GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

現代人の労働時間は長すぎではないか

現代人の労働時間について意見したい。

 「人間が狩りや猟で生活をしていた頃というのは、人間の実働時間は今よりずっと短かった」であるとか、「江戸時代後期における農民の労働時間は1日に4時間程度だった」であるとかといった話を本で目にしたことがあるが、現在の世の中における労働時間というのはおかしいほど長いと思うのは私だけだろうか。

 

これは相対的にそう思うのではなく、絶対的にそう思うのだ。

人間様の数が異常に多く、そのような世界の中で大競争をしているのだから大変な話であるのはわかる。

しかし、これだけ文明が進化しているのに労働時間が長いままなのは全く皮肉な話であるとしか言いようがないと思うのは私だけではないはずだ。

 

9時~17時の7時間労働だけで済むのならば、まだ十分に人間らしい暮らしが可能だから納得がいくだろう。

しかしながら、一般的なサラリーマンで毎日定時に仕事を終えることができる人は一体何割いるのだろうか。

私の周りのサラリーマンではそのような人はまれである。

また、いくら家電が発達したからといって家に帰っては家事が待っているのである。

こんなことを言っては世の人に失礼だが、みんな働きすぎである。

 

私が前に勤めていた会社でも、私は私なりに「働きすぎ」と思うぐらい働いていたのに、周囲はもっと長時間働いていた。

私はこのことに強い違和感を覚え、このように思った。

「サラリーマン社会はこれだけの労働時間を俺に求めるかもしれないが、俺はサラリーマンとしてはこんなに多くの労働時間を求めていない。俺の人生は俺がコントロールする。サラリーマン社会なんかに流されるものか…」。

「こんなに長時間働いて、この程度のやりがいしか得られないのでは納得がいかない。自営業並みのやりがいが得られるのならばともかく、この仕事ではそのようなやりがいは得られない」。

なので、私はサラリーマンとは違う生き方を模索しようとした。

 

「これだけ文明が発展して労働時間が延びるのは絶対的におかしい。しかし、これだけ働かないと世界中における競争に敗れる可能性が高いので、簡単に手綱は緩められない。ならば、自分だけでも、現代社会の恩恵に浸って楽をしないと…」と思ってしまう。

 

これほど豊かな世の中において、見栄や余計なものを捨ててシンプルライフを送ったら、あまりお金のかからない生活ができるのではないだろうか…という逆転の発想を頻繁に思い浮かべてしまう今日この頃である。

 

私たちは「マーケティング」なるものに踊らされ、本当に必要のないものまで求めようとはしていないだろうか。

ちょっと本気を出して、下記のように生活をすれば、現在の豊かな世の中において、労働時間が半分に減る代わりに収入が半分になったとしても十分にやっていけるのではないだろうか。

 

  • 家賃が高く、飲み代やその他の誘惑による出費がかさむ都市に住むことはなく、住むのは地方都市で十分である。

  • 見栄を捨てたら、広い家に住む必要もなく、立派な車に乗る必要もない。狭い家・軽自動車で十分に実用的である。

  • 旅行においても新幹線やシティーホテルを使うことはない。格安パック、または、高速バスやフェリーや青春18切符などで移動し、宿は安めのホテルで十分である。

  • お金をかけなくてもオシャレに着こなすことはできなくはないだろう。

  • モノを手入れしながら大事に使えばそう頻繁にモノを買うこともないはずだ。

  • お金をかけない遊びなんていくらでもあるはずだ。

  • 子供をほったらかしにせず、一緒の時間を多くとって育てたら悪い子には育たないはず。

  • 食費も工夫すればかなり下げることができるはずだ。

 

今述べたような生活を味気ないと言ってしまうのは簡単である。

しかし、ここで考えなくてはならないのは、上記の生活に付加される部分の代償として、労働時間が2倍になることに納得できるのかということである。

できないのならばこのようなシンプルライフを送ったほうが良いとはいえないだろうか…。

 

しかし、このライフスタイルで生活しようにも実質的にはこのような問題に正面する。

 

労働時間を半分にするということは、日本においては正社員として働くことを放棄することにつながるので、仮に労働時間を半分にしたら、収入は半分以下になってしまう

 

人間とは相対的な生き物なので、自分の2倍3倍の給料を貰っている人が身近にいれば、それを恨めしくとまではいかなくてもうらやましく、もしくは、情けなくは思うだろう。

私の場合、人間関係の多くが東京にあってそれが東京を離れられない大きな理由であるのだが、人間はコストや住みやすさだけで住むところを決められないものでもある。

 

実際にシンプルライフを送ろうにも苦労が多いものである。