最近はブログよりもFacebookばかりを更新しているが、出来事しか書けないFacebookより、思ったことを自由に書けるブログのほうがずっと好きなのと、自分の考えをストックしておくための場所として思いついた時にこうしてブログの更新を続けているのだが、ふと、「自分のために書いている分が多くを占めるとはいえ、誰も読んでないものを長々と書いて何の意味があるのだ?」と我に返ることがある。
何せ、妻が俺のブログを読むたびに「あんたが普段言っていることが書いてあるだけで何の新味もない」と言う始末だからよく考えたらわざわざ文章にするまでもないのである。
これはあくまで書き手のための自己満足ブログであって、アクセス数を増やすために読み手のためのブログを書く気はないし、コメント欲しさに書いているということも全くないし、実際にコメントもないのだが、やはり読んでくれている人がいるのかは気にはなる。
たまに「読んでくれている人いるのかな?」と気になってアクセス解析をするとアクセスがないわけでもないが、ロボット巡回分を含むアクセス解析というものをそもそも信じていないのでそれを知る術がないのである。
でも、今年戴いた年賀状において何と3名の方がブログを見てくれていると書いてくれており、少しでも見てくれている人がいるのならば…と、元気づけられたのでした。
年賀状というものにも長いことネガティブな感情しか持たなかったのだけど、結婚した頃から考え方を逆転させて、一方的に書きたいメッセージを書いて送りつけられる滅多にない機会、不義理している親戚や友人に挨拶をしておける便利なツールと思うようにして、受け手からどう思われるかはさておき、どうせならと年賀状の枠をぶっ壊して相手に印象づけられるものを送りつけることにしている。
何せ年末年始に地元に帰らず、自分から友人にメールを出すことは皆無、人を飲みに誘うことも滅多にない不義理人間なので忘れられないようにすることは重要です。
こんな感じの、もはや年賀状とは呼べないものを送りつける