GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

無精者と忘年会と年賀状

 

無精者と忘年会

昔は飲み会が好きだったが、最近はあまり行かなくなった。 

飲み会よりも少人数での飲みはもっと好きだったが、それにすらなかなか行かない。

飲みに行くより、普通にご飯に行ったほうが費用対効果が高いので、美味しいものを食べには行くが、それも妻とばかり。

「人と会って楽しい時間を共有する=飲み」から「単に美味い物を食いたい」というふうに食い気ばかりが先行しているのだと思う。

それと、のろけと思われるかもしれないが、妻と二人きりでいるときが一番楽しいから妻とばかりいるというのもあるのかもしれない。

しかも、ご飯を食べに行っても、アルコールやソフトドリンクのような飲み物を始めから頼まず、勇気を持って水を頼み、その代わりワンランク上の飯を食べるという費用対効果を最大限に狙った飯の食べ方をすることが最近は多く、しかも、ディナーではなくリッチ目なランチ狙いばかりなのだからますますやることがセコい。

 

でも、今のような忘年会シーズンに日頃会えない友人と一同に会えるのは無精者の俺のような人間にとってはありがたく感じる。

こういう特別な期間がないと、多くの知り合いと会って時間を過ごすことというのはなかなかできない気がしていて、なんだかんだでありがたい。

 

無精者と年賀状

また、年末年始といえば、面倒くさい難関の頂点に君臨するかもしれないのが年賀状だ。

ハガキを買ってきて、図案を作成して刷るだけとはいえ、あまりに毎年面倒なので、俺は今年こそ年賀状をやめようといったん決断し、「最後の年賀状となります」「今のような時代なのだから今後はメールでやりとりしましょう」的な図案の年賀状を作り、それを刷ろうと思った。

でも、いざ刷るとなると、年に1度、メールでのやりとりすらするかしないかわからないような人と完全に連絡を取る手段がなくなってしまうような気がしてその年賀状を出すのをやめ、普通に出すことにした。

冒頭にも書いたが、自分から人を飲みに誘うことがなく、メールをすることもほとんどない俺のような人間から年賀状を取ったら、縁が切れてしまう人がたくさん出そうでそれが怖かったのだ。

 

もちろん、それぐらいの知り合いなのだから、今更会っても別に話すことはないし、これからすごく密接に連絡をとることにもおそらくはならない。

でも、そういう知り合いというのは、今は住んでいるところが違ったり、お互いに家庭や仕事があってなかなか会えなかったり、連絡を密にとらなくなって多くの時間が流れてしまったりしてしまったとはいえ、人生のどこかでものすごく密接につき合った期間のあるかけがえのない人ばかりで、その人が元気にしているか、どうしているかを確認するだけでもとても価値があることのように思えたのだ。

なので、まだ続けることにした。

 

でも、前の年にリターンでくれた人というのは年賀状をやめたがっている人なのだろうと解釈することにして、その人に対してはこちらから出さず、リターンで対処すると決めた。

やめたがっている人に1日に届くように出すことは失礼なのではないかとすら思うからだ。

なので、毎年、1月3日までにくれた人にだけ、こちらから出し続ければ良いと思っている。

 

ところで、年賀状というのは、頻繁に会う人に限ってやりとりがないものだが、それはそのほうが良いと思っている。

メールでやりとりするほど仲が密接なのなら年賀状なんてやりとりする必要はないからだ。

でも、俺のように無精にしていると、年賀状ぐらいでしか連絡とることができない知り合いが増えてくるというのも事実だ。

また、俺は頻繁に旅行に行く代わりに、用がない限り年末年始の里帰りはほとんどしていないけど、親戚などへの年始の挨拶代わりの役割も果たしてくれると思っている。

そして、そうやって帰らないから地元の友人とも関わりが無くなる。

だから、無精者の俺のように人間にとっては年賀状というのはありがたい面もあるなあ…と消極的ながら思っている。