GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

発信すること・無名であること

Facebookが盛んな世の中だが、俺も地元の友人を中心に芋づる式に数が増えていき、現在は70人と友人となっているものの、俺自身はまだ書いたことがない。

 

このブログでそうしているように、自分が「何を考えたか」もしくは「何かをした結果、何を考えたか」については書きたいのだが、「何をしたか」にスポットをあてて書きたいという願望がほとんどないからかもしれない。

もちろん、友人が何をやっているかを見るのは嫌いではないから、見る専門でいさせてもらっている。

実際に再会したわけでもない10年~20年近い断絶があった友人の近況を日々見るというのも不思議な感じはするが、逆に実際に東京在住の同郷人と会う同窓会的な催しもあったりしたから、断絶を埋めるきっかけに役立ったりもしている。

 

ところで、このブログの匿名性はそれほど高くないが、実名は一ヵ所も書いていない。

そして、Facebookは実名だが、実名で書き、その更新情報などが自分の友人のページに出ると考えると、なんともいえないムズかゆさがあり、それで二の足を踏むというのも本当のところである。

逆にmixiは、このブログの数倍の頻度で書いている。

 

また、何を考えているかを書くのに適しているのかもしれないが、文字数が気になるのと、俺は自分の意見を書きっぱなしにしたいだけであって、別にそれをもとに人とコミュニケーションのやりとりをしたいというわけでもないのでTwitterもやっていない。

  

話は変わるが、ブログ・mixiTwitterFacebookと自分の思ったこと・やったことをインターネット上に発信できるチャネルは色々あれど、ある程度気楽にやっていられるのは、自分がとるに足らないような無名の個人だからであって、もし、有名人だったりしたらどこで足をすくわれるかわからないから、俺が有名人だったりしたら、もはや何も書けないだろうと思う。

人から足をすくわれないような当たり障りのない内容なら書けるだろうが、そんな内容なら何も書かないほうがマシだからやはり何も書かないんだろうなと思う。

 

今のような恐ろしい世の中で名が売れるということの恐ろしさを考えると、無名でいることのありがたさを心から痛感する。

その利益と損失に目をやると、何がなんでも有名人にはなりたくないものである。

 

このブログも始めてかれこれ8年経つが、自分が過去に何を書いたかもろくに覚えておらず、おそらくはそのなかには、今読み返すと赤面してしまうような未熟な内容だったり、今と考え方が全然違っていたり、間違った内容だったり、言うことが矛盾していたり、差別的で特定の誰かを傷つけるような内容だったり…といった内容の記述が多々あると思うのだが、自分が無名だからそこを悪意の第三者に突かれずに済むわけである。

 

とはいえ、無名でも意見を垂れ流したい願望がないわけではなく、だからこうやって書いているのだが、なんといっても無名だからこそ、インターネットという伏魔殿のなかでのうのうとアホな意見を垂れ流していられるというものであろう。