか水が下水臭いだとかいう声が上がったというが、「誰がうんこが混ざった水で泳ぎたいと思うか?商業主義もたいがいにせい!」と叫びたい。

小池都知事によると大腸菌を取り除くスクリーンを1枚から3枚に増やして対応するそうだが、仮にそれによって水は臭いけど水質検査ではOKという事態が起きたらトラウマになるだろうと思う。

俺がちょろっと調べたところでは荒天時の予備日は検討されているようだが、場所の変更については書かれていなかった。

 

ただでさえアメリカの商業主義に屈して殺人的に暑い時期にオリンピックを開くことになることで選手たち不満の声が出ることが予想されまくっているのに、さらに汚水の中で選手を泳がせてしまおうものならもはや何のためにオリンピックをやるのかわかったものではない。

 

俺は臭いに病的に敏感なこともあり、渋谷ストリーム周辺の渋谷川が臭いという文章を見たことがあった後にずっとそのことが気になっていたのだが、俺が過去に3回ほど渋谷ストリームに行った時にはいずれも臭くなかった。

友人は「渋谷川は臭かった」と言っていたのだが、俺は自分の経験と、「汚水の臭気が上がってくる可能性のある川を活かして最新鋭のオフィスビルとショッピングゾーンを作るとは思わない」という思い込みのために、「それは偏見に近いのではないか?」と友人に答えた記憶がある。

臭いものはどうしたって臭いのだからそれこそ真実であるといえるだろうが、思い込みが強かったのでそのように強弁したのである。

しかし、本当に臭くなってしまう構造になっているのだとすればやはり臭気は発生するだろうし、それがわかっていながら計画を推し進めたのだとすれば蛮勇があるなあと今になって思った次第である。

 

検査結果云々の前にその前提条件が自分の思い込みと違っている例があると今回の下水の件でわかったが、福島第一原子力発電所においてだけはそういったことはないものと信じたい。

 

夜には屋形船が浮かぶお台場の海