GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

「だよね~」「だよね~」の退屈なポピュリズム

社会全般について知識が少なく、かつ自分の意見を何も語れない人が多い世の中だが、「だよね~」「だよね~」で何も語らずに雰囲気作り・空気作りで済ます人間の多いことよ…。

まあ、最近は「イイネ!」「いいネ!」かもしれんが…。

 

事を荒げないことが優先されるがあまり、我が強い人間は疎まれるが、迎合するばかりで意見を述べない人間が疎まれることはない。

昨今は、そういう人のことを「癒し系」だとか「なごみ系」などと呼ぶことが多く、彼らが普通に居場所を確保できる「やさしい」ご時勢だが、それは悪いことではないもののそのことがもたらす結果は退屈なものだ。

僕にはその退屈さは耐えられないので、そういった人とは深く関わらないようにしている。

 

文化と呼ぶべきものについてもそうで、低俗かつ幼児化しているものに大衆が群がるからと、それにあらゆる商業が迎合し、内容がないものを内容がないと言わず、多様性や個性といった都合のよい言葉で片づけ、挙句の果てにはそれを「クールなんちゃら」とあたかもすぐれたものであるかのように呼ぶ始末となっている。

 

世界においても「民主主義の最大の敵はポピュリズムだ」と言われる昨今だが、この傾向が行くところまで行って、この国の国民の多くは、被害面・損害面においてのみ当事者で、義務面・責任面においては完全に傍観者となっており、「傍観者的ポピュリズムとでも言うべきものに完全に陥っている。

テレビにおける「街頭の声」のようなものはまさにその典型で、あれなど聞くだけで気分が悪くなるから聞かないようにしている。

 

傍観者的ポピュリズムは例を挙げれば以下のような勘違いを起こしやすいように思う。

 

  • 雇用することは企業による最大の社会貢献なのに、まるで雇用が義務であるかのように勘違いする。

  • それどころか、企業は雇用される従業員の生活のためにあると思っている人も多い。

  • 多く稼いで多く納税することは大きな社会貢献なのに稼ぐ人を尊敬せずに嫉妬する。

  • 働いて納税することはボランティアよりも何よりも社会貢献なのだが、多く納税した人は後者ほどには尊敬されない。

  • 高所得者よりも極めて少額の税金しか取られないのに、生活が苦しいのに貧しい者からばかり取ると言って怒る。

  • 赤字国債を発行して受けている行政サービスに対して取られている税金が少なすぎることに気づいていない。

  • たとえ、どういう形であれ、給付が納税額より多い人は誰かに頼っていることになるが、それを当然の権利だと思う。

  • 高額の医療であっても保険が適用されるのは、平等の観点から当然なことであると考えている。

  • クレームやデモは声高な人の叫びにすぎず、意思決定は多数決や選挙によって行われるのが民主主義の手続きなのだが、前者の意見も尊いものと思う。

  • 選挙こそ民意の唯一の行使手段なのにそれを行使せずに文句を言う。

 

ことなどが考えられる。

 

また、批判はするが、勉強不足であるがゆえに現実的・具体的な対案を持たないのも傍観者的ポピュリズムの特徴だ。

増税はしないで欲しい」「原発怖いね」「戦争やだね」「政治家は自分のことしか考えていない」「金持ちには庶民の気持ちはわからない」と言うだけで、それ以上にはその反論に反論できるレベルの意見を持ち合わせていないことが多い。

 

その例えとして原発や電力の話を以下に述べる。

 

原発事故の問題でやり玉に挙げられるのは東電と行政ばかりで、肝心の原子炉を設計したGE社やウエスティングハウス社を責めていないと大前研一氏が言っておられるが、原発事故の批判者の誰かはアメリカに渡って抗議したのだろうか。

また、押井守氏が著書に書いておられるが、福島の原発のマークⅠ型軽水炉は導入当時から既に旧式のもので、かつ、加圧水型軽水炉より危険と言われる沸騰水型軽水炉なのだが、これを導入したのはこの軽水炉プルトニウムを取り出せないタイプで、周辺国に核兵器に利用しませんよという当時の配慮からだったと言われているという。

憲法が生み出した弊害であるともいえるのである。

しかしながら、何故、以前から欠陥が指摘されてきた旧式の沸騰水型軽水炉を使い続けるのかだとか、何故、それを導入せざるを得なかったのかだとか、どうすれば地震津波に対応できるようにできるのかということについての議論はほぼない。

原発やめろ」で議論終了である。

また、原発やめろと言いながら電力値上げを止めろという向きがあるが、これはとてもとても両立しないのだがそういうトレードオフも理解できていない。

なお、長期的にはともかく短期的には、非常に質の良い電力を提供できる原発をやめて、工場や雇用が海外に行っても反対派は不満を口にするべきではないだろう。

なお、自然エネルギーによる電力は質的に工業に向かない面もあることに対しても彼らは口を閉ざしている。

また、池田信夫氏あたりが言うように、実は他の発電方法のほうが死者が出ている事実も踏まえなければならない。

 

俺もああいった事故が起きたのだから、国民感情的にも、また、地震国である日本において原発を使い続けることに手放しで賛成ではないが、代替方法がなければ、高い電力を買うことについても、安全対策を施しなおした原発の使用についてもやむを得ないとは思っている。

 

賛成なら賛成、反対なら反対、それは究極的には好みの問題だからどちらでもいいのだ。

でも、どちらかを選んだらある程度妥協しなければならない要素もあるはずだし、条件付けをした上での賛成もしくは反対といった議論もあるはずなのである。

それがなくて結論だけを情緒で決めてしまう議論というのは幼稚としか言いようがないのだ。

 

そんなわけで、すべてのことについてそうなれとは言わないが、自分の考えをきちんと持たずに迎合だけをして良しとする人間を心の中では見透かしています。

 

ところで、俺は今年の夏を冷房ゼロで乗り切りました。

引っ越した家の南東と北西に窓があって、しかも、川沿いなので風がびゅうびゅう抜けるからに過ぎませんが…。