これまで冬季オリンピックなんて興味がなかったのだが、今回は今まででは一番見たと思う。
長野出身の妻はバンクーバーに6年間ほど住んでいたので長野五輪はバンクーバーから見て、バンクーバー五輪は日本から見る羽目になったのだが、何故かシドニーオリンピックではスタッフとして働いたという変な経歴を持つ。
ウインタースポーツを見るのが好きで、バンクーバーを懐かしがる妻が見るから俺まで見るハメになったというのが実情だが、フィギュアやカーリングなんてこれまで食わず嫌いだったのに、見ると意外とおもしろいと思った。
女子フィギュアに関してはあの点数の通り、キム・ヨナ選手は大したものだと思ったが、個人の争いを国の代理戦争的に扱う人間が韓国はともかく日本にもたくさんいたのは残念だった。
また、円谷幸吉氏の遺書を「美しい文章だ」というようなメンタリティーを持つ石原慎太郎氏のように、選手に国を背負うことを求める古臭い考えを耳にはさむと本当にうんざりするし、選手の成績が期待を下回ったときに不甲斐ないだのどうのというヤツには「ならおまえがやれよ!」と、プロであってもアマであっても、どのスポーツを見るときにもそう思う。
まあ、俺も格闘技で熱くなってしまうことはあるので自省。
そして、何かにつけ「国費で云々」と言いたがる向きもあるみたいだが、国からカネを出したことを恩に着せて出来や態度にケチをつけるのは本当に格好悪く下衆な態度だと思う。
メダルの数が少なくて何が悪いというのだ。
メダルを取るのは取った選手のがんばり以外の何物でもないし、とれないのは仕方ない以外の何物でもないではないか。
「どうしてもメダルが欲しいというなら自分で取りなさい」とうるさい人には言いたい。
でも、俺は日本スポーツ強化費が他国より断然少ないことには感心した。
ただ、国は予算を取れないから出費を抑えているだけなんだろうが、スポーツに勝つことのみを純粋な目標と定めて選手を強化することに価値があるとは思えないからだ。
スポーツ選手のがんばりに感動するのは実にいいことだし、選手が良い成績を収めた時にその喜びと感動をおすそ分けしてもらえることは大いにすばらしいことだと思うが、国威発揚を目的としたり、必要以上にナショナリズムを前に出して盛り上がることに対しては恥ずかしさを感じる。
また、そのスポーツが好きで好きで没頭している才能ある選手の経済的な負担が減るようにはなって欲しいので、そのために多少の支援をするのは結構なことだとも思うが、引き換えに国威発揚をもくろんだり、カネをつぎこんだわりにふがいないだのと言うことはみっともないことだと思う。
でも、ロシアで大統領やプーチン氏が激怒したというのはおもしろかった。
ロシアが湯水のように強化費をつぎ込んで次のソチ・オリンピックで旧共産圏の底力を発揮して大輪の華を咲かせるのを野次馬的に見てみたい。
あと、バンクーバー・オリンピックのマスコットの中のクワッチは今までのマスコットでは見られなかったぐらいに魅力的なキャラクターだったと思ったのだが、意外に火がつかなかったなあ…。