GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

朝日はストレスの素

「完全匿名ブログじゃないため、あんまり政治色の強いネタばかりやるのは思わぬ損を招きかねんな…」と思って今回は取り上げずにいたのだが、5月25日の朝日新聞社の寝言があまりに気になってしょうがなくなったので…。

 

以下、この日の社説にツッコミを入れていきます。

怒髪天をつく勢いなので感情をオモテに出しまくってツッコミます。

 

日本を訪れていた呉儀・中国副首相が、小泉首相との会談を急にキャンセルして帰国した。

当初は「緊急の公務」と説明されたが、のちに中国外務省は「日本の指導者が、靖国神社の参拝について繰り返し中日関係改善に不利となる発言をしたことは大変不満だ」とする談話を発表した。

首相との会談を当日になってキャンセルするのは極めて異例だ。

理由を明確にしなかったのもマナーに欠ける。

ただ、最近の経過を振り返れば、中国ばかりを責めることはとてもできない。

 

→いきなり利敵行為ですか?

ただただ相手が無礼だっただけでしょ?何で相手の肩を持つ必要があるの?

 

4月下旬、小泉首相胡錦涛国家主席ジャカルタで会談した。

首相は反日デモで、主席は靖国参拝など歴史問題でそれぞれ適切な対応を求め、関係改善への努力を確認したはずだった。

実際、中国はその後、各地に広がった反日デモを抑え込んだ。

日本公館が投石などの被害を受けたことに謝罪はしていないが、原状回復を約束した。

 

デモを強引に押さえ込むことができるような国のことを先進国は逆に不気味がっているのですが何か?

しかも、反日デモを利用してとりあえず好き勝手やらせてみて、その後公安が撮ったビデオなどからデモの指導者を徹底的に割り出して、彼らを「天安門事件のような事件を起こしかねない連中」と見て、ありとあらゆる手で弾圧したのは良く知られる話であり、こんな国を評価するとはさすが、北朝鮮を「この世の天国」と宣伝した朝日です…。

それに、どう考えても中国が悪いのに結局は謝罪せず、安っこい現状回復で済まそうとする姿勢を評価する朝日って…?

ODAなどを考えたら、100万円をもらったヤツが、「今日はおれがおごるよ」と言って、お金をあげたヤツに1,000円おごるようなものだろう。

 

翻って、小泉首相の対応はどうか。

先週の国会で「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない」と述べ、これまで以上に強い口調で年内の靖国参拝に意欲を示した。

首相ばかりではない。自民党武部勤幹事長は王家瑞中国共産党対外連絡部長との北京での会談で、「首相の靖国参拝に対する中国側の批判は内政干渉だという人もいる」と述べた。

反発する王氏と激しい応酬になったという。

この問題を「内政干渉」と切り捨ててしまうのには無理がある。

侵略戦争の加害者である日本が戦死者をどう追悼するか。

そのやり方をめぐって被害者が感情を傷つけられていると言うなら、そうした思いを解く努力をする道義的な責任は加害者側にある。

 

この問題って過去に何度解決済みになったのかね?

内戦中のスーダンへの中国による支援やチベットでの虐殺なども徹底的に糾弾してくださいな…。

これについては、その翌日の26日の産経新聞の社説の論調のほうが断然説得力があります(後に抜粋を転載)

 

ましてA級戦犯の戦争責任は、日本がサンフランシスコ講和条約東京裁判の判決を受け入れたことで、国際的に決着のついたことである。その責任をあいまいにする靖国参拝に、当事者でもある中国が不信を表明するのを「干渉」とはねつけるわけにはいかない。

日本が植民地支配した韓国も同じだ。

首相は2001年の金大中大統領との会談で、靖国神社に代わる追悼施設の検討を約束した。その金氏は最近の講演で「その約束が実践されなければならない」と改めて求めた。

戦死者の追悼の仕方は内政問題と言うなら、なぜこんな約束をしたのか。靖国参拝に意欲を燃やした中曽根元首相が取りやめたのも、この問題が内政にとどまらないと気づいたからだ。

 

→だからぁ~あんらたが騒ぐからだろ!

 内政干渉」という言葉には、これ以上の問答は無用といわんばかりの響きがある。

今回の中国側の会談キャンセルにも似たものが感じられる。

「会いたくないのを会う必要はない」と首相が言い、「大使館への破壊活動と一脈通じるものがある」と町村外相が不快感を言う。

こんな切り口上を続けていては、不毛な連鎖は深まるばかりだ。

 

敵に塩を送るのがこの新聞の趣味ですが、ここでも“しょっぱすぎる”ぐらいに塩味が効いてます!

朝日が騒ぐまでは靖国参拝は他国からごちゃごちゃ言われるような問題ではなかったわけだが、何か?

ところで、これについてもその翌日の26日の産経新聞に載っていた社説のほうが断然説得力がある(以下に抜粋)。

また、その前日25日と前々日の24日の社説で産経新聞が言っているが、これぐらいのことは言わないとダメだと本当に思う(以下に抜粋)。

 

[以下、5月26日の産経新聞の社説より抜粋]

確かに、日本はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判の判決の結果(刑)を受け入れた。

しかし、そのことといわゆる「A級戦犯」の死者をどう慰霊するかは、次元の違う問題である。

慰霊はその国の伝統や文化に則して行われるもので、外国が口をさしはさむべき問題ではない。

日中共同声明(昭和47年)、日中平和友好条約(昭和53年)、日中共同宣言(平成10年)では、いずれも「内政に対する相互不干渉」がうたわれている。

中国の対応は明らかに、これらの国際合意に反している。

朝日新聞は25日付社説「ああ、なんと不毛な」で、「A級戦犯の戦争責任」は「国際的に決着のついたこと」とし、「その責任をあいまいにする靖国参拝に、当事者でもある中国が不信を表明するのを『干渉』とはねつけるわけにはいかない」と書いている。

中国と同じように、戦争責任と慰霊の問題を混同させた議論である。

 

[5月25日の産経新聞の社説より抜粋]

どんな形で死んだにせよ、死者を必要以上にムチ打たないのが、日本の国民感情だったからだ。

小泉首相は日本の指導者として、こうした日本人の心のありようや伝統的な死者のまつり方などを中韓だけでなく、世界中に発信してほしい。

 

[5月24日の産経新聞の社説より抜粋]

昨年九月、冬柴氏とともに訪韓した安倍晋三・前自民党幹事長は、韓国大統領からの歴史問題への懸念表明に対し、「日本が平和を守る勢力かどうかは日本の戦後史をみれば分かる」ときっちり反論した。

相手に耳の痛い言葉であっても、日本の立場をはっきり主張することを忘れてはなるまい。

 

これだけでなく、日本が舌足らずなことが本当に多い。

私は扶桑社の歴史教科書を持っていて過去に3度ほど精読したことがあるが、別にそれほど歪曲されていないし、右寄りというわけでもないと思うので、「まずきちんと読んだらどうですか?」と問いただせば良いのに…と思う。

それに、中国や韓国のように言論の自由がなく国定教科書しか使えない国と違って日本には複数の教科書があり、しかも、扶桑社のものは全国でもほんの数校しか採択していないことをきちんと中韓国民に伝えてあげるべきであろう。

 

他にも、戦後の平和への取り組み、武器輸出をしていない事実、日本の多額の国連拠出金による国連への貢献、ODAの取り組み、環境への取り組み…いくらでも両国の国民が理解していない日本の平和貢献および国際貢献はあるはずである。

これらを中韓国民にあてて誠意を込めて日本国の首脳が演説すればどれだけ良いことだろうか…。

 

誤解はきちんと正さないといつまでも解けないものである。

私は日本という国の外交姿勢のそこが気に食わない。

感情的になっている両国の国民に無視を決めこむのは姑息だとすら思う。

その中には共感してくれる人も多少はいるだろうから、説明して反感を買うほうがまだマシである。

 

それと、何度も言うが、私は歴史的経緯を顧みれば、靖国参拝には基本的には賛成だし、正当性があると思っているが、ここまでこじれた以上はもう止めておいたほうが良いと思っている。

しかし、止めるのならかわりに数多くの譲歩を引き出すべきだと思っている。

 

例えば、言論の自由が保障されている日本で国定教科書を作るのが難しいかもしれないのが難点だし、そもそも無理だろうが、共通の教科書を作るのは最高の譲歩だろう。

日本人は多少の自虐史観に慣れているし、歪曲はほとんどしていないから多少の死者の水増しぐらいは別に痛くないが、中国の自国史の歪曲ぶりはすごいから、チベットでの虐殺や文化大革命による粛清や大躍進政策の失敗などについてもきち~んと書いてもらわなければならないだろう…。

それから、アヘン戦争でイギリスから理不尽な要求をつきつけられ、しかも徹底的にやられたことや、欧米列強に「犬とシナ人は入るべからず」といって屈辱的な扱いを受けたことなどはあまり書いていないらしいから、これについてもこと細かに書いてもらって怒りの矛先を分散してもらわなくてはならないだろう。

 

そうなれば最高なのになあ…と常々思うのだが、まず無理だろう。

 

最後にどうでも良いことを言うが、私は朝日新聞を他紙との比較以外の目的で、すなわち朝日のみを購読している人が嫌いである。

どんなにいい人でも共産党支持の人とは友達になれないという人は多いと思うのだが、そこまではいかなくても、ツッコミとあら探し目的でなら構わないが、普通に朝日しか購読していない知り合いに対しては私は多少の嫌悪感を抱く。

私に言わせれば、「左寄り」とは「無責任」の同義語であり、無責任な人を好きになれないのと同じで好きになれないのである。