最近、やたらとかわいくて小さな犬を見かける。
子犬じゃなくて成犬なのにどいつもこいつも小憎らしいぐらいにカワイイ。
街中で「小犬様」が歩いておられるとついつい目を奪われてしまう。
ところで、若い女性が小犬様を見つめている時には飼い主はどこか誇らしげにしているのだが、私のような無頼漢が目を見開いておもむろに小犬様がお戯れになる様子をしげしげと見つめると、飼い主はどこかでシニカルな笑みを浮かべる。
もはや、現代社会において、愛玩犬は主人の自己満足欲求を満たす代理者の役割を果たしているといえる。
「かわいい」と飼い犬が褒められることは、その褒め言葉の対象に自分自身が微塵にも含まれていずとも、もはや、飼い主にとっては自分がそう言われたのと同じぐらいにそのことをうれしくかつ誇らしく思うのであろう。
カワイイ犬を連れている飼い主のどことなく誇らしげな立ち振る舞いを見れば意地悪ながらそう思わざるを得なくなる。
何はともあれ、多くの人々と同様、私は犬が大好きである。
猫のふてぶてしい人を食ったような態度にもなかなかカワイイものがあるが、「無駄にカワイイ」としか言いようのない小犬様のかわいさ具合には到底及ぶまい。
トイプードルは当然として、ヨークシャーテリアやホワイトテリアのようなテリア系、コーギーあたりが特に好きである。
昔は家の外でもらってきた日本犬の雑種を飼っていたこともあって、「日本犬を外で飼うことこそが王道」だと思っていたが、毛むくじゃらの洋犬大好き人間のウチの彼女による洗脳と、「犬は寒暖の差が激しすぎる日本の気候では室外より室内で飼ったほうが犬の心身にとって良いし、断然長生きするんだよ…。知らなかったの?」という妙に説得力のある意見のせいと、また、見た目のかわいらしさも手伝って、最近は全身毛むくじゃらのテリア系が大好きになってしまった。
そして、日本犬にどことなく似ていて、愛くるしいことこの上ないコーギーは初めて見たときから一目ぼれ的に好きになった。
私は、ダックスフントやチワワも人気があるが、ダックスフントやチワワ好きになれないままである。
しかし、このへんの好みは人によって色々と違いがあるからおもしろいわけで、皆同じ好みで同じ犬ばかりが街にあふれるようになったら、以下のようなことになりかねない。
トリマーの知り合いが、少し前に爆発的な人気を博したティーカッププードルをはじめとするトイプードルについて、「今、茶色のトイはあまり飼わない方がいいよ。繁殖させすぎて、先天的に異常がある子が多いし、そうでなくても弱い子がものすごく増えているから…」と言っていたが、好みが集中するとこういう悲劇が起こりかねない。
ダックスフントやチワワが街にいるからこそ、私の好きなコーギーやテリアと出会った時の喜びが引き立つというものでもある。
しかし、犬種に寄らず、「小犬様」も「大犬様」もどいつもこいつも、常にすれ違う人々を無条件に和ませ続けている…。
そんなヤツらは本当に偉いと心底思う…。
そして、ペットショップの存在には必ず大きな闇があると思っており、この闇と捨て犬の問題の解決を社会全体でどうにかできないだろうかと思う。
そういったことや、自分が他の動物の肉を平然と食べていることとの矛盾を自己消化できないため、私が動物を飼うには至っていない。
チベット・ラサの犬