GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

エリートが大衆目線になると危うくなる

国民のウケが良かろうと悪かろうと「戦後レジームからの脱却」を進めるという格調高い挑戦は安倍さんの挫折で終了した。

 

確かに坊ちゃんのもろさは想定外だったが、この路線は長期的に見て日本にとって必要な路線であっただけに返す返すも残念である。

 

でも、最近の日本の非建設的なムードはちょっと異常じゃないかと思う。

安倍さんが参ってしまうのもわかるというか、異常な辞め方をしたとしても安倍さんには「あなたがまともなことを言っても時代があなたについてこなかったんだね…。ゆっくり休んでちょ…」と同情してしまう。

それぐらいに今の日本は建設的な議論ができない国になってしまっているように思う。

また、建設的にリードする人の足を引っ張ることで、その反対勢力に利する「敵の敵は味方」的状況があまりに多く生まれすぎなように思う。

小沢氏というデマゴーグ=煽動家に勝たせることが、いかに自民党にとっても民主党のまともな勢力にとっても利敵行為であるか国民はわかっていない。

私がここでいうことは独善的と思う人がいるかもしれないが、わかる人は私の言うことの意味をわかっていただけるはずである。

 

大衆もマスコミも「戦後レジームからの脱却という目標は国民に受け止められていない」とよってたかって悪く言うが、「政治家が国民と同じ目線でどうする!」と強く思う。

世には読売新聞や産経新聞のように建設的なマスコミもあるが、共同通信社朝日新聞講談社やテレビ局等々のような酷いマスコミも多々あるわけで、マスコミ全般が悪いとまではいえないが、やはりマスコミ全般のレベルの低さには目を覆うものがある。

 

今の日本は政治もマスコミも何もかにも大衆に目線を合わせすぎているが、その結果、大衆がエリートを小バカにする風潮や、エリートをよってたかって叩く風潮が生まれ、とかく品のない時代になっている。

 

ところで、昨今は自民党民主党も地方重視・格差是正という大衆迎合型の策を隠しもせずに堂々と打ち出し始めた。

安倍氏辞任後の東国原氏の「地方はハシゴを外された」という発言はいかにも寒かった。

少なからず彼に感謝している宮崎人のオイラが思うのだから余程の寒さだ。

この論点がいかに的外れな議論であるかは次回にきちんと述べるが、「エリートが大衆に合わせて大丈夫なのか?」とエリートのみなさんは思わないのだろうかと危惧する。

 

「庶民の感覚を…」「地方の痛みを…」というフレーズがよく飛び交うが、確かにそれは大切でも、庶民や地方の感覚にばかり目を当てる人が政治を行ったらそれではこれからの時勢を思うと国力は保てない。

 

大衆は無責任で、エリートは使命感にあふれている。

大衆は自分と自分の身の回りで手一杯だが、エリートは全体の利益を考えられる。

大衆は愚劣で怠惰だが、エリートは高潔でエネルギッシュある。

大衆は嫉妬心が強く依存的で恨みがましいが、エリートは向上心にあふれている。

 

エリートが大衆に目線を合致させたら日本は終わりだ。

私は自分がどう逆立ちしてもエリートにかなわないことを知っている。

だからエリートを尊敬しているし、エリートに託す思いがある。

民主主義の世の中では難しい面もあろうが、エリートは決して大衆の目線なんかではなくエリートの目線で世を見て欲しいと強く思う。