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世の中をかいくぐって逆張りの人生を歩む俺の意見

もし、自分が子供の頃に学校でスマホを使えたら…

学校にスマホを持ち込むのを可とするという話があるが、もし、自分が子供だった頃を思い返してそれが可能だったらと考えると恐ろしく思う。

子供の頃、親に隠れてファミコンをするために、夜明け前に起きてファミコンをやって親が起きる前に二度寝し、週刊少年ジャンプの次の回がどうしても気になるマンガがあった時も早朝に起きてコンビニに行ってそのマンガを立ち読みして再び寝る始末で、その願望を抑制することができなかった。

 

もし、学校にスマホを持ち込めるようになったら授業を聞いているふりをしてずっとゲームをやっていただろうなと思うし、その願望を抑制することはできなかっただろうと確信している。

後ろから見張られでもしない限り、前の席の人の影でコソコソとスマホを見ていればバレようがないし、殴られたり停学でも食わない限りはバレてもどうってことはないと考えたに違いないと思う。

もちろん俺が子供の頃はバレたら教師からボコボコに殴られていたから授業中にマンガを読むときにはバレないように気を使っていたが、高校生の時は授業を無視して興味のある本をひたすら読んでいた。

 

俺は子を持つ運命にない人生を歩んでいるから気にせずに済むが、PTAだとか、子供のケンカなどでよその親や教師と面倒くさいことになることだとか、SNSでのネットいじめなどについて考えるだけで、子供がいないのにも関わらず暗い気持ちになってしまう。

俺は、20年間で人口が2倍に増えた東京都中央区に住んでいることもあって、近所では驚くほど多くの子供を見かけるのだが、街中で不用意に子供に話しかけることも許されない世知辛い世の中だから、子供との断絶は深まるばかりである。

 

ところで、子供は少年法に守られているため大人のような責任能力を問われないが、仮にスマホで撮った動画を不用意に子供がアップした時の責任は誰がどのように負うのだろうという素朴な疑問もつきまとう。

小学校高学年にもなれば、「うんこ行く」と堂々と述べてトイレに行けたが、小学校中学年の頃は大をしているのがバレると上から覗かれたものである。

それが現代だったらスマホで撮影することすら可能なのだが、思慮の浅い子供が仲間と共有しようとおもしろがってその映像をネット上に載せ、さらにそれが拡散された場合、その責任は誰が取るのだろうと思うと暗い気持ちになる。

上から覗いたヤツは今はメディアにも載るような立派な社会人として活躍しているが、その年代の少年の思慮の浅さぶりならそれぐらいのことはやりかねなかったろうと思う。

わいせつ動画もセキュリティの弱いスマホから簡単に流出して小学生の目に触れているだろうから本当に恐ろしい世の中である。

 

話を少し変える。

3日前に無罪判決が下された乳腺腫瘍の摘出手術をした医師の「乳首舐め」疑惑もそうだったが、昨日、「ドーナツ」事件の判決が出て、過失なしと棄却されたので胸をなでおろした。

以下は2月22日配信の毎日新聞からネット配信された事件の概要の引用である。

 

障害者の死亡事故訴訟 施設側の過失認めず 名古屋地裁逸失利益の判断は示さず

愛知県安城市で2013年、重度の知的障害があった鶴田早亨(はやと)さん(当時28歳)が障害者支援施設を抜け出して死亡した事故を巡り、遺族が施設を運営する社会福祉法人に約7,200万円の賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁(末吉幹和裁判長)は22日、施設側に過失はないとして請求を棄却した。
遺族側は控訴する方針。


鶴田さんは就労困難だったが遺族側は賠償請求に当たって「命の価値は法の下で平等」と訴え、将来働いて得られたはずの「逸失利益」について、全年齢の男女の平均賃金をベースに算定するよう求めていた。
しかし、判決はこの点に関する判断を示さなかった。


判決によると、鶴田さんは13年3月に施設を抜け出し、近くの商業施設で陳列されたドーナツを大量に口に詰め込んで窒息死した。

遺族側は、入所者が中から開けられない扉を開けたままにして、鶴田さんを見ていなかったとして施設側の安全配慮義務違反を主張した。
判決は、出入り業者が扉を開けた可能性を指摘し、職員が目を離して、出て行くのに気づかなかったことに過失があったとは言えないと結論づけた。


原告で鶴田さんの兄明日香さん(39)は「ぼうぜんとしている。障害者は(施設から)出て行っても仕方ないと言われたようだ」と憤った。
代理人の中谷雄二弁護士は「非常識な判決。入所者の命の安全を守るのは施設の一番の義務」と語った。
【野村阿悠子】

 

記者の野村氏が淡々と記事にしておられることに記者としての職人魂を感じるが、ここまで世知辛い世の中で子供が学校でスマホを持つリスクについて考えると本当に頭が痛くなる。

 

それだけに近年は学校の教師になりたいという人が減っているという。

俺は教師になりたいと思ったことがないものの、俺が学生の頃には教師になりたくてもなれないという人が多かったが、部活地獄・体罰絶対禁止・モンペ・SNSの氾濫といった要素を考えると、今の時代に教師が不人気な理由はヤバいほどわかる。

というより関わろうと思える人は偉すぎである。

 

ここからまた違う話に切り替える。

俺は「授業は教師がライブでしなくてはならないものなのだろうか」という素朴な疑問を昔から持っている。

俺は予備校に行ったことがなく、またビデオ授業も受けたことがないし、当然ながら学習アプリというものを使ったこともないが、予備校にいる超優秀な先生が授業をするビデオを見せる、もしくはアプリを使用させればどう考えても効率的かつ効果的な授業を行えるのではなかろうかと思っている。

停学・退学カードを切れない限りは、大学生も含めて教師がいないと確実に学級崩壊になるので教師は必要だと思うが、生徒の後ろから見張るコーディネーターであり、相談相手として振る舞えばずいぶんと教師の負担を減らせるのではなかろうかと思う。

親との面倒くさいやりとりはともかく、「教材作りが大変」などと今の時代に言うのは時代錯誤ではなかろうかと思う。

大学の講義に関しても同じように思っているが、この考えを取り入れると大学教員もずっと少なくて済むのではなかろうかと思う。

そういう意味ではディベートやグループ学習以外においては自習こそがベストな時代になったのではないかとすら思う。

 

また、検索ありの世界での能力を上げさせるか、これまで通り検索なしの世界でがんばらせるかの議論も深まっていくだろうが、「まずは自力だけでの基礎的な知識がないと考えは広がりにくいだろうな」とはこうしてブログを書いている限りにおいては思う。

 

学校のスマホ持ち込み可は恐ろしいが、学校のシステムのハイブリッド化はもっともっとやったほうが良いのではなかろうかと思う。

 

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